15.英気を養う 寿司編
目が覚めた。
顔を洗い、簡単な朝食を済ませ、俺は目の前にある軍資金を見つめる。
一万円札が十枚。つまり10万円である。
「ぐふ……ぐふふふふ……」
ああ、きっと今、俺はとても気持ち悪い笑みを浮かべて居ることだろう。
何せ俺はこれからこの金で『至高の贅沢』をするのだから。
だがその前に軽く体を動かして、ストレッチ。
部屋の掃除を済ませ、洗濯も終わらせる。
先に家の用事を済ませておく。
時刻は午前11時過ぎ。
「さて、そろそろ出かけるか」
朝食は軽く済ませたから、もうお腹はすいている。
さあ、昼飯に――いや、『宴』に出かけよう。
そんなわけでやってきたのは回転寿司『明日薫』。
いわゆるファミリー層向けじゃない、ちょっと良いお値段の回転寿司だ。
――今日、俺はここで好きなネタを好きなだけ食べる。
一度、やってみたかったんだよな、こういうの。
値段や人目を気にせず寿司を食べるやつ。
何という贅沢か。
かき入れ時前ということで、大して並ぶこともなくカウンター席へ。
注文はタッチパネルだが、目の前の職人さんに頼んでも良い。
「本日のおすすめは……おぉ、北海道ウニにノドグロか」
それに海宝三点(大トロ、甘エビ、いくら)、嶽きみの天ぷらも美味しそうだ。
ノドグロって食べたことないけど、どんな味なんだろう?
せっかくだから頼んでみよう。当然、ウニも。
あとツブ、ホタテ、とびっこ……あ、マグロの中落ち軍艦なんてのもある。
イカゲソ、赤貝のヒモ、それに穴子もいったれ。
しばらくしてカウンターに注文した皿が運ばれてくる。
「お待たせしましたー」
「ありがとうございます」
ふわぁぁ……寿司や。お寿司がいっぱいやぁ……。
キラキラと光るネタ。揚げたての天ぷら。鼻腔をくすぐる海苔の香り。
見ているだけで涎が止まらない。
ああ、なんて美味しそうなのだろう。
「ではまずウニを……」
え? 最初は白身から食べるべき? 知るかそんなの。
食事ってのは楽しんで食べるもんだ。
他人に迷惑さえかけなければ、自分のルールで楽しむのが一番だろうが。
「……う、うめぇ……」
柔らかくも、口の中でとろけるウニ。
パリパリの海苔と口の中で噛むことで広がるシャリとのコントラスト。
ウニ独特の豊かな味わいと海苔の風味が口の中に広がってもう最高。
次はツブだ。
「……シャキシャキで甘っ」
なにこれ、ちゃんとした寿司屋で食べるツブってこんな美味しいの?
前にスーパーで買った特売品と違い全く水っぽさはなく、シャキシャキとした歯ごたえと貝の甘さがずっと続く。
お茶で喉を潤し、次は大トロ、甘エビ、いくらの海宝三点。
「いくらうめぇ……」
プチプチとした触感と、魚卵の濃厚なうま味。
この寿司でご飯食べれるんじゃないかってくらいだ。
エビはぷりっぷりで、飲み込むのがもったいないほどのうまさ。
だが何よりも最高なのは――。
「……涙が出る」
そう、大トロだ。
マグロの腹部の中でも特に脂が乗った部位。
人によっては中トロのほうが美味しいというが、俺は大トロが好き。
赤身やネギトロも大好きだけど、大トロは値段が高くてなかなか手を出しづらいってのもあって、食べた時の満足感が素晴らしいのだ。
あぁ、俺今贅沢してるってのを実感させてくれる。
それが大トロ。
「お客さん、本当に美味しそうに食べるねぇ」
「……はい、本当に。本当に美味しいです。ありがとうございます」
「はは、そう言って頂けると嬉しいですね」
職人さんは笑顔。俺も笑顔。
マジで美味しい。
日本人に生まれてきてよかった。
そう思えるくらいには最高。
せっかくだし、変わり種も頼んでみるか。
「白子うまっ」
白子の軍艦。
白子のお寿司って美味しいのかって思ったが、これは想像以上にシャリに合う。
ワサビじゃなく、もみじおろしってのがいいアクセントになってるのかもしれない。
「うん、とびっこやイカゲソは安定の美味さだなぁ……」
お値段はネタの中では一番安い部類だが、だからと言って美味しくないなんてことはない。
とびっこはプチプチとした触感がたまらないし、イカゲソのこりっとした歯ごたえとイカのうま味が合わさって美味い。
「えび天握りもいいなぁ……」
これはもはや一口サイズの天丼だ。
揚げたてのエビ天に甘いタレがなんとも絶妙。
でも生エビよりも安いんだよなぁ。
俺は高いネタが好きなんじゃない。
好きなネタが好きなのだ。
「さて、ちょっと変化球だ。嶽きみの天ぷらも頂こう」
嶽きみとは青森県産のトウモロコシで糖度が高く非常に強い甘みが特徴だ。
これを天ぷらにするとどうなると思う?
――びっくりするほど美味しい。
さっくりとした衣に包まれた熱々のトウモロコシ。
噛んだ瞬間、シャキッとした歯ごたえとともに、トウモロコシ特有の甘さとうま味が口の中に広がる広がる。
これを抹茶塩をつけていただく。
「あっふ……あっつ、うまっ」
そして揚げ物を食べ終わったら、白身や光物を攻める。
コハダ、ノドグロ、エンガワ。……エンガワって白身にはいるのかな?
「はぁーコハダってなんでこんな美味しいんだろうなぁ……」
光物の中でもコハダは一番好き。
あとノドグロって黒い魚を想像してたけど、白身だったんだな。
なんかよくわかんないけど、美味しかった。
「はぁ~~~……至福」
腹一杯、好きなネタを食べた。
大満足だ。
社会人になってから、ようやく味わった贅沢。
こういうのでいいんだよ、こういうので。
寿司自体は接待とかで食べたこともあるが、ああいう席は会話や相手を楽しませるのが主であって、食事はあくまでおまけに過ぎない。
話したり、気を使って、味もよくわかんなくなるし。
だから気を遣わずに、こうして好きなネタを好きなだけ思いっきり食べるってのを一度でいいからやってみたかった。
これ、癖になりそう。金さえあればまたやりたい。
「お会計、お願いします」
お値段――合計5,700円。
普段の食費が一ヶ月約二万円って考えると、その四分の一の金額を食費をたった一回の食事で使ってしまったことになる。
こんな贅沢が許されるなんて、お金ってすごい。
「ああ、満足だ。さて、風呂行って帰るか」
大満足で俺は店を出るのだった。
……軍資金、10万円も要らなかったな。
その光景を、偶然にも目撃した者がいた。
彼の職場の同僚――井口である。
一瞬、彼女は自分の目を疑った。
万年金欠を謡っている先輩が、ちょっといいお値段のする回転寿司から出てくれば、驚くのは当然である。
「……先輩、お金に困ってるって言ってたのに本当にどうしたんだろう? ていうか、私とのディナーは断ったくせに。一声かけてくれてもいいのに。むぅー、先輩のくせにぃ……」
なぜか妙にイラっとしてしまった。心がむかむかする。
本当は声をかけたかったのだが、あまりにも幸せそうな表情だったので、なんか声をかけづらかった。
井口は来週こそは、一緒に食事をしてやると密かに心に誓うのだった。