1.プロローグ
財布が寂しい。
給料日まであと五日。
お財布の中には千円札が一枚と小銭が数枚。
一日当たり使えるお金は約二百円……。
「どう考えても足りないよなぁ……」
確か特売で買ったカップ麺がまだ残ってるはず。
朝食を我慢してスーパーのタイムセールを狙えばギリギリ持つか?
半額シールが貼られている弁当を二つ買えば、一つの値段で二食分だ。
何が悲しくてこんな悲しい計算しなければいけないんだろう。
理由は分かってる。お金が無いからだ。
「給料上がらないもんなぁ……」
高校を卒業してすぐに就職して、今の会社に勤めて早五年。
重要な仕事も任されるようになり、部下も出来た。
なのに給料は全く上がらない。
おまけに来年から厚生年金の掛金や保険料、共済費なんかも上るらしい。ますます使えるお金が減っていく。
「お金欲しいなぁ……」
切実にそう思う。
年の割に貯金も大して出来てないし、本当にこのままでいいのだろうか?
惰性で今の会社で働き続けた結果、辞め時を完全に失ってしまった。
かといって、今更他の仕事に就くにはちょっと勇気がいる。
「先輩どうしたんですか、そんな難しい顔して?」
そんな風に溜息をついていると、デスク越しに後輩の井口が話しかけてきた。
彼女は今年入ったばかりの新入職員で、一応俺が教育係を任されている。
顔は可愛いく愛想も良い。だが致命的に仕事が出来ない。
いつも必ずどこかミスをする。怒っても、やり方を教えても、必ずどこかミスをするのだ。そのことを上司に相談しても、『お前の教え方が悪い』の一点張り。可愛いって得だよな。正直誰か教育係代わってほしい。
「……給料日までどうやって過ごすか考え中」
「え、先輩、お金ないんですか? ぷっ」
「おい、お前今笑ったろ?」
「笑ってませんよ。気のせいです。それより、いくら足りなんです? 一万円くらいなら貸しますよ?」
井口は引き出しから財布を取り出し、こちらへ見せつける。
女性らしいおしゃれな財布だ。無駄に高そうなのがちょっとイラッとする。
ちらりと見えた中には一万円札が数枚……。こいつ、なんでそんな金あるんだよ。
「……何が悲しくて、一年目のお前から金借りなきゃいけないんだよ」
「そりゃあ、先輩がお金に困ってるからでしょう? やったー、先輩に貸し一つだー」
「借りねぇっていってるだろ。いいからお前、さっさと仕事に戻れ」
しっしっと手で払らうと、井口は渋々仕事に戻る。
金なんていいから、仕事を覚えろ、仕事を。
(副業でも初めっかなぁ……)
ただうちの会社は副業禁止なので、バレたら懲罰委員会にかけられること間違いなしだろうけど、今のままじゃマジで将来が不安だ。
帰ったらちょっと調べてみるか。バレない副業について。
帰宅。
現在の時刻は夜九時。
「ちくしょう……井口の野郎、やっぱり間違ってやがった……」
あのバカ、俺に仕事の尻拭い押し付けて自分はさっさと定時で帰りやがって。
ああ、腹立つ。明日はぜってー説教だ。
仕事に対する姿勢ってやつを骨の髄まで叩き込んでやる。
ああ、畜生。ストレスと疲労で頭が回らない。
「えーっと、鍵どこだ? 鍵」
「あっ……」
鍵を探していたら、お隣さんもちょうど帰ってきたところだった。
眼鏡に、寝癖のついた髪に、上下ジャージの女性。手にはマンションの一階に併設されてるコンビニの袋が見えた。
目が合うと、びくっとされた。……なんで?
「あ、どうも。こんばんは」
「あ、ぅ……はひっ」
ひゅっ、ばんっ。ガチッ。
速攻で避けられてしまった。
「……普通に挨拶しただけなのに」
俺、そんなに不審者っぽい顔してるだろうか? ちょっとショック。
あ、鍵あった。
部屋に入ると、着替えもせずに半額シールが貼られた弁当をかっ食らう。
ああ、濃い味が脳に染みる。
「やべ……もう協力戦始まる時間じゃねーか」
スマホを取り出し、とあるゲームのアイコンをタップする。
『アルカディア・ダンジョン』――通称アルダン。
俺の唯一の趣味と言っても良い。仕事のストレス(主に井口)を忘れて没頭できるので、かなりハマっていた。
リリース当時からプレイし、今年で五周年を迎えた。ソシャゲとしてはそれなりに長寿の部類に入ると思う。
内容は主にソロでクリアしていくメインストーリーと、他のプレイヤーと一緒にプレイする協力イベント二つに分かれている。他にも採取クエストやら討伐クエストやらイベント盛りだくさん。
たまによく分からない作品とコラボしたりもするが、そこはソシャゲあるあるだろう。
世界観ガン無視のコラボキャラ達が暴れ回る姿を見るのも嫌いじゃない。……あとコラボキャラって無駄に強いキャラ多いし。
んで、他のプレイヤーとの協力イベントが毎日夜九時に行われるのだ。
「トラさんはもうログインしてるかな……」
トラさんはフレンド登録してあるプレイヤーだ。
リリース当初からお世話になっており、基本いつもログインしてる暇人。
そして文無しの俺と違って重度の課金プレイヤーでもある。
いつもログインしてるくせに、そんな金どこに持ってるんだろう。……羨ましい。
ログインすると、案の定トラさんは居た。
『こんばんわー、ギリギリ間に合いましたー』
『おーっす。リュウさん遅いよー』
リュウとは俺のアカウント名だ。
名前が佐々木竜司なのでリュウ。
安直。
『すいません、仕事が長引いちゃって……』
『あー、そっか。お疲れ、社畜は辛いねー』
『マジボロボロですよ。今日もずっと部下のミスの尻拭いです』
『ホントお疲れー。ま、嫌な事はアルダンやって忘よー』
『ですねー。あ、パーティー申請出しときます』
『りょ。んじゃ、狩場は――』
それから一時間程、俺はトラさんと一緒にアルダンを楽しんだ。
『うっしゃー、SSR武器ゲットー』
『マジかー、トラさん引き良すぎでしょ』
『はっはっは。普段から運営に多大な貢献してるからね』
『ぐっ、これが課金力の差か……』
『いや、実際は単純に運の差だと思うけどね。まあ、悔しかったら、キミも課金したまえ。アイテムドロップ率が上がる月額プランくらいなら出来るでしょ? あれ、巻き戻し回数も増えるし、有償魔石のデイリーボーナスも増えるし、良いことだらけだよ』
『――返事が無い。ただの屍のようだ』
『……え? それも無理なの? 嘘でしょ? あれ月550円だよ?』
『トラェ……』
『……その、ごめん』
『素で謝らないで下さい!逆にへこみますからっ』
『まあ、アレだよ。楽しみ方は人それぞれだし……』
『……自分だって課金できるならとっくにしてますよ。まあ、もう少し余裕が出来たら何とかしてみます』
『無理はすんなよー。課金し過ぎてリアルが駄目になったら元も子の無いしなー。それに、そのうち良い事あるって』
『トラさんが言うと妙に説得力ありますね……。良いことかー、あればいいなぁ……』
割の良い副業が見つかるとか。
あと井口の担当変わるとか。
『きっとあるよ。いや、というか、ワイはリアルもゲームもどっちも充実してるっつーの! 別に暇だからいつもログインしてるわけじゃねーし』
『はははw』
『くっそー絶対信じてないだろっ。ホントだかんなっ。これでもワイは美少女なんやで!』
『草』
『くそがっ』
『はいはい、トラさんは美少女ですっと。それじゃあ、自分はそろそろ落ちますね』
『りょーかい。んじゃ、また明日ねー。お疲れ様~』
『はーい』
「ふぅー……」
時計を見ればもう夜の十時過ぎ。
楽しい時間はあっという間に過ぎるなー。仕事だとあと一時間が恐ろしいほどに長く感じるのに。
「さて、シャワー浴びてさっさと寝るか――ん?」
スマホが震えていた。
着信……じゃないな?
何だろうかと画面を見てみれば、アルダンのアイコンの隣に見慣れないアイコンがあった。三日月型の地球儀のようなアイコンだ。なんだこれ? こんなのインストールしたっけ?
「ウイルス……じゃないよな?」
その手の怪しげなサイトは開いた覚えもない。
スマホのアップロードで新しくインストールされたアプリとか?
いや、でも普通そういうのって説明があるよな?
とりあえずアプリのアイコンをタップしてみる。ヤバければすぐに電源切ればいいし。
するとすぐに画面が変化し、アプリ名が表示された。
その名は――
「……『異世界ポイント』?」
聞いた事も無いアプリが表示された。
そして次の瞬間、俺をまばゆい光が包み込んだ。
新作です
楽しんで貰えると幸いです