雷槍の兄弟〜長板波の誓い〜
建安十三年、春。曹操二十万の大軍に新野を追われた劉備軍は、民を伴い長坂坡を南へ敗走していた。
混乱の只中、ひときわ目を引く武将がいた。白銀の鎧、黒馬を駆るその男は、敵兵の波を雷の如く突き破っていく。
「道を開けぬ者、我が雷槍が貫く!」
その男、趙嘉。趙雲子龍の実兄にして、劉備に仕える寡黙な槍の使い手。
背には輿。中には劉備の嫡子・阿斗と呉夫人がいる。
追撃の曹操軍が迫る中、趙嘉は無言で進路を切り開いていた。そこへ、別の方向から馬を駆る者が現れる。
「兄上!」
血に濡れた鎧のまま駆けつけたのは弟・趙雲だった。
「阿斗様は!?」
「ここにいる。だが、このままでは逃げ切れん」
「ならば俺が囮になります。兄上は川へ――!」
「……分かった。だが必ず生きて戻れ」
兄弟の視線が交わる。言葉は少なくとも、信頼は深かった。
趙雲は馬首を返し、後方から迫る追撃兵へと突撃していった。
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輿を守りつつ川を目指す趙嘉の前に、一騎の将が立ちはだかる。
「趙嘉か。子龍の兄ならば、俺が討つに相応しい」
現れたのは曹操親衛隊の将――夏侯恩。
その手に握られた剣は、曹操より預かった名剣・倚天剣であった。
「貴様を斬り、子龍も討つ。それが我が勲とする」
「貴様を斬らずとも、俺は渡る。邪魔なら斬るまでだ」
無駄なく構えられた趙嘉の槍と、鋭く抜かれた夏侯恩の剣が、次の瞬間激突する。
火花が散り、土煙が舞う。
剣と槍が十合を超えて交錯し、互いの武の重さが戦場に轟いた。
「見事な腕前だ……だが――!」
倚天剣が風を切り、趙嘉の肩をかすめる。しかし彼は怯まず、力を込めて槍を突き出す。
「雷槍――貫!」
雷鳴のような気迫と共に放たれた一撃が、夏侯恩の胸を打ち抜いた。
「くっ……! こやつ……!」
呻き声と共に、夏侯恩は落馬。趙嘉は振り返らず、すぐに輿を再び背負い直し、川岸へと馬を走らせる。
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川面を照らす夕日が、血と汗に濡れた顔を赤く染めていた。
背後では、趙雲が追手を翻弄し、なお戦っている。
「子龍、行くぞ!」
「兄上、無事か!」
「お前もな」
阿斗を抱きかかえ、兄弟は馬を並べて川を渡る。冷たい水が甲冑の中に染みるも、背負った命の重さが二人を進ませた。
長坂坡の地に残されたのは、倒れた敵兵と、雷鳴のように響いた兄弟の名声だけだった。
その夜、劉備は無事戻った二人を見て涙を流し、こう言った。
「趙雲は命を捨てて子を救い、趙嘉は雷を裂いて道を拓いた。我が恩人にして、兄弟の誉れなり!」
趙嘉は静かに微笑み、ただ一言、弟に囁いた。
「まだ終わりじゃない。俺たちの戦は、これからだ」