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「…今日も現実が来てしまった」
毎朝目覚ましがなる度ほぼ同じことを考えてしまう。小さい時は朝はそんなに悪いことではなかった。別に今もなにか絶対に自分にとって不都合なことが起こるとかそういうことではない。だが今日はすごく嫌な予感がしてならない。こういう直感は当たる自信がある。これは昨日から感じていたことだ。このことから、私はいつも頭の中で終わらせるいつもの考えをわざわざ口に出したのだ________。
ところで私こと山口 真昼のそれはそれは不毛な人生を少し紹介しておこう。
私は誠に教育熱心な両親に育てられた。物心着く頃にはピアノ、英会話。小学校から高校では塾に通わされていた。私自身も両親の期待に応えられるようにできるだけ自分を勉学に捧げた。そのおかげで中学の時には学年1位を3年間死守していた。
だが捧げすぎて友人関係を疎かにして3年間ずっとぼっち生活。別に友達がいなくても困らなかったがたまにグループを作る時にこっち来んなよという目が辛かった。心の弱い私はそれにとても恐怖していた。だからグループになりそうな授業の時はよくトイレに籠った。クラスメイトはその私を嘲笑うかのように休み時間によく可哀想と称して私のそばで私の話をしていた。おかげで心はボロボロで朝が来る度に絶望していた。冒頭に言ったのと同じように。また、何かモヤっと嫌な感じがした時ほとんどの確率で大きなことが起こる。
例えば社会見学の日、休憩中にいきなり折れたクラスメイトの鉛筆を見てモヤモヤした。案外私だけ1人帰り道に水溜まりを踏んで走っていく車に水溜まりの水を浴びさせられた。もちろん周りはコソコソと笑っていた。辛い。
私はそういう不毛な体験をたくさんしていくうちに悪いことが起こるより何も無い方がいいと無意識にそう感じるようになり、他の人より挑戦や競うことを好まずむしろ避けるようになっていた。目立つことはせず目立つものにも近づかない。つまらないけどしょうがない。受験では先生に「この成績ならK高校に進学してもいいんじゃないか」と勧められ、県内上位の進学校の入試を受けたのだった。正直余裕だと思った。だから受けた。
当日の朝も家を出るギリギリまで復習し、完璧にして家を出た。でも何かモヤっとしたものが心に残る。私はそれをあまり気にせずいつものように歩き出した。家から高校は少し遠く、歩いて30分くらいのところだった。あと半分くらいの距離まできたとき途中で、何かすぐ後ろで大きな音が聞こえた。振り返ってみると小学生が猛スピードでこっちに向かってきて、私にぶつかった。私はその衝撃で手首を怪我した。しかも利き手である。でも今日は大切な入試で、追試はあるができるだけ早く終わらせたい。そのため小学生の無事を確認してから気にせず高校に向かった。だが入試の途中から酷く痛み出した。見てみれば人目見て分かるほど紫色に変色しすごく腫れていて、痛みのせいか試験にも集中できなかった。試験管の人にも心配されたが大丈夫と返して自分を奮い立たせ最後まで乗りきったのだ。結果はダメだった。やはり手首の怪我に相当気を引っ張られていたのだろう。塾の先生に謝る母を見たときの罪悪感はそりゃあすごい。何より悔しかった。またクラスメイトに落ちたと可哀想とわらわれるのが。きっとこれが私の心の中での更に大きなヒビになった。
それから高校は滑り止めであるところに進学し成績も上位をキープ。幸い友達は同じような幼い頃から勉強をたくさんしているような、でも少し不真面目さも兼ね備えた子と仲良くなった。友達が出来た私はぼっちと言われ注目されることも無い。私はその子と弁当も休み時間も一緒に過ごしていた。それが始まりでもあった。音楽にハマるきっかけである。
彼女もとい由奈はよく私に好きな音楽を紹介してくれた。ツボが私と似ているのか、私も由奈の紹介してくれた音楽を勉強中に聞いたりして感想を言いあって仲はすごく近くなった。また私は教育熱心な両親の重圧や受験で失敗した辛い記憶から逃れるように色んな音楽を聴きまくり、いつしか音楽は私の心の支えになっていた。でも逃げても現実はそこにある。朝を迎えると絶望するのは変わらない。
______時は流れ受験期になった。周りはそろそろ自分の進学先をどこにするか迷い、早い人はもう学校が決まっている時期だ。私はずっと前から決めていた推薦入試を受け、無事合格。まあ、当然だった。成績はずっといい所をキープして絶対受かるところを選ぶ。両親にはもう少し上のところを受けて欲しいと思われたみたいだが、前みたいに不測の事態が起こって人生を棒に振りたくない。塾の先生は賛成してくれたのでそれで納得してくれたけど。何よりその選択は嫌な予感がした。私は傷つきたくないのだ。つまらない人生。ただし悪いことは起きない。これでいい。挑戦はしない。目立たない。苦しいけど。
大学に入るとみんなサークルやらバイトやらで思い悩みながらも新しい生活にワクワクしていた。由奈も彼氏ができるかもと浮き足立って話していた。私も何かこの今までのつまらない人生変わるかもしれないと少し期待した。
大学生活では一人暮らしが始まり、受験は成功し、親の重圧はもうない。私を縛るものは何も無いのだ。なのに何故か朝に絶望するのは変わらなかった。よく考えるうちに私は気付いたのだ。私が今まで絶望していたのは親の重圧とか受験の失敗とかではなく、自分のつまらない人生自体なのだと。私は音楽を聴くという趣味がある。由奈という大切な友達もいる。自由もある。それなのにいつも私の中には平穏に過ごすのが1番でいい生き方はそれだけ。その考えが根底にあり、その考えから逃れたい私が逃げられなくて絶望しているのだ。結局自由から縛っているのは自分だった。そんなことに気付いて大学生活をなんとか楽しむために買い物をしたり初めてカラオケをしたりして工夫したが、変わらず無駄に終わった。その時は楽しいのにそれは現実逃避に他ならなかった。
そしていつもの朝、絶望する朝が今日も来た。だけど今までにないほど久しぶりにモヤモヤした嫌な感じがする。より一層の絶望だ。何が起こるのか不安でならない。その気持ちのまま大学へ向かったのだった。
今日の授業も変わらずいつもの席で大学に入ってからできた友達である舞も同じいつもの私の隣の席に着く。教授も周りもつまらなそうな顔して、私もつまらないなあと思いながらぼうっとしながら講義を聞く。疲れて周りを見てみれば隠れてスマホで動画を見たりしたりしている。私も一度好きな音楽を聞いてみたがつまらなすぎて唯一好きな音楽さえ質が悪くなりそうでやめた。あと少しで講義が終わるというところでいきなり大きな音が響いた。音の元を見てみればドアが開き1人の黒髪の少し顔の整った青年が忙しそうに入ってきたのが見えた。
「あなたこれで何回目ですか。さすがにこんなに繰り返されると単位が危ないですよ。」教授がいつものつまらなそうな顔ではなく少し怒ったように言った。
私はその光景を見て少し面白くなったなと性格悪だなと感じながらそう思った。その青年は私も見覚えがあった。別に前に会ったとかではなく今みたいに遅刻魔として知っていた。また変わり者として大学ではとても有名だった。
沢山あるが1つエピソードを上げるとしたら大学の食堂で舞と味噌ラーメンを食べていた時いきなり大きな声で歌い出した人がいた。私はその時びっくりして好きな具材のメンマを丸呑みしてしまった。音の方向を見てみれば例の青年だった。それが初めてこの目でその青年を見た時だったが、噂は聞いていたので初めてでも噂の人だとわかった。顔は整っているが変わり者すぎて誰も近付かない。それが噂の概要だ。その必死にでも少し解き放たれたような顔で歌う姿を見て絶対関わりたくないと思いながら、その時も少し面白いなと感じていた。思えばそのとき私は彼が羨ましいと憧れもあったのかもしれない。自由から縛れ平穏を望む私にとって彼は対極にいて、理想だったから。まあ、絶対に関わりたくないが。
さて話は元に戻る。
「すみません」と彼が申し訳なさそうに言った。
その様子を見て私の隣にいる舞が
「あの人いつも遅れてくるけど、女性用風俗で働いてるらしいよ。遅刻の原因もそれじゃないかって。」そう私の耳元で囁いてきた。少し周りを伺うと私たちと同じように周りもこそこそと話しをしていた。騒ぎの元である彼の姿が私の中学の頃と重なる。ずっと見ていたらふと彼と私の目があった。私は気まずくてすぐに目を逸らした。彼もすぐ元の位置に視線を戻した。
「せめて遅れてきた理由を言いなさい。何度も遅刻するのは理由があるんでしょうね?」そう言われた彼は必死に考えて焦っているようだった。明らかに誰が見ても言い訳を考えている風にしか見えない。
「…はい。…アルバイトをしていて遅れました。」絞り出した彼の答えを聞いて私は先程の舞の話を思い出す。
「これからは日程を調整してバイトするように。」と彼は大学生にもなって至極当たり前なことを大勢の前で指摘されたのだった。教授も呆れていた。青年の肩は普通の人より少し広いがそれが今は小さく見えた。その時、講義の終わりを知らせるチャイムがなった。チャイムが鳴り終わる前から周りが荷物をまとめるためガヤガヤとうるさくなる。
「今日はこれで終わります。あなたは気をつけるように」そう聞いたのを最後に友達と教室を出た。その日はこの出来事以降特に何事もなく終わり、私も拍子抜けした。家に帰ってからも無事に布団についた。珍しく直感が外れたのだろうか?まあいい。とにかく寝よう。
_____今思えば彼を見た事がその出来事だったのかもしれない。
翌日、午前中の諸々の用事を終え午後は体が空くので由奈と遊ぶ約束をしていた。お互い違う大学ともあってなかなか会えなかったが、やっと久々に顔を合わせられる。改めて由奈に待ち合わせ場所の確認をしようとメールしようとした時、携帯がないことに気付いた。カバンの中を念入りに探る。それでも四角い感触は無い。必死に最後触った時を思い出す。確かさっきは大学の図書館にいたはずだ。めんどくさいがとりあえず戻ろう。
大学の図書館に着き、座っていたテーブルにあった携帯を無事に取り返しメールをする。待ち合わせの時間にはまだ余裕があり場所もそう遠くないのでゆっくり歩き出した。歩いている途中すれ違う大学生から
「やばくね?あれ」「無視しよ。でもやばいね」と何かあった感じの会話が聞こえた。そのまま先を見てみると道行く人がひとつの場所を見ながら歩いて行くのが見えた。私もそこまで行って見てみると、昨日の例の彼が少し人影の少ないベンチの上で寝袋を敷き周りに服やらなんやら色んなものを散らかしているのが見える。まるでそこで生活するかのようだ。彼はその上で寝転がっている。こいつ何してるんだろう。少し言葉が汚くなったがそう思わざる終えない。微動だにせず仰向けに寝ている彼を見て、本当に寝ているのか気になって普段は絶対にしないのに好奇心で少し近寄って顔を覗き込む。彼の顔の上に私の影がさす。そのせいか、彼の目が開いた。「うわっ」私は咄嗟に離れて尻もちを着いてしまった。彼は起き上がって座り込む私を見た。そして少し間を置いて
「…同じ講義受けてるよね?」とマイペースなことを言った。私も私で反射的に思わず
「はい。」とびっくりしたまま答えた。更に彼は
「いきなりなんだけどさ、住んでるところ分けてくれない?ほら同じ講義受けてるからそのよしみで。」と続けた。それを聞いた私は頭が言葉を受け入れずしばらく固まった。「え、え?どうゆうこと?」と頭の中の内容が思わず口に出たら
「俺の事住まわせてくれない?家賃払えないけど、料理とか食費受け持つから」とサラッとした態度で言い直す。あまりにも衝撃的なことをなんともないように言うのでそれを見て少し面白くなってしまった。自分も自分でおかしい。まあ答えは当然NOである。平穏を望む私にとって彼は天敵であり、なおさら一緒に住むなんて今までの平和な大学生活、いや私の人生が脅かされかねない。しかも食費だけかよ。いや別に私が家賃払ってるわけじゃないけど。お前の負担少な。あと、何のよしみやねん。なのに私はいつの間にか「いいよ」と少し笑って言っていた。彼も自分のお願いが通じると思ってなかったのか「え?いいの?本当に。ありがとう!助かったー」と本当に安心し嬉しそうにしていた。私はそれを見て自分はとうとう気が狂ったなと思い、自分自身でも私の判断にたくさんのハテナを浮かべていた。でも同時に心底、やっと縛っていた頑丈すぎる鎖のような考えから逃げられるかもしれないと懲りることなく期待していた。
このような変な形でヘンテコな彼との歪な共同生活が始まった。