第参拾捌話 現実 ▲
どうして、気づいてしまったのだろう?
気づかなければ幸せな事もきっとあったはずなのにと、朱鷺田は幼い時もそうだが今でもそう思っている。
深夜、彼は幼い頃の夢を見ていた。彼にとっての悪夢の始まり。
4歳の時、母親から父親と会った時の事を聞かされた。
母は何処か切なそうにしながらも嬉しそうに「お見合いで趣味がお互いに絵画鑑賞だって知って。この人となら大丈夫。そう思って結婚したの」その話を聞いて朱鷺田は目を輝かせ素敵な両親だと。
自分も将来はこんな素敵な家庭をとそう思っていた。
しかし、現実は違っていた。
自分が生まれた。いや、孕った時にはもう父親の気持ちは母親にはなく。仮初の家族を他の場所で作っていた。
愛人や隠し子がもう既にいたのだ。
母親は実家からも離婚して戻って来なさいと一種の逃げ道を作ってもらっていた。
しかし、身重である事を理由に家から離れる事も出来なかった。
縁が生まれてからはもっとだ。
朱鷺田家の嫡男が生まれた事によってその母として逃げられなくなった。
縁の名も女児を意識して事前に母親が決めていたらしい。
何故なら、女児なら後継ぎにならず逃げられるから。
子供は両親にとっての鎖とも言うが、その役割を最悪の形で彼は引き受けてしまった。
子供は大人が巧妙に隠しても良く見ている物だ。
母親が自分の知らない所で静かに泣く声、父親が他の女性と電話している声、尊敬していた父の悪口を言う秘書。
それが幼い縁には重くのしかかった。
「もし、自分が男じゃなかったら?もし、自分が女だったらこんな不幸は招く事はなかった」そう背負わなくていい責任を朱鷺田はずっと抱えていた。
するとどうした事だろうか?幼い彼は少女としての振る舞いを始めてしまった。
「かあさま!みてみて!ゆかり、かわいい?」
「...!?えぇ、とても可愛いわ縁さん。お洋服、家政婦さんに選んでもらったの?今度、百貨店に一緒に買いに行きましょうか?」
「うん!ゆかりね、おままごとがしたいの。あと、おにんぎょうもほしい!かあさま!かって!」
「まぁ、うふふ。縁さんが我儘を言うなんて珍しい。分かりました。一緒に買いましょうね」
本当はそんな事どうでも良かった。
いや、本音を言えばこんな事したくない。しかし、両親のどちらかに縋らなければ自分は生きていけない。
朱鷺田は母親に依存し、日々を過ごして来たが新しい依存先が出来た。それが旭だった。
旭は朱鷺田にとって、常に道標で正しかった。
朱鷺田にとっての正義だったのだ。
しかし、出会いは純粋な物だったと朱鷺田もそうだし旭もそう思っている。それは2人が5歳の時だった。
元々、2人の父親は学生時代の知り合いで友人関係だった。
銀行が経営破綻した後、朱鷺田家は本間家を援助しその代わりに自分の子供の合わせたい。朱鷺田と旭を引き合わせたのだ。
女児の姿をしていた彼を父親は良く思っていなかった。
同じ年頃の子どもと合わせれば、自然と元に戻るだろうと。
しかし、彼は大人もそうだが子供にも心を開く事はなかった。
何故なら愛人や隠し子を連れて来たと思ったからだ。
旭が選ばれた時点で18人目。他の子供達は彼と会う前に帰ってしまうのだ。縁が心を開かない故に、対面すらあり得なかった。
しかし、旭は違った。元々、従姉妹の椿の為に朱鷺田家に招待されたのを利用してお菓子をもらおうとしていたからだ。
その様子を近くの襖に隠れながら朱鷺田は見ていた。
なんだが、自分と一緒だなと思ったのだろう。
本当に苦しい時、特に自分が苦しい時に大切な人の事をどれだけ思いやれるか?これを壮絶な過去をもつ朱鷺田は見ていた。
旭はそれに応えてくれた。自分の実家が破産し、自分だって甘くて美味しいお菓子が食べたいだろう。
しかし、自分よりも従姉妹の気持ちを尊重して朱鷺田の母親にお願いをしに来たのだ。
朱鷺田も母親の為に女児の格好をし、振る舞いまで真似ていた。
自分を犠牲にしていた。それは否めなかった。
朱鷺田は勇気を出して、隠れていた襖を開け旭と対面した。
これが彼らの出会いだった。
「ねぇ、あさひ!あのね、ゆかりのおむこさんになってほしいの。ダメ?」
出会いから数日で朱鷺田は旭に心を開き、2人で飯事をしている時にそんな言葉を口にした。
しかし、旭からの返答はなかった。これに朱鷺田は不安になってしまい近くのぬいぐるみをギュと握りしめていた。
ただ、朱鷺田も本気ではなかった。何か自分と旭と繋ぎ止める物が欲しくてそういっただけ。
そうでもしないと心が壊れてしまいそうだったから、母親より旭に依存する方が自分にとって楽だったのだ。
「...えっと、ゆかりちゃん。ひだりてだして」
「?」
そのあと、旭は近くの花を摘み指輪を作ってその小さな薬指にそれをはめた。
これには目の前の朱鷺田もそうだが、夢を見ていた朱鷺田も嬉しそうに幸せそうに笑っていた。
以前、母親の高そうな宝石が嵌め込まれた婚約指輪を見た事があったがそれ以上に価値がある物だと幼い彼は嬉しそうにその指輪を見ていた。
朝6時、朱鷺田は目を覚まし。何もない左手を見て溜息をついていた。
「...夢か。まぁ、良い方だったんじゃないか」
そんな感想を言いながら身支度をしようとクローゼットを開けているようだ。
しかし残されたのは黒の羽織に、濃い空色の着物。銅色の帯だけだった。
「...あっ、洗濯するの忘れてた。これ、嫌なんだよな。色も地味だし。男物っぽくて。いや、全部そうなんだけどさ」
昔から彼は白や緑など明るい色を好んで着ていた。
旭の側で美しく着飾る事が何より好きだったからだ。
実際に美人だと旭が言ってくれるのだから尚更。
彼の自慢でいる事が、自分の使命だとそう思っていた。
しかし、カレンダーを確認し今日が会議の日だと分かると溜息を吐きながらそれを取り出した。
「掃除も全然してないな。少しだけしておくか」
割烹着と三角巾を付け、部屋の掃除と朝食の準備をするようだ。
幼い頃から飯事をしていた彼にとって、家事に抵抗があるはずもなくむしろストレス発散になると好んでやっていたようだが旭がいなくなった事により。それもまともに出来ていない状態が続いた。
この前の晩餐会でやっと自分の出来る事が見つかり、先に進めたと彼は思っているようだ。
「谷川まだ起きてこないな。自分で目覚ましかけるとか言ってた癖に。...まさか」
そのあと、朱鷺田は不機嫌な表情で彼女の部屋に向かった。
「谷川!!起きろ!!」
部屋の障子をパアンッと勢いよく開け、大声で彼女を起こす。
「うーん、何?トッキー、谷川さんの営業はもう終了しているよ?」
部屋には薙ぎ倒された目覚まし時計と彼女を覆うように作られた幕【毘沙門天】があった。
毘沙門天には様々な効果があり、防御もそうだが身を隠す為に透明マントのように周囲の背景と同化したり、防音も可能なのだ。
谷川は目覚まし時計の煩さに嫌気がさし、毘沙門天で自分を覆ったのだろう。
朱鷺田は呆れながら布団に包まる彼女を見ていた。
「トッキー言うな。お前に言われると何か変な感じがする。今日が何の日か知らない訳じゃないだろう?ただでさえ、周りの運び屋から孤立してるんだ。顔出しぐらいしないと、組織で生きていけないぞ」
「そんな事ないと思うけどな。案外、人って周りの事見てないと思うけど」
再び寝ようとする谷川を朱鷺田は布団から引きずり出し、居間に連れて行こうとする。
先日、彼女も火災で忍岡におり普段動かない事もあって避難誘導などで疲労困憊してしまったのだろう。
谷川は気まぐれな所もあるので、会議より自分の就寝を優先したいようだ。
「朝飯、白米とパン...いや、白米だな白米にしよう」
朱鷺田はテキパキと朝食の準備を始めている。
しかし、それを邪魔するように居間にいた谷川は声をかけた。
「お酒は?枝豆は?今日、なんか暑いなスイカ食べようよトッキー」
「朝飯だって言ってんだろ!!あっ、間違えて3人分用意してしまった」
朱鷺田があたふたしながら、旭の食器を戻そうとすると谷川が近寄って来た。
「トッキー、また?それ、結局食べるの谷川さんなんだからね。いつになったら、旭との約束守れるの?「俺がいなくても大丈夫だと思えるまで運び屋復帰しない」って言われたでしょ?」
「...分かってる。分かってるよ、でも俺にとって旭は大事な相棒なんだ」
どうやら心配になったのか、谷川も朝食の準備を手伝うようだ。
しかし、朱鷺田の格好を見てある事に気づいた。
「トッキーがその色の着物着てるの珍しいね。良いじゃん。谷川さんもお揃コーデにしよっかな。確か、夏服であったと思うんだよね。後で出しとこっと」
「なんだよ、勝手に真似するな。自分で決めるのが面倒くさいだけだろ。いつもそうだ。好きな色は?って言われて「みどり君と同じ」って言って。本当は黄色が好きな癖に」
「だって、望海ちゃんも黄色が好きって言うんだもん。なんか、言うの恥ずかしいじゃん。少しは谷川さんの乙女心を理解してよ」
「嫌だね。お前の好きな少女漫画を読んでもさっぱりだった。旭の方が絶対にカッコいい。皆んな見る目がないんだよ。本当に目ん玉ついてるのか疑問に思うね」
何処か気持ち的に卵焼きを作る為に生卵をかき混ぜる手が力強く見える。その状況に谷川は堪えながらも笑っていた。
「トッキー、前向きに考えようよ。旭を独り占め出来るってさ。なんだっけ?5歳の時に唾つけてるんだっけ?怖いね、男の娘って奴は」
「返事はもらってないけどな。...指輪はもらった。今日はその時の夢を見てたんだ」
「ふーん、指輪ね。あっ、谷川さんちょっと洗車に行ってくる。綺麗にしてくるよ。作り終わったら、ご飯ちゃぶ台の上に置いといて」
「はぁ!?意味のわからない事言うな!?な、なんの隠語だ?化粧か?着替えか?」
谷川にとっては適当に考えた言葉なのだが、朱鷺田は深く考えているようだ。
彼女は自室に戻り、無線機である人に連絡を入れている。
「グッドモーニング、旭!流石にもう起きてるよね?」
「あぁ、今日も壁に阻まれて朝日は拝めそうにないけどな。今日は会議の日だろ?期待してるぞ、鞠理」
「ふふん、任せてよ。と言いたい所なんだけど、谷川さん。転職しようと思うんだよね。やっぱりさ、運び屋は給料がいいけど危険だし。何より、やりがいある仕事を見つけてさ」
そう言うと旭は笑い出した。
「まぁ、鞠理なら何処でも大丈夫だろ。器用だしな。何になりたいんだ?自宅警備員か?」
「秘密。じゃあ、また後で無線繋げるからさ。11時頃かな、また連絡するよ」
そう言って谷川は旭との会話を終えた。
朱鷺田と谷川が協会に向かうと、周囲からヒソヒソ話が聞こえる。
町長の息子で、しかも長年会議に顔を出していなかった朱鷺田が来たのだ。周囲も驚くだろう。
「良かったね、トッキー。これで谷川さん達もスターの仲間入りだ!」
「ある意味な。俺なんか、昔と姿も違うし知り合いも少ないしな。浮いてても仕方ないか。谷川、終わったらすぐ帰るぞ」
「えぇ!?折角来たんだからお寿司とか食べようよ!あと、キャラクター雑貨とか見たい!お菓子も!」
「子供か!?いいや、デカい娘だったな。失礼した。行くなら後でな」
そう呆れながら会議室に向かうと数人が朱鷺田達の方を向き、目を見開いている。
そんな中で穏やかな表情で声をかけて来たのが山岸だった。
青葉もそうだが、朱鷺田や旭も彼と同期である。
「朱鷺田、久しぶりだな。顔が見れて嬉しいよ。でも、お前...その格好」
その言葉に朱鷺田は切ったばかりの自分の髪を触る。
まぁ、昔の彼らしくないと言われればそうだし。朱鷺田も悲しそうにしながら頷いていたが、山岸から斜め上の発言をされた。
「あぁ、やっぱりか。信じたくなかったけど、朱鷺田がこれだもんな。見た時、未亡人っぽいなと思ったけど嘘じゃなかったって事か」
「おい!!誰が未亡人だ!!旭はまだ死んでないぞ!!」
「そう言う所だよ、トッキー。グズッ、山岸ちゃん聞いてよ。旭、夜中に後ろから包丁で刺されて死んじゃってさ」
「あぁ、やっぱりそうか。なんか、ごめんな。空気も読まずに、こんな緑の格好して。ずんだ餅みたいだよな」
そんな会話を爆笑しながら当の旭は屋上庭園でその会話を聞いているようだった。
「おい、勝手に俺を死なせるなよ。と言うか、未亡人ってトッキーどんな格好してるんだ?昔は若妻だったって事か?なんかそう見えるからやめてくれ」
そんな会話をしている時にソロっと1人の少女が話に加わる。
「あの、旭さん無事なんですか?良かった。アタシ達、ずっと探してて。こう言うのって朱鷺田さんとかに聞くのが1番いいとは思ってたんですけど。中々、聞きづらくて。アタシ、成瀬希輝って言います。旭さんに憧れて運び屋に入ったんですけど、会えなくて」
そう言うと朱鷺田は目を輝かせる。
旭の魅力を理解してくれる仲間に会えたからだ。
「もしかして、浅間の後輩の子か?彼女もいい後輩を持ったな。旭はたまに家に顔を出してくれるんだけど、俺でも中々口を聞いてくれなくてな。何か隠してるのはわかるんだ。でも、それを話してくれない。元々、彼奴は口は硬いしな」
しかし、その情報があるだけでもいいと希輝は笑顔で頷いていた。
「それだけ分かれば十分です。ありがとうございます。でもどうしようかな。小坂まではやっぱり範囲を広げたいよな」
その言葉に朱鷺田は困惑した。
範囲を広げるなどそう簡単に出来る物ではない。
自分達だって開業した時は協会ではなく氷川で仕事をしていた。
この短期間であっさりと範囲を広げるこの少女は何者だと朱鷺田は驚愕した。
「なんか、俺がいない間にインフレが起こってるな。鳥籠でぬくぬくとしているうちにおいて行かれてる気分だ。本当に自分はダメな奴だな。旭にこの組織を託されたのに」
その言葉に山岸はにこりと笑った。
「いいじゃないか。その気持ちはきっと旭にも届いてるよ。朱鷺田、もっと全体を見てくれ。少しで良い、2人だけじゃなくてもっと色んな人に頼って良いんだ。お前たちは2人じゃない。旭もそうだし、沢山の仲間がいる。俺達も助かるんだよ。特にお前は町について詳しいしな。顔を広いし。何より人気者だ。頼りにしているよ。じゃあな」
そうして、山岸は自分の席に戻るようだ。
他のメンバーも自分の席にいるようだが、いつもより椅子は多いのと以前見かけた望海達が到着していないようだ。
「あれ、珍しいな。児玉さん達いないのか?」
「トッキー、ほら全区で火災があったでしょう?肆区の人達も呼ぼうって事になったんだって。多分、その人達を今連れて来てるんじゃないかな?」
「そうか、じゃあフルメンバーとは行かなくても大体は揃うんだな。残りは旭と青葉と...確か肆区でもう1人か。この懐中時計を持ってるのは。くるのかな、全員揃う日なんて」
「大丈夫だよ、少なくとも谷川さんは信じてる。皆んなが揃う日を」
珍しく真剣な表情で谷川は言うので、朱鷺田は自身の懐中時計を見ながら頷いていた。




