愛と哀しみのスーパー銭湯大戦
自分のアパートの風呂が壊れたので神室と銭湯に行くことにした。友人の神室もまた安いアパートに住んでいるが、奴も自分のところの風呂が壊れたというのだ。偶然というものはあるもんだ。
二人で馴染みの銭湯に行ってみるとなんと『廃業』という貼り紙がしてあった。
「これは残念、時代の波というやつか」
「しかし澤村、どうする?別の銭湯に行ってみるか」
「いや、近くに黒沼が住んでいる。あいつの家の風呂に入らせて貰おう」
俺と神室は共通の友人、黒沼のアパートに向かう。黒沼は我々の仲間内では『身体と金に汚い男』として知られ、滅多に風呂に入らないことと借りた金を返さないことで有名なのである。
「あいつのアパートの風呂か…滅多に使わないだろうからカビでも生えてるんじゃないのか」
「ちょうどいいから金を返させて、渋ったら風呂を洗わせよう」
「うん。いい考えだ。銭湯代も浮くし、うまくいけば金が返ってくる。あいつの体もきれいになる。いいことだらけだ」
黒沼は夕方近いこの時間にもまだ昼寝をしていたようで、眠たそうな顔で俺たちを迎えた。
「やい、黒沼。トリックオアトリートメント?」
「神室、意味不明すぎる。金を返すか、風呂を掃除して俺たちに貸すか、それとも石橋教授の授業で教授に向かってロケット花火を撃つか、どれか選べ」
黒沼はハアとため息をついて俺と神室の顔を交互に見た。
「つまり風呂掃除の一択ということだな」
神室が笑う。
「その間に俺はビールを買いに行く。澤村がこの肉を」
神室がスーパーの袋を持ち上げた。
「ミディアムレアーに焼く。風呂上がりにみんなで飲もう」
黒沼も相好を崩す。
「仕方ない。俺風呂洗うお前たち飲む準備俺喜ぶハウ」
話がついたところで俺と神室がアパートにあがると、同時に黒づくめの男達10人がドアからなだれ込んだ。
「ユウッ!」「ユッ!」「ユウッ!」
「わあ。なんだ。お前達は」
黒沼が叫ぶ。
「何だ何だ。借金取りか、何かのドッキリか、黒沼」
神室がビール瓶を身構えながら言うが、青い顔の黒沼が頭を振って否定する。
謎の男達は全身を真っ黒のタイツで覆い、顔は覆面レスラー的なこれも真っ黒なマスクで隠している。
「俺はこういうのを見たことがある。仮面○イダーのショッ○ーだな。コスプレーヤーか!?」
「ちがーう!」
タイツ男の集団の後ろから部屋に入ってきたのは鎧兜をまとった中年の男である。よく見ると兜には金色の温泉のマークがついている。俺は思わずつぶやいた。
「…変態」
慌てた声で兜男が言う。
「違う!我々は風呂ショッカーだ!全員整列!」
「ユウッ!」
タイツ男達がサッと一列に整列する。玄関に10人も入れるわけがないから、居間にまで土足で並んだ。
「わあ、靴を脱げよ。っていうか何だお前ら、出て行ってくれ」
黒沼が抗議するが、温泉兜の男はそれを無視して俺たちに名乗る。
「私はドクターヘルス、風呂ショッカーの幹部だ。本日はこのアパートの風呂を接収することに決めた。文句を言わずに明け渡せ」
俺たちは3人ともあまりのことに呆然としている。ようやく神室が言葉をしぼりだす。
「えー、あなたたちは…ふ、風呂ショッカー?」
「ユウッ!」
タイツの男達が一斉に叫んだ。そうか、風呂だけに『ユウ』なのか。神室が続ける。
「そしてあなたは風呂ショッカーの幹部でヘルスさん?」
「違う。ドクターヘルスだ」
「それは…安いデリヘルみたいな、いや健康的なお名前で」
神室が妙な感心をするが、俺も黒沼もまだ口がきけない。
「ところで後ろの方々は…」
「ヘルショッカーの銭湯員である!」
「ユウッ!」
「戦闘員?」
「違う。銭湯員であるっ!」
「ユウッ!」
だんだん馬鹿馬鹿しくなってきた。俺はドクターヘルスを見て抗議した。
「あのね、今から俺たちはこいつの家の風呂に入って、それからビールを飲んで焼き肉を食って酔っ払って哲学とか政治とか助平な話とかで盛り上がる予定なんです。なんのつもりか知りませんが邪魔しないでいただきたい」
「馬鹿モーン!」
ヘルスが頭の兜から突然湯気を噴射させた。熱い蒸気がなぜか黒沼の顔に噴き掛かった。
「うわ。あちちちちち、ひどい」
アパートに変態達が押し寄せるわ、顔に熱い蒸気を吹きかけられるわ、気の毒な男だ。神室が黒沼を見て笑ってしまっている。どっちの味方だかわからない。笑いながら神室が訊く。
「で、何するって?」
すでに友達の口調だが、俺もこの一味が何しに来たのか、聞き漏らしていた。
「お前達はそこの銭湯を見たか?」
ヘルスの質問に俺は答える。
「廃業してましたね。残念なことです」
「残念で済ませられる問題ではなーい!」
再びドクターヘルスが怒鳴って兜から熱蒸気を噴射させる。それはまたしても黒沼の顔面を直撃した。
「アチチチッチ!ひどすぎる」
思わず俺と神室が笑い出し、黒沼が俺たちを睨んだ。ヘルスが続ける。
「この50年で東京都の銭湯は激減、昭和に2500軒以上あった銭湯は今や3分の1の700軒を切っている。我々は人類の文化遺産と言っていい銭湯を守り、増やすために闘っているのだ!」
「ユウッ!」
「本日はこのアパートを取り壊し、ここに新しい銭湯を作ることにするっ!」
「ユウッ!」
黒沼が青い顔になったり赤い顔になったりしながら慄く。
「何と恐ろしい…」
俺と神室は顔を見合わせ、笑いを堪えた。
「別に恐ろしくはないぞ、黒沼。この方達が新しい銭湯を作ってくれるのならば歓迎だ。」
神室の言葉に俺も頷く。
「別に構わないです。どうぞ、と言いたいところですけど、明日以降にしてくれませんか?今日はこいつの家の風呂借りて入りたいんで。俺のアパートもこの友人のところの風呂も壊れてるんですよ」
俺がドクターヘルスに懇願すると、黒沼が真っ赤になって怒り、ヘルスはしれっとした顔で言う。
「そりゃそうだろう。お前達の家の風呂を壊したのは我々だ」
「ええっ?」「なんでまた?」
「すべての人類の家風呂を破壊し、銭湯に入らせるのが我々風呂ショッカーの目的だ」
俺と神室は呆気にとられドクターヘルスを見る。
「道理で同時に風呂が故障というのは不思議だと思ったんだ」と神室。
「銭湯は好きだけど、週に1回、いや月に一回でいいよ。お金もないし」と俺。
ドクターヘルスはもう一度熱蒸気を噴射する。黒沼は神室の後に隠れたが今度は神室の方向に熱蒸気が向いた。サッと神室が身を低くしたせいで、またもや熱蒸気は黒沼の顔面を直撃した。
「ぎゃあっ!熱い!熱いよ」
黒沼のことはどうでもいいが、うちの風呂を壊したのがこの連中というのは見過ごせない。
「何と恐ろしい組織だ。人の家の風呂を壊すとは」
黒沼が顔をおさえながら呟く。
「さっきと言ってることが違うぞ」
神室がヘルスに向かって指をつきつける。
「そんな陰謀は許さないぞ!」
黒沼が凄い目で俺たちを睨んでいるが、知ったことではない。再びヘルスが銭湯員に指示をする。
「さあ、まずアパートを取り壊せ!それから湯船を作るのだ!」
「ユウッ!」
そこにいきなりやって来た男がいる。黒沼の部屋のドアを蹴破って入ってきたのはどこかで見た昆虫のような仮面だ。眉間に温泉マークがあるが。もう部屋はめちゃめちゃ。黒沼が悲鳴をあげる。
「何するんだっ!うちのドア!」
仮面の男は両手をグイッと斜めに伸ばした後、大きな丸をつくりそれからユラユラと揺らした。
「私は仮面ボイラー!ボイラーを壊すやつらは許さない!…ちなみに今のハンドサインは温泉マークだ」
「神室、この話はどうなるんだ。収拾がつくのか。いくらでたらめだって、限度というものがあるだろう。このヒーローっぽいのは、あきらかにもう変態だ」
「澤村、たぶん作者はこの手の悪ふざけをやりたいだけで、ここまで書き進めている。あきらめろ」
仮面ボイラーが俺たちの会話を聞いて怒鳴った。
「誰が変態で悪ふざけやねん!仮面ボイラーだ」
そして今度はドクターヘルスの方に向き直る。
「風呂ショッカー、そしてドクターヘルス、人の家のボイラーを破壊して回るとは言語道断!天に代わって成敗してくれる!」
黒沼が泣き声をあげる。
「いい加減にしてくれ。余所でやってくれ、その闘い」
確かに近所迷惑にもほどがある。俺はさすがに黒沼が気の毒になってヘルスとボイラーに問いかける。
「なあ、どっちみちお前ら風呂が大好き同士だろ。ちょっとあっちの公園かどっかで話し合ってきたらどうだ」
神室も頷いて二人と後ろの軍団に声をかけた。
「そうだそうだ。よく考えたら完全に価値基準が対立してるわけではないよな。風呂が好きな人々だ。しかも両方コスプレ好きな変態同士じゃないか。仲良くしろよ」
言わなくてもいいことを言ってしまい、両方から睨まれた。
そこに現れたのは灰色の作業服を着た3人の男達だ。もうこれ以上登場人物が増えるのは勘弁して欲しい。
「お前達、誰もそこを動くな。GHQだ」
土足で上がり込み、なぜか左右二人の男が持っていた消火器を噴射した。
「うわっ!何をする」「ぎゃっ!真っ白だ」「俺のアパートが!」
俺たちがそれぞれ悲鳴をあげ、真っ白になった顔を見合わせる。
「何ですか。あなたたちは?」
代表で俺が訊ねると3人のうちの真ん中の男が説明する。
「ガス普及協会のものだ。略してGHQ」
「ガス普及協会…だったらGHKでは…?」
黒沼が呟くと左右の二人が再び黒沼に向かって消火器を吹きつける。
「うわああっ」
前が見えなくなった黒沼が転倒してスネを食器棚にぶつけ、ものも言えずにのたうち回る。
「GHQ協会だ」
絶対GHQって言いたいだけだ、こいつら、と思ったが消火器を吹きつけられそうなので口を閉じた。仮面ボイラーはファイティングポーズをとって、GHQの3人に向き合った。
「そのGHQが何の用で、この小汚いアパートに来たのだ!」
「小汚いって言うな!」
黒岩が泣き声で言うが、もう誰も聞いていない。不憫だ。ドクターヘルスも声をあげる。
「部外者は黙っていてもらおう!」
「ここにいる者で部外者でない奴がいるか?私たちはガス機器をぞんざいに扱う者に天誅を下すために来たのだ。そこへなおって制裁を受けよ!」
「おい、澤村。黒沼は部外者じゃないよな」
「神室、もういいからほっといて隣町の銭湯へ行こうぜ」
「うむ。そうしよう」
こそこそ逃げようとした俺と神室を見てドクターヘルスが叫ぶ。
「逃がさんぞ!銭湯員、やつらを捕らえよ。それから銭湯員リーダー『E・U』は残りを連れてアパートの土台をたたき壊せ!」
「ユウッ!」
「うわわあ、なんだこいつら」
「やめろ、放せ」
「一般市民に手を出すな。風呂ショッカー!とう!ボイラーキック!」
「GHQに逆らうな。噴射!」「シューーーーッ」
「銭湯をここに作るのだったら、作るのだ!」「シューーーーーッ」
「うわあ。真っ白だ!何も見えない!ぎゃあ、熱い!」
最後のは黒沼の声だ。
てんやわんや収拾がつかない騒ぎになっているところへ、さきほどアパートの破壊に向かったEU(いい湯?)が戻ってきてヘルスに報告する。
「ドクターヘルス、あの、出ました」
「何がでたというのだ、EU。」
「温泉がこのアパートの地下から噴き出てきています」
ゴゴゴゴゴという音がして大量のお湯が部屋の床を突き破ってあふれる。
「うわあ。お湯だ」
「温泉か」
「ボイラーパンチ!」
「やめろって」
「俺のアパート、誰が弁償してくれるんだ」
「ユウッ!」
アパートから温泉が出てきて、この場所はしばらくしてからスーパー銭湯となった。風呂ショッカーの経営らしい。湯温の安定のためGHQがガスを供給し、当然ボイラーを仮面ボイラーが担当している。
俺と神室は月に一回はここに入りに来て銭湯ライフを楽しむ日々だ。
そしてこの温泉の権利を主張した黒岩は望み通り、生涯入り放題パスをゲットし毎日のように入浴しているらしい。
この銭湯の名前を『石ノ森フロ』という。
「仮面ボイラー」と「銭湯員」だけで、何も考えず書き進めた結果がこれです。