軽率な行動
「………………」
「いかがいたしました? ファラッド様」
ファラッド=モーリスはアーカムの屋敷を出ると、微妙な表情で沈黙を守っていた。
その沈黙に耐え切れず、宿までの案内を買ってでたロドリゲスが声をかける。
「ああ、いえ。ジルベール様は随分落ち着いていたなと思いまして」
「自分に敬語は結構です。ジルベール様が何か?」
少しだけ緊張したロドリゲス。主人の息子がなにか失礼を働いたのであれば、念のため確認をしておこうと思ったのだ。
「いえ、お披露目に4歳で連れ出されたのも驚きだったが……なんというか、普通に対応をされたので」
敬語は不要と言われたファラッドだったが、思うところがあるのか言葉遣いは崩さなかった。
「早熟と言えばいいんでしょうかね。ジルベール様は」
ファラッドの疑問にロドリゲスも頷く。ロドリゲスの家は家族が多く、小さな子供の面倒もみてきた。
平民の彼には兄弟姉妹が多く、子供がどういうものかを知っているのだ。
「あの方は、なんというか……あまり泣かないんですよね」
「泣かない? 確かにイメージが湧かないが」
ロドリゲスの言葉にファラッドが首を捻る。
「あのくらいの子供になると、こう、感情が不安定というか。何かしら気に食わないことがあると大声で泣いたり、夜中に突然起きてわめいたり、そういうのが当たり前にあるんですけど」
ロドリゲスはジルベールが生まれる前から、それこそアーカムがこの領に来てからずっと屋敷に勤めている最古参の人間だ。
当然ジルベールがどういった人間かを把握している。
ジルベールの世話をするわけではないが、それでもマオリーやシンシアの話を聞いたり、実際に自分で話しかけたりしているのだ。
「確かに、姫様……私が仕えている家の娘も、突然泣いたりすることが時たまありますね」
ファラッドもモーリアント公爵家の執事だ。彼が専属で仕えているサフィーナは今でも、小さな出来事で大泣きしている時がある。
サフィーナの母親は、泣くことを責めずにもっとお上品に泣きなさいと指導し、困惑することがしばしば。
「ジルベール様は手がかかりはしませんし、こちらの言うことを理解している節がありますから」
「理解、か?」
「ええ。ウチの弟やら妹なんかは母親や姉が出かけるって言っただけで大泣きするときがありましたからね。ジルベール様の場合は旦那様方が出かけるって聞くと『いってらっしゃい』とか『お仕事頑張ってね』って言うくらいです」
「そ、そうか。なんかすごいな」
「旦那様と奥様が、ジルベール様を厳しく育ててるってのもありますけどね」
そういうロドリゲス自身は、ジルベールが厳しく育てられていると思っていない。むしろ甘々だ。ただそれ以上に甘やかしていたミドラードがいたので、ジルベールの両親は厳しくしているつもりになっているだけである。
「厳しく、か。辺境の、と失礼。地方貴族の家の子は特に早熟って言われているし、その辺が関係しているのかもしれんな」
「辺境でいいですよ。旦那様方もうちらもこの辺を辺境って呼んでますし」
「そうか。あまり覚えてはいないが、少なくとも自分がジルベールくらいの頃に来客の対応をしろと言われたら泣いていたかもしれんな」
「失礼な話、メイドの一人が対応することになると思ってましたけど。結局出番なかったですな」
「私もだ。まさか話し相手から軍盤の相手まですることになるとは思っていなかったよ」
ファラッドから見ても、ジルベールはそれなりに手ごわい印象を受けた。同年代には定石通りの隊列で、定石通りの動かし方しかしない相手が多いというのだが、ジルベールは自分で考えて駒を動かしていたように感じた。
それに何手か先を見据えたような、早い手も何度か見ていた。
「こちらの宿になります。しかし、本当にお一人で来られたんですね」
「ええ、護衛がいても移動が遅くなるだけですし、この辺りは比較的安全ですから」
「腕に覚えもあるようで」
「それはお互い様でしょう? あ、どこか狩りのおすすめスポットはありますか? 伯爵が戻られるまで暇ですから」
「お客人に危険な場所は教えられませんが、まあ東側の森ならばレッドウルフなどそれなりに襲ってくる魔物がでますよ」
「なるほど」
「それと西側にはいかないようにお願いします。すぐに行ける程度の距離ではありませんが旦那様方が活動しているのは西側ですので」
「了解した。明日は休み、明後日にまた訪問すると伝えておいてくれるか? 昼食後に顔を出すよ。ジルベール様ともっとお話がしてみたい」
「お昼もご用意させましょう」
「それは申し訳ないからこちらで済ませるよ。というか久しぶりに屋台なんかを楽しみたいからね」
「左様でございますか。ではジルベール様にお伝えしておきます」
ロドリゲスが宿まで案内すると、丁寧に頭を下げて去っていった。
ファラッドは、なんとも言えない表情で領主館に視線を向けると宿に入るのであった。
「すまない、聞こえてしまっていた。今の話は本当か?」
ファラッドがアーカム領の領都内をブラブラ歩いていると、少々不吉なうわさ話を耳にした。
「あ? ああ、なんでも南の森にレッドウルフの亜種だか上位種だかが出たって話だ。この辺じゃあ珍しくもない話だよ」
ファラッドはラフな格好をしていたので、貴族とは思われなかったらしい。噂話をしていた領民は特に疑問に思わず、その噂話を伝えた。
「亜種が珍しくないのか。すごい土地だな」
自然と魔力が豊かな土地に住む魔物は、時に進化することがある。亜種や上位種などと呼ばれる存在だ。
その強さは元となった魔物の倍以上、個体によってはまったく別の種となり、想像を超える強さになることもある。
魔物の中では弱い部類にあるレッドウルフだが、上位種ともなるとそれなりに強い部類の魔物になになってしまう。
「まあなぁ、領主様や騎士様方がいれば簡単に倒してくれるんだけど、今は大規模な魔物の群れの対応に行ってらっしゃる。討伐されるのはしばらく先だろうな」
「街から近いとはいっても、南の森には狩人くらいしか行かねえだろ」
「だなぁ、しばらくは狩人連中も森には入らんわな」
「そういや南には錬金術師殿の工房があっただろ? 誰か伝言に行ったか?」
「錬金術師の工房?」
なんとも言えない単語が出てきて、ファラッドは眉をひそめた。
「街に薬やポーションを卸してくれてるおっさんがいるんだが、その人の仕入れ先のひとつだよ。たしか錬金術に使うのに適した水が湧いてるって話でそこに居を構えている人がいるんだよな」
「まあ巡回の兵士が伝えるだろ」
「いや、その巡回の兵士がいねえじゃねえか。領主様と魔物退治だよ」
実際にはいないわけではないのだが、通常よりも巡回の頻度が落ちている。人数が減ったので、街道沿いを中心に回っているのだ。
「ふむ、ならば私が伝えてこようか」
領都を歩き回っていたファラッドだが、そのレッドウルフの亜種に興味が湧いていた。モーリアントの家に戻った時の、土産話にちょうどいいと思ったのだ。
それにレッドウルフが亜種や上位種になっても、自分の腕ならば確実に倒せるであろうという自負もあったので、その役目を負うことにしたのだ。
「いや、一応顔なじみの兵士に話をしてみるから」
「だいたいあんた、道も分からんだろうに」
「何、ただの暇を持て余した冒険者の道楽だよ。道は教えてくれ」
「あんた冒険者か! ずいぶん若いな!」
「なら頼めるか! うちのおっかあがいつも飲んでる薬が森の錬金術師さんが作ってくれてるやつなんだ」
街の人間と談笑し、錬金術師のいるという森の場所、それと錬金術師がいる小屋の場所を聞き出したファラッドは、その日のうちに領都を出発した。
剣と水筒、それと軽い携帯食を持った程度の、軽装だった。




