むきむきとぷにぷに
「勝てぬぞ、父よ」
「クレンディルは軍盤の国内チャンピオン経験者だ。すぐには勝てぬ」
「……なるほど」
あまりにも強いクレンディル先生への愚痴はお父さんに聞かせるのだ。僕の勉強中にあまり様子を見に来ることもなく、食事の時間以外は屋敷の外にいることの多い人だから捕まえられるのは食後や寝る前、お風呂なんかの時間だ。
今日はお風呂の時間に捕まえることに成功。
もうすぐ40歳に差し掛からんとしているこの人だけど、筋肉ムキムキやで?
僕? 4歳児の体はプニプニやで?
「初日はともかく、今日も指したのか」
「うん。見事に負けました」
「ほお、レギュレーションはなんだ?」
「レギュ、何?」
「基本ルール以外の追加ルールのことだ。ハンデを貰ったであろう?」
それは正式な名前があるのかな?
「えっと、先生は弓兵と騎馬を外してた。それと目隠し無しで先に布陣をして、この布陣に勝てる布陣を考えなさいって。それで勝とうと思って並べたけど、勝てなかった」
むう、こう言うとかなりハンデを貰っている気がする。
「そうか」
パシャ、とお父さんが肩をお湯で濡らす。
「私はクレンディルの軍盤の師、彼の父に軍盤を教わったのだが」
珍しくお父さんが身の上話をはじめてくれる。
「僕と同じ歳に始めたの?」
「ああ、そうだ。そして毎日駒を並べて進めさせられた」
「?」
何してるって?
「駒の動きを覚えるのに、兵士を握って一歩ずつ進ませたり、そういう事だ。ジルのように対面に座って、ハンデ有りとはいえ打たせて貰えるようになるまで1カ月の時間がかかった」
「うへぇ、先生のお父さんは厳しい人なんだね……」
クレンディル先生で良かった。
「ミドラがハンデ有りで打たせてもらえるようになったのは2ヶ月くらいだったかな」
「え? お兄ちゃんの先生はクレンディル先生だよね?」
「ああ。まだお母さんとお父さんの実家に住んでいた頃だな」
「10年以上前かぁ」
クレンディル先生が丸くなったかな?
「ハンデはミドラに配置を見せたうえで兵士と傭兵、王と王子だけで勝っていたな」
「容赦ないなー」
そんなことされたら僕はグズって泣くぞ?
「まあ、それだけクレンディルは軍盤の妙手だということだ。私とやる時でさえ、奴は弓兵か騎馬のどちらかを抜いて勝負するのだからな」
「とんでもなく軍盤好きなのは伝わったけどねー」
「駒とマス盤の自慢が始まったら長いぞ?」
「もう食らったよ。先に言ってよね」
「不用意にあやつに軍盤の話を振るとああなる。いつか捕まるんだから知っていたところで逃げられんさ」
はっはっはっ、と浴室にお父さんの声が文字通り響く。
「奴の話は適当に聞き流すのがよいぞ? しかし軍盤関連の物を粗末に扱うと、それはそれは長いお説教が始まるから気を付けた方が良い」
「えっと? 例えば?」
「ミドラが軍盤を片付けずに庭で遊んでたら、そのまま首根っこ掴まれて説教だったらしいぞ? 余りにも長くて軍盤の話が中心でどこを怒られたのかよく分からなかったらしい」
「うわぁ」
てかお兄ちゃん、怒らせたんだね?
気を付けよ。
「今まで軍盤を僕が触らせてもらえなかったことって何か意味があるの?」
お風呂をでてミルオックスの牛乳を飲む。魔法で冷やしたいなぁ。
そういえばと思い、大型ドライヤーに頭を半分突っ込んだ状態でお父さんに聞いてみる。
「それはクレンディルの趣味というか、弟子入りの条件でなぁ」
お父さんは自分の体を拭きながら、僕と同じように牛乳に手を出している。
「条件?」
「うむ。昔の話になるのだが、クレンディルが家庭教師として呼ばれた家があってだな。そこの家には軍盤が埃をかぶってしまわれていたそうで、子供が軍盤を知らなかったのだ」
「そういうもんなの?」
礼儀作法の家庭教師が一緒に教える程度には、貴族のたしなみ的な立ち位置なのではないのだろうか?
「夫と死別した貴族の家系でな。女性は軍盤をあまり嗜まないからすっかり忘れられていたらしい」
「なるほど」
そういうこともあるのか。
「初めて軍盤を見た子供にルールを教え、好きなように並べなさいと指示したその並びが、クレンディルにはとても新鮮で、それでいてとても戦略的に優れた配置だったそうだ」
「それってその子がたまたま天才的な才能を持っていただけじゃないの?」
あんなもんを5歳とか4歳の子供が知恵を捻って並べたところで、定石がある程度できている軍盤でそんな優れた配置になるわけないと思う。
「はは、お前の言う通りだ。現軍盤のチャンピオンがその子供だ。もう20になるかな?」
「やっぱり天才じゃん」
いるんですよねー、そういう意味の分からない才能に満ち溢れている主人公的……まさかゲームの登場人物か!?
可能性はある。
軍盤に勝てば仲間になるキャラクターだったり、ストーリー進行に有利になるアイテムやクエストクリアアイテムをくれる重要キャラクターだったりするかもしれない。
「そうかもしれないが、かなりの数をクレンディルと指したそうだぞ? ルールに慣れ、定石を覚え、過去の盤譜を幾度も見直し、対戦相手の性格まで調査をした彼女はもはや手の出しようのない歴代最強のチャンピオンとなった」
「努力する天才」
手に負えないヤツっ!
「努力の価値を知るが故に天才と呼ばれるのかもしれん。彼女と並び立てる軍盤の指し手は国内には何人もいない」
「どんな頭の構造してるんだろうね」
僕の言葉にお父さんが変な顔をしている。
「そうだな。まったく不思議でならない」
髪の毛を乾かし終わった僕に代わり、お父さんが大型ドライヤーに頭の半分をつっこむ。
「軍盤が強いと、軍で指揮を執ったりする立場になれるの?」
「興味あるか?」
「あんまり」
僕は多分、特機戦力的な立ち位置を求められる側の人間だ。
「軍盤が強い人ほど、人の指揮を執るのが苦手だと言われている」
「そうなの?」
「ああ。人は駒と違い、指し手の思う通りには動かぬからな」
なるほど。
「そりゃあ、そういう人ほど歯がゆい思いをしそうだね」
「だが全く知らない訳にもいかぬからな。私のような領主や騎士などの兵を指揮する位置に立つ人間に貴族はなりやすい。故に軍盤だ。戦争などといった大規模な戦いはないが、領同士の対立などで軍を動かすことはあるし、魔物の氾濫もある。そういった時の話し合いに使われるのは軍盤だからな」
「地図か何かの上で駒を並べて戦力を確認したり?」
戦争物のドラマや映画なんかにそういうシーンあるよね。
「そうだな。分かりやすいだろう?」
「精巧な地図があれば、かなぁ」
僕の言葉にお父さんが面白そうに声を殺して笑った。
「さあ、湯冷めしないうちに部屋に戻りなさい。それに遅くまで起きているとクレンディルに捕まって軍盤に誘われるぞ?」
「その役割はお父さんに譲ろう」
そうすればクレンディル先生の手が塞がるはずだ。
「おやすみ、お父さん」
「ああ。ミレニアにも挨拶をするんだぞ?」
「はぁい」
お風呂から出たらすぐ寝るのだ。だけどお母さんにおやすみの挨拶をしないといけない。
忘れると部屋まで乗り込んできて布団に入ってくるから、絶対に忘れてはいけないのだ。




