幻想図書館
「お久しぶりですラド様。息子を紹介させていただいても?」
「おお、いいんだよー」
で、でかい……。
珍しく街の外まで連れていかれた僕は、巨大な魔物のような存在に思わず体を硬直させた。僕の後ろに控えている千早と千草からも、息を飲み込むような音が聞こえてきた。
「息子のジルベールです。ジル、ご挨拶を」
「ジ、ジルベール=オルトです!」
「ラードウィックだよー、ラドって呼ぶといいんだよー」
そこにいたのは、巨大な蜘蛛。
アラクネみたいな人の体が付いているとかそういうものではなく、本当にただのでかい蜘蛛だ。
背の高さ……いや、全高と呼ぶべきかもしれないけど、お父さんよりも頭二つ分くらい大きい。あと声が可愛い。
「よろしくお願いします、ラド様」
その存在感と声の異質さに、思わずお父さんの服を掴んでしまう。でも僕はこの存在を知っていたので、慌てて逃げるような真似はしなかった。
「ラドは強いから怖がってもいいんだよー」
「ははは、事前に伝えてはおいたんですけどね」
この巨大な蜘蛛の名前はラードウィック。通称ラド。
ゲームの時代にも存在していたNPCである。まさかこんな簡単にエンカウントするとは思わなかった。
「アーカムは久しぶりだよー。しばらく厄介になるよー」
「ええ、その大いなる知識を我が領の統治に役立てればと思っております」
「どうぞどうぞだよー。図書館は来るものを拒まずだよー」
「助かります。こちらでのお食事はお世話いたしますので」
「たすかるよー」
そう、このラードウィックという巨大な蜘蛛はただのしゃべる蜘蛛ではない。
ゲーム内のダンジョンである『幻想図書館』の門番的な存在だ。
幻想図書館は神の作った知識の宝庫とされている移動型の図書館兼ダンジョン。フィールド内の一定以上の広さの森の中を歩いていると稀に遭遇するダンジョンである。
ゲームのストーリーだと、このラードウィックは魔王によって操られていた。そしてこの移動をするという不思議な特性を持つ幻想図書館を蜘蛛の糸で封じ込め、移動を阻害していたのである。
主人公達がストーリーの流れで幻想図書館を見つけ、門番をしていたラードウィックを倒して正気に戻し、幻想図書館は本来の役割を取り戻し、ランダムエンカウントになるのである。
こんなキャラだったかなぁ? 覚えてないや。
「今ならジルが入っても大丈夫なんだよー」
「ありがとうございます」
そして幻想図書館は二つの顔がある。図書館の窓から溢れている光が白ければ図書館として、ゲーム内で手に入れられるアイテムのヒントやストーリー攻略に関わるヒントやクエストのヒント。他のダンジョンの情報なんかが手に入る図書館の状態。
それに対し、窓から溢れている光が青い時は本にまつわる魔物や蜘蛛にまつわる魔物がうろつくダンジョンとしての状態になるのである。今は窓から溢れている光が白いから普通に図書館として使える状態だ。
「安全だよー」
「ジル、ここはダンジョンでもあるんだ」
「ダンジョン……」
「長くいるようなら追い出されるよー。その前に管理人達から声がかかるよー」
「ということだ。ジル、中に入るぞ」
「は、はぁい」
いいところに連れていってあげる。そう言って僕を連れだしたお父さんが、いたずらを成功したと若干にんまりしている。ぬう、やられたぜっ!
「わぁ!」
幻想図書館。そこは紛れもない図書館である。
入り口をくぐると、広いエントランスホール。そこにはカウンターがあって、そのカウンターの上にたくさんの蜘蛛が僕達を見ると片足を上げて挨拶をしてくれた。ちょっと愛嬌がある。
「ラド様の眷属達だ。一人に一匹くっつくのだが、そういえばジルは蜘蛛は平気か?」
「この大きさになるとわかんない」
「無理して中に入る必要はないからな? この眷属達は本を乱暴に扱おうとすると怒る。鞄や服の中に隠そうとすると噛み付いてくるから気を付けなさい。決して怒らせてはいけないよ?」
「はぁい」
そういえばそんな設定があった。ゲームの中でもお茶目な設定があって『こんなところでは読めない大人向けの本』が本棚を調べると見つかるのだが、そのときに『元あった場所に戻す』と『ふところに隠す』の選択がでる。そこで『ふところに隠す』を選ぶと問答無用で戦闘になるのである。
レベルをカンストさせてすべてのJOBをマスターしてラスボスを圧倒できる装備がすべて揃っていたとしても、先制の一撃を全体にくらって全滅する強制イベント戦闘みたいなものだ。眷属達がこんなに理不尽な強さを持ってるのに何で魔王程度に操られるんだよって誰しもが思うことだろう。
まあとにかく図書館から追い出されてしまい、しばらくの間は幻想図書館に行きたくてもダンジョンとしての幻想図書館にしか遭遇しなくなるのである。
お父さんがカウンター上の蜘蛛に手を伸ばすと、蜘蛛がお父さんの手に登って腕に掴まる。
「読みたい本を言えば教えてくれるから質問するといい。眷属殿、治水に関する書物の場所に案内を」
「チチチ」
お父さんの腕にしがみついた蜘蛛が、前足で本の場所を示している。
「夜になる前に教えてくれるから好きにしなさい。くれぐれも本を大事に、それと散らかさないように」
「はぁい!」
僕もお父さんにならい蜘蛛に手を向ける。僕にくっついてくる千早と千草も同じようにする。
「意外と軽い……」
『…………』
僕の腕にくっつこうとした蜘蛛だが、おさまりが悪いらしく肩まで登ってくる。うお、首元がなんかゾワゾワするっ!
「頭の上なのね」
首肯と同じなのか、僕の頭をコンコンと叩く。千早と千草にはしっかり腕にくっついている。
それとお父さんの周りにいた何人かの人、レドリックもいるね。みんな腕を出して蜘蛛を括り付けている。腰が引けてる人は僕と同じで初めての人かな?
「千草は失敗しないように本に触らない方がいいんじゃないかしら?」
「ぷっ」
「姉さんっ! 若様も!」
や、千早がずるいと思うんだ。
「さて。眷属さん、錬金術の初心者が読む本の場所を教えてくださいな」
僕の言葉に頭の上をコンコンと叩き、目的地を差してくれている……っぽい。だって頭の上だもん。見えない。
「あちらみたいですね若様」
「さ、行きましょう」
何故か千早と千草の二人に両方から手を握られて誘導されるのであった。
そして眷属蜘蛛の誘導に従い、錬金術関連の書物のある棚に案内され一冊の本を勧められる。
僕の何倍も高い本棚から千早が取ってくれたので、近くの机に広げて勉強開始だ。序章部分から気になる記載がいくつもある。千草が予め用意してくれておいた紙とペンを使い、それらの中から特に重要そうな部分を書き写していく。
「なるほど属性を意識した魔力の循環……」
幻想図書館の本は外に持ち出してはいけない。それをしようとするとラド様の眷属蜘蛛に襲われるし、それを何らかの形で突破しても外にいるラド様が『だめだよー』って言いながら殺しにくるらしい。だから書き写すのである。
「若様が難しそうな本を」
「今更じゃない?」
初心者向けの本だからそんなに難しい内容ではないんですけどね。
やはりゲームと違って必要な技術があるようだ。錬金術を行う際には、錬成に使う素材に合わせて循環させる魔力を変質させると、品質のいい品ができるらしい。
僕が以前作ったポーションなんかは、特に属性を意識せずに魔力を込めてかき混ぜただけであった。だけど素材となる薬草や赤傘キノコの属性を意識すれば、回復力の抽出率が上がって、より効果の高いものになっていたかもしれない。
ゲームだと錬金ができる環境はそれなりに多かった。宿で手持ちの錬金道具を使ったり街やダンジョンなんかに置いてある道具を使って実施していたけど、普通に考えて街の中にある錬金道具を勝手に使うのはおかしい。
いきなり人の家の中に乗り込んで勝手にタンスを開けたり壺を割って中身を盗むのと同じレベルである。
「属性を意識した魔力の循環」
「若様、ダメですよ?」
「え? あ、うん。ごめんね」
「何でも試したがるのは若様の悪いところね」
「研究者気質とでも言えばいいんでしょうか?」
つい魔力の循環をしそうになった。千草は神官系の魔力を扱うJOBだから気づいたみたい。
「素材の属性って、調べることができるのかな?」
「どうなんでしょう? そういう魔道具とか錬金道具とかあるのかもしれませんね」
「眷属さんに聞けばそういう本があるか教えてくれるんじゃないでしょうか」
そうだね。でもとりあえずこの本を読んでからかな。
「それは後でかな。この本はとても興味深い……」
眷属が用意してくれた錬金術基礎知識には色々と面白いことが書いてある。
属性を意識した魔力の循環もそうだけど、錬金道具を使わずに錬金術を行使する方法だ。
錬金道具にはそれぞれ錬成陣と呼ばれる魔法陣がどこかしらに刻まれているらしい。もちろん道具ごとにその錬成陣の種類は違い、目的に合わせた錬成陣をそれぞれの道具に刻まなければならない。
目的もはっきりしていてレシピも合っていれば、錬金術師のJOBを持っていない人間でも錬金術を行使できる。それはこの錬成陣のおかげか。人の用意した、主に師匠の道具を借りたりするのが一番だと書いてるが、自作することもできるらしい。作り方は、錬金道具大全? 書いた本の中で他の本の宣伝をしているみたい。なかなかにしたたかな作者のようだ。ここにあるのかな?
とにかくこの錬成陣を用意さえすれば正式な錬金道具を用意しなくても錬金術を行使できるということだ。
家にあるフライパンに錬成陣を書き込めば、それはフライパン型の錬金道具になるという。これは面白い。
「これは全部書き写さねば」
「若様何気に器用よね」
「ええ、円をこんな正確に描けるんですもの」
器用度が高いからね!
そんな感じで褒められつつも、紙にどんどん重要そうな項目を書いていく。
「ジルベール、この本を読んでおきなさい」
「ん」
えっと、錬成陣の構築にはそれぞれの属性を現したものが必要になると。錬金術師達は流派によってその属性を表す記号を持っている? 文字でもいいみたい。でも文字だと錬成陣に入りきらないから簡略化した記号を使うことを推奨、でも統一されていないと意味がない、か。
これは漢字が使えるかもしれない。
「若様、若様」
「え? 何? あ、おじさんも来てたの?」
僕が錬金術の本を広げているのを見て嫌そうな顔をしているキラキラおじさんがいた。イケメンはそんな表情でもイケメンなのである。
「ジルベール、この魔法の本を読んでおくといい」
「ん、後ででいい?」
「ダメだ。幻想図書館に滞在できる時間は限られている。この機会を逃せば次はいつになるか不明だからなな」
「……いま忙しいから後で」
「ジルベール、錬金術に興味があるのは理解している。ただまずは賢者に」
「JOBは伸ばすから安心して」
「ジルベール!」
「……錬金術師になるんだもん」
「若様、ビッシュ様からの指示よ?」
「そ、そうですよ若様!」
「今そっちの本に移っても集中して読めないよ。僕の興味は錬金術の方にいってるんだから」
ちょっと意固地になっている僕がいるけど、普段はおじさんの言うことも聞いて魔法の練習はしている。でも今はこっちが優先だ。魔法使いに関する情報はおじさんだけでなくお父さんやお母さんからも手に入るが、錬金術に関する情報は地下の秘密の錬金工房以外だとほとんど手に入らないのだから。
「賢者にならないとは言ってないから安心して」
「……訓練の時間を増やすからな」
「いいよ」
おじさんはため息をついて離れてくれた。あー、あとでお父さんとかから説教が来るかもなぁ。




