ブモオオォぉぉぉぉぉぉーーーー
『おお、そこじゃ! うむ、良き! 良き!』
聖獣シンシルベルの王、シャーネが念話で喜びの声を伝えてくる。
「ご満悦らしいです」
「そ、そうか」
お母さんに抱っこされる中、僕の通訳に答えるのは腕まくりをしてデッキブラシみたいなのを持ったお父さん。シャーネ様をゴシゴシしてらっしゃいます。
なんかこんなお父さん初めて見たかもしれない。
『次はもう少し右である!』
「もう少し右だって」
「ここら、か?」
『これ、力が弱いぞ! 先ほどのように腰を入れてブラッシングをするのである』
「お父さん、力が弱いって」
「加減が難しいな」
シャーネ様の頼み、それは毛づくろいだった。
それを聞いた時のお父さんの顔ったらもう、ぷぷぷ。
『こうして言葉を交わせる者は久方ぶりじゃて、これまでの世話係も悪くはなかったが、細かく説明が届かぬのは歯がゆくてなぁ』
「そうなんだぁ」
体育館くらいの大きさの聖獣シンシルベルの住処。
地面には藁や柔らかい土が敷いてあって、そこで寝そべるシャーネ様の体をお父さんがゴシゴシと毛づくろいをしていた。
水浴びができるように地面に浴槽も掘ってある。
『ちなみに我は水ではなく湯の方が好きじゃ。ただ水を浴びるよりシャンプーで洗われることを所望するぞ』
「あ、そう」
なんか趣味嗜好を教えられても困るんだけど。
『ふ、言葉は通じても察しは悪いようであるな。我は風呂を所望しておるのだ』
「あ、はい」
『毛づくろいが終わり次第、湯舟に入れるように準備をせよ』
「け、毛づくろいが終わったらお風呂だって……お湯で入ってシャンプーで洗ってくれって」
『湯は二種類用意せよ。煮えたぎるほどの高温の湯と、体温に近い適温の湯だ』
「お湯は二種類で、え? 煮えたぎる? 嘘でしょ?」
思わず聞き返してしまう。
「あ、それは本当だよ。ジル君、彼らの毛の間に挟まる小さな虫を熱湯で追い出すんだ。それに聖獣様方は熱に対する耐性もお持ちだから熱湯でもたいして熱く感じないらしいんだよ」
思わず聞き返すと、ドルンベル様が教えてくれる。確かにあの長い毛だと虫とか絡まっていそう。
『そこの煌びやかな賢者、準備するが良い』
「おじさんご指名」
「ああ、今のはオレにも伝わった」
煌びやかなって部分は伝わってないのかな? 溜息をつきながら、おじさんが浴槽に目を向ける。
「汚いな」
そういうとおじさんは火の魔法で小さな渦を作り、浴槽の中の毛や藁などのごみを巻き上げながら燃やす。
おお、すごい。二属性複合の魔法だ。しかも浴槽を焦がさないように火は上の部分にしか発生していない細やかさ。
「便利な魔法ですね」
「こういう場面以外で使うことはないだろうがな」
お母さんの呟くひとことにおじさんが苦笑いである。
「ものすごく毛が抜けたんだが」
お父さんがブラシについた毛を取りながら心配そうにシャーネ様に視線を向ける。
『夏毛から冬毛への生え変わりの時期であるからな。いつまでも体に夏毛がこびりついてて不愉快だったのである。いや、スッキリした。心なしか体が軽くなった気分である』
ブモーーーー。
鳴き声こわっ! 低っ!
「スッキリしたって。毛の生え変わりの時期だから抜けて問題ないって」
『うむ、普段の優しいブラッシングも心地よいが、やはり痒い所に手が届いておらぬ。かといって我が壁に体をこすりつけるなど、はしたないでな。なるべく力強くされることを望む。ブラシも固めのが良い』
「普段から強めにブラッシングされたいんだって。ブラシは堅いのが好きだそうで」
『他の者も同様であろう。生え変わりの今と、夏毛への生え変わりが始まった時期は強めに、どちらかといえば削ぎ落さんばかりの力でブラッシングをかけるように皆に伝えてくれ』
どんどん通訳を要求される。ドルンベル様が慌ててメモを取りはじめた。
『生まれたての子や角の短い若い個体には優しくブラッシングするのだぞ?』
「子供には優しいブラッシングをだそうです」
「なるほど」
お父さんのブラッシングが無事に終わると、伏せていたシャーネ様はノシノシとおじさんの用意した浴槽にダイブ。
お湯が飛んでくるからと、お母さんが離れていく。
ブモオオォぉぉぉぉぉぉーーーー。
気持ち良さそうな声を出していらっしゃる。
しかも本当に熱湯に入ってるよ。お笑い芸人でも入れないレベルの熱湯に。あ、潜った。
「結構深いのね」
「全身潜れないと、顔や頭の毛から虫を追い出せないですから」
「これ、いくつあるの?」
結構な数のシンシルベルがいたから。
「個人、と言えばいいか、シャーネ様の専用の浴室がここにあるだけで、残りは外だよ。そっちは一度に三頭くらい入れるようになってるね。それとシンシルベルは魔法が使えるから自分達で勝手にお湯を張っている」
「あ、そうなんだ」
そっちは手がかからないのね。
「エルフのお世話係が何十人もいるけど、ブラッシングは大変そうだね」
競走馬の馬小屋みたいな風景を想像してしまった。
『はぁぁ、スッキリしたねぇ』
シャーネ様が寝床に転がると、お父さんはもう一度ブラッシングを始める。
今度は毛を抜くようなブラシではなく、大きな櫛だ。これは二人でやるものなのか、ドルンベル様と一緒にやっている。
「濡れた体を拭うのに、すっごい時間がかかったね」
「あの巨体だからな……」
「うちにあるようなドライヤーの魔道具があればいいのにね」
「あれはかなり高度な魔道具だ。なんと言っても二属性複合の技術が使われているからな。シャーネ様ほどの巨体を収めるとなるとかなり巨大になるだろうな」
自動車の洗車機みたいなのが必要になるかもね。
ちなみに今回はシャーネ様自身が自分にドライヤーの風みたいなのを魔法でやってた。催促されておじさんも途中から参加だ。
「シャーネ様、ジルに念話が通じると知っておられたのですか?」
ブラッシングを続けながら、お父さんが質問をする。
『通じるというか、通じそうな相手がなんとなく分かるってだけのことさな』
「なんとなく?」
『なんとなく分かりそうな相手が分かるから、取りあえず念話を飛ばすだけである。しっかりと返事が来たら通じる者であるし、そうでなくともこちらの感情なんかをある程度読み取れる者であったりもする。あくまでも感覚だからうまく言葉に表せぬな』
「なんとなく、分かるんだって」
「本能的な部分であろうか?」
『そちらの賢者の言う通りであるかもしれんな。しかし我が子達でも念話を扱えぬ者の方が多い。世界樹が黒くなる前であれば皆が使えたのだが』
イービル=ユグドラシルの影響ってことかな?
『エルフ共と同様に、我が子らの子。孫やひ孫の世代になると力が弱く、体も小さい。いずれはただの動物に成り下がるやもしれんな』
動物は魔石を持たない生物のことだ。
『いずれ言葉も通じず、我の指示にも従わぬ子が生まれるやもしれんな。悲しい事だ』
「うん、エルフ達も苦しんでいるらしいって」
「ジルちゃん?」
「お母さん、おろして」
僕はお母さんにおろしてもらい、シャーネ様の顔を撫でる。
「すごい触り心地。気持ちいい」
『であろう?』
「うん。シャーネ様の言う通りだ。美人さんなんだね」
『その通りである! ようやく分かったか』
お風呂に入りツヤツヤになった
『念話ってこうやるのかな?』
『ほう』
シャーネ様からの念話に慣れてきたのもあって、なんとなくできそうな気がしたから試してみる。
『これは探知系の魔法と感応系の魔法の複合だね』
探知系の魔法は建物の構造、ダンジョンのMAPなんかを調べることのできる魔法だ。チュートリアルダンジョンにこっそり行くために、屋敷の人の配置を調べるのに使っている魔法。それと屋敷の隠し部屋を見つけた時にも使った。
感応系の魔法はとても地味だ。スリープくらいしか使った記憶がない。ゲームでもスリープとウェイクアップという眠らせる魔法と起こす魔法、ダンジョンで敵を探してエンカウント率を下げるサーチくらいにしか使わなかった。それもシーフ系の上位職であるストライカーのアクティブスキル、忍び足があったからほとんど出番がなかったけど。
『見事であるな。複合とかの話は分からぬが、正しくできておる』
シャーネ様は感覚的に使っているんだろうなぁ。
『屋敷に戻ってからまた試していい? どのくらい離れている相手に届くかも知りたいんだ』
『かまわぬぞ、我も夜は暇をしておる。だが今日はやめておくれ、体がすっきりしてる状態で眠りたいのだ』
『わかりました』
「ジル?」
「ん、なんか体がすっきりして気持ちいいから、もう寝るって」
「ああ、そうか。急に静かになったから」
『子の親、領主と言ったか。また来るが良い。お主の力は中々に心地よかった』
「また来てやってって」
「分かりました」
お父さんが言うと、ドルンベル様も頷いた。
その言葉に満足したのか、シャーネ様は目を閉じる。完全に寝る体勢だ。
再びお母さんに抱き上げられると、お父さんがなんか丁寧な挨拶をして頭を下げる。シャーネ様は尻尾を振った。あれが挨拶のつもりなんだろうか。
シャーネ様の用事も済んだようなので、僕達は退散だ。あ、シャーネ様の抜け毛回収しとこ。これも素材の一つになるんだ。




