大人社会
「お久しぶりにございます、ミレニア様、ジルベール坊ちゃま」
「ええ、ようこそおいでくださいました」
「お久しぶりです! クレンディル先生!」
屋敷にきた初老の紳士。クレンディル=ボイラー先生だ。
僕の家庭教師で、主に礼儀作法と軍盤の先生をしてくれている、軍盤マニアのおじいちゃん。腰を痛めて、実家で療養をしていた人だけど、体調が回復したので再びこちらにやってきたのである。
「先日はご同行できず申し訳ございませんでした。この通り体の調子も戻りまして、こうしてご厄介になりにきました」
「ご厄介だなんて、ミドラ共々お世話になりっぱなしで」
「先生、またご指導をお願いします」
「ほっほっほっ、ジルベール坊ちゃまは相変わらず聡明ですな。この爺なぞ、教えることがすぐになくなりそうです」
「そんなことありません! どうぞご指導をお願いします!」
指導の時間がなくなったら、この爺と毎日何時間も軍盤を指し続ける未来しか見えないっ! このじい様へ逆襲を誓っている僕ではあるが、だからと言って軍盤漬けになるのは勘弁である。
「ジルベール坊ちゃまはこの爺を本当に喜ばせてくれますな。いろいろと参考書を用意いたしましたので退屈はさせませんぞ」
「楽しみです!」
「千早ちゃん、クレンディル先生のカバンを丁重にお運びして。とても大切なお品ですからね」
「かしこまりました、奥様」
クレンディル先生のかばんは三つ、一つは超高級軍盤セットで、世界に一つと同じものが存在しないレベルの物である。そんなものを持ち歩かないでほしい。
「さて、早速でございますがジルベール坊ちゃま」
「長い旅路でお疲れでしょう?」
「ええ、休憩のためにも、ぜひ一局」
「いいでしょう。休憩にならない休憩、提供させていただきます」
このじい様は呼吸をするように軍盤をしたがるじい様だ。きっと旅の間にも頭の中で軍盤をし続けていたに違いない。
二枚落ちフルオープンのルールで負け続けていた僕はあれから成長したのだ。
お父さんとレドリックと激しい攻防、殿下やウェッジ伯爵、殿下の護衛の騎士達にお兄ちゃんと色々な相手と戦ってきたのである。
初期配置の定石もいくつか覚えたし、簡単に負けるわけにはいかない。
「ほっほっほっ、なかなか達者になられたようで。であれば、お口だけでなく軍盤の腕のほうも期待いたしますぞ」
「せめて配置時の目隠しの敷居、これくらい使わせてみせましょう」
ウェッジ伯爵も目隠しをせずに先に配置して、さあどうぞとしてくる腕前だった。彼が遠征についていく直前には、僕は彼に「目隠しをせねばもう勝てぬな」と言わせるほどの腕前まで上がっているのだ。さらに騎馬と弓兵か魔法兵を使わずに、目隠しもせずに配置をするこのじい様とて、今の僕には苦戦必至である!
「さあ勝負です先生」
「望むところですじゃジルベール坊ちゃま」
これは先生と僕の、男と男の勝負だ。この日のために僕は軍盤を学んでいたと言っても過言ではない。
「頑張ってください、若様!」
「うん!」
千草の応援を受けて、僕は先生と駒の剣で互いを刺しあう。
その戦いは壮絶を……壮絶を、え? 何その初期配置、見たことないんだけど!?
ああ、うちの王子があっさりと陥落をっ! 傭兵待って! 裏切るの早いっ! 騎士! ダメ! 動いたら王が取られちゃう! 近衛騎士なにやってんの!
……悔しくなんかないやい。グスン。
「駒の動きに粗が目立ちますの」
「はい、申し訳ございません」
そういえばお父さん達が遠征にでてもう2週間以上だ。その間は一度も軍盤触ってなかったや。うっかりである。
「定石をいくつかお覚えになったようですな。どの配置がお好きですかな?」
「城囲いです。王と王子を守りつつ、騎士と魔法兵が存分に活躍できる配置が楽しいです」
城囲いとは、盤の左端か右端に王をいれて周りを近衛騎士と魔法兵に守らせる布陣のことだ。
その囲いの横に王子を配置し、王を守る近衛騎士を王子で守りつつ、浮いた傭兵や魔法兵、兵士で相手の陣地に切り込む布陣。
自由に動かせる駒も多く、攻撃に出やすくも攻撃を受けやすい手だ。今回も僕はこの城囲いを使った。
「城囲いは守りやすく攻めやすい布陣ですが、弱点もございますね」
「はい、二又槍の布陣ですね」
「その通りですじゃ」
城囲いが開発され、一時期流行をしていた時に、その城囲いを突破するべく開発された、超攻撃的な布陣だ。
正面にしか兵をおかず、左右の陣に機動力の高い弓兵や近衛騎士を配置し、相手の守りを切り崩すのを目的としている。
相手が城囲いでないと、逆に中央に配置した王の守りが弱いのであっさりと負けてしまう可能性もある布陣だ。
「そして今回この爺が配置した布陣ですが」
「はい」
「まあ、適当にならべたので定石などとはかけ離れた布陣です」
「ええ……」
「ジルベール坊ちゃまがなかなか自信がおありの様子でしたので、いくつかの定石布陣を覚えてこられたのかと考えましてな。各定石布陣に対し、決定的に弱い布陣にならないように配置しただけにございます」
「ええ、つまり定石にこだわらず、先生の布陣をしっかり見て配置をすれば……」
「この爺の敗北も考えられたでしょうな」
くそー、定石にとらわれすぎたのか!
「ほっほっほっ、まだ目隠しをつけるには早いようですな」
「もう一回! もう一回お願いします!」
「ありがたい申し出ですな。何局でもお相手いたしましょう」
久しぶりに先生と軍盤を楽しんだあと、夕食ではなく晩餐となった夜も軍盤のお話である。
ぬう、遊べるものが少ないから軍盤でもかなり盛り上がれる体になってしまっている。
夜も更け、お布団に包まれた僕は眠気に迫られつつある頭でこう考えた。
また何か新しい遊びでも考えようか?
「そんなことを考えている暇はないじゃないか!」
そうである。考えるのはそんなところではない。クレンディル先生に引っ張られて軍盤脳になるところだった。恐るべし軍盤じじい。
「よし、今の状況を改めて考え直そう」
まず現状として、ゲーム内のイベントとイベントの境か別口でどこかでイベントが進行している最中だと思われる。
それはつまり、遠征をおこなっているお父さん達のところだ。
「僕にできることは……あまりにも少ない」
チュートリアルダンジョンに向かい、JOBの回収と属性結晶、属性矢の回収を行える程度だ。
しかも属性結晶は最近どの属性も吸収できなくなってきている。いままでと違い、爆発的な変化が起きない。
以前より多少戻った感じはするけど、なんかJOBの入りが減っているような気がするのも気になる点だ。スリムスポアしか倒していないので、他の魔物からの比較もしにくい。
ヒュージヒューマスポアがまた倒せればいいのに。
ビッシュおじさんやウェッジ伯爵がいない現状、ダンジョンにも連れてってもらえないだろう。お母さんやシンシアはなんだかんだ言って忙しそうにしているし、千早と千草だけでは街の外まで出る許可すら下りない。
「そうなると、武具か」
現状経験値稼ぎが全く行えていない状況だ。
それは街の外に出れない以上、変えることのできないことである。
千早と一緒に訓練を行っているけど、これもレベルアップほど劇的な変化は起きない。
そうなると現状行えるのが、自分自身の装備の強化だ。
「とはいえ、それもどのレベルまで持っていけるかだ」
現状僕が手に入れたのは、チュートリアルダンジョンに置かれていた古い装備達だけだ。
ダンジョンの中だからか、劣化もせずにそのまま使えるもの。
それらを収納にしまっている。
「現状おじさんに貰った杖が一番いい装備っぽい」
おじさんにもらった杖は、何かしら別の力が盛り込まれているようだ。
通常の片手杖は、杖自体の攻撃力と魔法攻撃力アップが10%~20%ついている程度だ。
それにひきかえ、おじさんにもらった杖は、魔法の威力も上がっているっぽいしコントロールもよくなるっぽい。
何かしら謂れのある杖なのかもしれない。
「それ以外は、普通の装備……」
JOBを初めて貰うってなったときに、受付の人に「これは支給品よ」と言って渡される各種JOBの初期装備。剣や斧、槍は長くて重くて使い物にならないし、鎧は胴体部分が僕の全身くらいの大きさで、とてもじゃないけど装備できない。
ローブも引きずるし袖から手がでない。弓は長すぎて携帯が難しい、横に構えて打ってみたりもしたが、真っすぐ飛ばない。まともに使えそうな短剣ですら僕から見れば両手剣である。
あまりにも使えるものがなさすぎる。
「くっそぉ、大人前提の社会が嫌いだ」
なんてことを言っても、僕が持っているものはすべて大人用の装備だ。
これらを何とかしたい。
「錬金術師に……」
屋敷の隠し部屋で見つけた錬金術師の書、これを使えばこれらの装備を解体して素材を入手し、新しい装備を作成することができる。
でも僕のお手ては小さすぎて、錬金術を満足に行うには不安が大きい。
「やっぱり、シーフを極めてからじゃないとダメかな……」
隠し部屋の錬金道具もすべて大人用である。
子供の時代からイベント開始するなら、子供用のアイテムを用意しといてくれよ!
これって誰にクレーム言えばいいんですかね!




