両親の言い争いを初めて見る
シンシアが帰ってきた。
お父さん達と一緒に。
「おかえりなさい」
「ああ」
「戻ったわ。一人で大丈夫だったかしら?」
「うん! お父さんもお母さんも怪我はない?」
「もちろん大丈夫よ」
お母さんが僕を抱き上げながら返事をしてくれた。お父さんを見ると、彼も頷いている。
「魔物ってどんなの?」
「コボルドっていう、二足歩行の犬の魔物だ」
「あれかぁ」
序盤の街、つまりここの周りで元々遭遇する雑魚敵だ。JOBを得る前のユージン達でも勝てる相手なのだ。最終職に到達している人間からすれば雑魚も雑魚だろう。
お父さんなんか突っ立って囲まれてもダメージを受けなかったんじゃないだろうか?
「知っているのか?」
「えっと、本で。強くないって」
「ふむ、その情報は正しくないな」
コボルドって強いの!?
僕が目を見張ると、お父さんが僕の顔をみて笑う。
「もちろん私やミレニアと比べたらかなり弱い。だが獣特有の鋭い爪と牙、そして一人に対して3体も4体もの数で襲い掛かってくる魔物だ。決して弱くはない」
「そうなんだ」
「JOBを持たない領民の、特にお前のような子供から見れば基本的に強い。それが魔物だ、覚えておきなさい」
「そうなんだ……そうだよね」
今は子供の僕が、僕よりも体の大きいコボルドを弱いだなんて言える訳が無い。思わず母を掴む力が強くなる。
「あなた?」
「あー、なんだ。それでも私達が倒したから問題ない」
「ほんと? いっぱい倒した?」
「そうだな。見える範囲ではすべて倒した、だがまだいるだろう」
「そうねぇ、あれほど繁殖しているとなると取り逃しが絶対にいるもの。冒険者か騎士を動員しないと厳しいかもしれないわ」
「そのコボルドのことで、ジルベール様から旦那様にご報告することがございます」
ん? 僕から?
「しんしあ?」
「ジルベール様からご報告するべきです。こちらを」
シンシアが僕に今日渡した本をテーブルの上に置く。
「足りない分は私が補足いたしますから。それにジルベール様なら上手にお話しできるはずです」
シンシアは澄ました顔だ。
お母さんに合図をして僕を降ろしてもらう。そしてテーブルを挟んでソファに座る。
テーブルにおかれた本をお父さんとお母さんを見ると、今度は僕に視線を送ってきた。
二人とも僕から話を聞きたいようだ。
「えっと、地下の書庫で本を見つけました」
僕は訳もわからぬまま、シンシアに言われるままに話をすることにした。
「ダンジョンか。こんな位置に」
「結構森の深い場所ね。それと、今回のコボルドの巣があった地点と森が近いわ」
僕の説明で伝わったのだろうか? ただ後ろに付き従っているだけだったシンシアが、僕からの説明が終わったタイミングで続きを話し始める。
「薬師のレムラさんに先ほどお話を聞いてきました。彼女はその村の存在もダンジョンの存在も把握していたようです」
「レムラが? なら間違いないか」
「英雄ユージンが現れる前、魔王の侵攻が始まり動乱の世となった際に廃棄された村とダンジョンだそうです」
「廃棄? 放置ではなく廃棄と言ったか?」
確かに変な言い方だ。
「魔王による魔族と魔物の襲撃が日に日に激化していき、戦力が必要になったそうです。それで各地のダンジョンを専属に潜っていた冒険者達も前線に投入されることになり、ダンジョンを潜る者が減っていったそうです。レムラさんによると魔道具は当時ほとんど利用されておらず、魔石も錬金術の素材程度としか見られていない時代だったのでダンジョンで戦わせるよりも、魔王との戦いに備えさせることの方が重要だったのではないかと」
「ああ、魔道具の開発と普及は魔王との戦いの後だったか」
お父さんがシンシアの調査の結果を聞いて頷いた。
「ダンジョンに潜る冒険者が減れば、ダンジョンから魔物が溢れだす可能性があります。当時の領主はダンジョンの出入り口に封印処理を施したそうです。ダンジョンの管理を目的に作られた森の村もダンジョンによる素材の恩恵がなくなるのであれば維持できないとのことで、封印処理が終わった後に廃村となったそうです。結界石も外して回収したと聞いたそうです」
「ダンジョン内での素材を収益の中心にしていた村なら、確かに維持できなくなるわね」
「そうだな。それにダンジョンに挑めるレベルの冒険者がいなくなれば、森の中の村となると危険だ。私でも村を放棄するだろう」
「レムラさんのお話によるとそのようになっておりました」
そっかあ。
「あれ? じゃあお父さん達が戦ったコボルドって、ダンジョンから出てきた?」
「連中の巣の位置を考えると、その可能性が高いな。元々コボルドの目撃証言の多かった地域だが、巣の数が異常だ」
「まあ、コボルド以外にもレッドウルフ、それにゴーレムまでいるダンジョンなのね」
「ダンジョンの入り口の封印が解けて、徐々にコボルドが溢れでてきたのだろうな。そして森の中で群れをつくり、いくつかの群れがとうとう森から出始めた、といったところか……コボルド自体は問題ないと言いたいが」
「どれだけの数がいるか不明だし、ダンジョンから追加が出てくる可能性があるのならばそれなりの戦力の投入が必要ね」
「……クランの連中を呼ぶか」
「あなた、それは!」
お母さんが立ち上がる。
「いけませんっ! 戦力としては頼りになるけど、報酬はどうするの!?」
「領内のダンジョンをそのままにはしておけん」
「ジルの未来の話をしているんです!」
え? 何?
「だがこのままでは領民に被害がでる。私達だけでこの広大な森をカバーするのは不可能だ」
「この子の未来を閉ざす可能性だってあるんですよ!?」
「おかあさん?」
突然声を荒らげるお母さんに驚いた僕は、思わず聞いてしまった。
「国に報告して対処してもらうべきです!」
「だが管理力が不足だと言われたらどうする。最悪この地を取り上げられてしまうぞ」
「だったら王都に帰ればいいのです! ジルの未来と土地と、どちらが大事だというのですか!」
「国に依頼をかけたら、いつ対処されるか分からぬ。ジルも大事だが、その間に被害を受けるのは領民達だ。領主としてできることをしたい」
「ジルと領民を天秤にかけろと言うのですか?」
「ジルに危険はない。だが領民の命は危機に晒される。ここに着任して10年以上経った。もうここは私の故郷なのだ。私はそんな決断はしたくない」
苦虫を嚙み潰したような、沈痛な表情を見せるお父さん。
「ねえ、喧嘩しないで? それと僕の未来ってどういうこと?」
「ジル、心配する必要はないのよ? あなたは私が守りますから」
「ジル、これは喧嘩ではない。だから……部屋に戻っていなさい」
子供には聞かせる話じゃないって? じゃあその子供達の前で話し始めないで欲しいな。
若干カチンときた僕はシンシアに手をひかれて部屋の外に行く。
なんだよ、僕の未来って。