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ソフィーの生い立ち

「ソフィー、心から愛する人と結婚するのよ」


 母はよくこう言っていた。私を愛してくれる人なんている訳がないのに。母はとても愚かな人間だった。


 ソフィーの母は王国の外れの片田舎で育った。年頃になると、近隣で最も栄えているノリス侯爵領へ単身乗り込み、侯爵の屋敷でメイドとして住み込みで働き始めた。その屋敷には当主は住んでおらず、別荘のような扱いだった。学のない母が出来る仕事といえば、屋敷内の掃除くらいだったので、お給金は少なかった。故郷の家族への仕送りを除けば、手元には僅かしか残らないけど、食いっぱぐれることもないので、そこそこ楽しかったようだ。


 母の運命が変わったのは、働き始めて3年が過ぎた夏のこと。3年間一度も屋敷に寄ることのなかった、ランドルフ・ノリス侯爵が訪れてからだ。その年の始めから流行り病で床に伏していた侯爵は、療養の為に自然に囲まれた屋敷に住むことになった。通常であれば、メイドの中でも下っ端の母とは顔を合わせることもない立場の人間だ。しかし、屋敷は使用人も少なく、侯爵の体調も回復して手持ち無沙汰だったのだろう。侯爵と母は関係を持ってしまった。お互い何か惹かれる何かがあったのか、侯爵のただの気まぐれなのかは分からない。20歳で父親の家業を継いだばかりの、まだ未熟な侯爵にとって、同年代の母は良き話し相手だったのかも知れない。


 侯爵の身体がすっかり良くなり自宅へ戻った後、母が身籠っているのが発覚した。母は侯爵へその旨を手紙に書いたが、返事は来なかった。暫くして、母を迎えに一台の馬車がやって来た。母は侯爵の自宅へ連れて来られたが、そのまま小さな離れに押し込められ、再び侯爵に会うことはなかった。


 私が産まれてからも、母と私は離れに軟禁され、一歩も屋外へ出ることは許されなかった。交流する人がいない私は母からおとぎ話を聞き、文字を教わり、7歳くらいで本が読めるようになった。本を与えてくれるのは、父親である侯爵の唯一の思いやりだったのだと思う。


 私の境遇が普通と違うということは物心ついた時に気づいていた。ずっと離れに閉じ込められ、母以外の人間は食事や身の回りの世話をする少ない使用人達にしか会ったことがない。使用人はいつも言葉少なく、用事が済めばすぐに部屋から出ていってしまう。物語には沢山の人が登場し、冒険したり恋愛したりしているのに。いつまでここで過ごさなければいけないのだろうか。いつもそんなことを考えていた。私が10歳の頃に母が亡くなるまでは。


 母が病死した後、私は使用人として働くようになった。初めて外へ出た私にとって、その後の生活はより厳しいものとなった。父であるノリス侯爵は、同じ貴族出身の女性と結婚し子供もいたのだ。侯爵は徹底的に私の存在を無視し、侯爵夫人とその子供からは陰でいびられた。


 何で私は産まれてきたんだろう。母は愛してくれたが、その母はもういない。この先、ずっとこのままなのだろうか。私なんて産まれてこなければよかった。いつもこんなことばかり考えていた。


「おい、早くこの部屋を片付けろよ。見つかったら俺が怒られるんだから」

 侯爵の長男で私の腹違いの弟、9歳のアルバートが、ある日花瓶を割ってしまった。

「申し訳ございません、すぐに片付けます」

17歳になった私、ソフィーは今もこの屋敷で働いている。箒で花瓶の破片を掃いていると、14歳の妹、ミシェルが顔を出した。


「アル、どうしたの?」

「花瓶割っちゃった」アルバートがぺろっと舌を出した。

「大丈夫?怪我はない?そこの使用人、早く破片を片付けなさいよ!」

「も、申し訳ございません」

「手際が悪いわね!」ミシェルは突然私の頬を叩いた。


 今度は侯爵夫人のシルヴィアが二人を探しにきた。

「アルバート、ミシェル、勉強の時間ですよ。…どうしたのかしら」

 シルヴィアは私を横目で一瞥しながら、二人に話しかけた。アルバートは花瓶を割って怒られるのが怖くて、もじもじしている。


「この使用人が花瓶を割ってしまったので、片付けるように命令しているところですわ、お母様」

「……っ!」

 ミシェルは驚く私を睨みながら嘘をついた。途端に夫人の顔が険しくなる。

「何ですって?」

「この使用人がふざけて花瓶を割ったところを見たんです。それで、私たち…」

「使用人ともあろう人間が一体何をしているのですっ!花瓶代は給金から引きますからね」

 そこまで言うと、夫人は何か楽しいことを思い出したようにニヤリと笑い、私の髪を引っ張った。いつも絶対に外さないようにしているカツラがずれて、地毛があらわになった。

「痛い…っ!」

「そういえば、あなたには給金なんてもの無かったわね。花瓶代どうしてくれようかしら…この髪の色、忌々しいわ」


 そう、侯爵が母と私を軟禁していた理由。それはこの髪の色のせいだった。


 この国では髪の色で身分が分かれている。庶民は茶色や赤、色々な種類がある。王族や貴族は黒紫色のみだ。もしかしたら、黒紫以外の貴族もいるのかも知れないが、この黒紫の髪こそ、わが国の貴族の伝統と誇りである。私の髪もアルバートやミシェルと同じく黒紫だった。しかし、私は庶民の母と貴族の侯爵の間に生まれた庶子。侯爵はこの事実を世間に知られたくなかった。その為、使用人として働き始めてからずっと、地毛を隠すためカツラを着けての生活を余儀なくされた。


「…愛しい夫の血が半分流れていても、お前なぞ娘だなんて思いたくもないわ。お前なんか生まれてこなければよかったのに」

 夫人は掴んだ髪を引き寄せ、囁くように呪いの言葉を吐いた。

「申し訳ございませんっ…!申し訳ございません!」

 私はうずくまって涙を流しながら謝ることしかできなかった。それを見たアルバートとミシェルは声を上げて笑い出した。


「この人、同じことしか言ってないよー?」

「申し訳ございません!しか言えないなんてー!頭悪すぎだよね」

「あらあら、世の中にはこのような可哀想な方も多くいるのだから、悪く言ってはいけませんよ」

 そう言いながら三人は悪魔のように笑いあっていた。


「廊下まで楽しそうな笑い声が聞こえたよ。どうしたんだい、お前たち?」

 穏やかな笑顔でランドルフ・ノリス侯爵が顔を出した。夫人と二人の子供はギョッとしたが、すぐに取り繕った。

「何でもありませんわ、あなた。使用人が花瓶を割ってしまったので、片付けを待っている間に子供たちとお話してましたの」

 侯爵は私に気づいた後すぐに視線を離逸らし、再び自分の家族に目を向けた。

「さあ子供たち、勉強の時間はとっくに過ぎているよ。先生が待っていらっしゃるから急ぎなさい」


 子供と夫人が部屋を出た後、まだうずくまっている私を置いて、侯爵も部屋を後にした。私はよろよろと立ち上がり、カツラを着け直し、破片を綺麗に片付けた後、次の仕事に取り掛かることにした。


 それから1カ月後、ノリス邸へ王宮の使者がやって来た。その日は一日中慌ただしく、使用人達はあちこち走り回って仕事に励んでいた。


「あ〜もう今日は疲れちゃった。屋敷中の掃除で腕が痛いわ。でも、王宮から使者なんて初めてじゃない?何の用事だったのかしら」

「どうやらミシェル様が王子様とご婚約なさるそうよ」

「えー、あのワガママ娘が王子様と結婚なんてこの国の将来が不安だわ」

「本当に。奥様があらゆる手段を使って掴んだ縁談らしいわよ」


 就寝前、同じ部屋の使用人たちがこう話しているのを聞いた。侯爵夫人に虐められてている私は皆から避けられているので、話に加わることもなく寝床に入った。


(ミシェル様、王太子様とご婚約なさるのね…ノリス家の長女は私なのだけれど…もし、ミシェル様ではなく私が婚約者だったら素敵なのにな。ふふ、こんな事考えてもどうにもならないわね)


 翌朝、いつも通り仕事をしていると、呼び出された。急いで呼ばれた部屋に入ると、そこには侯爵夫妻、子供たちが揃っていた。


「あなたにはこの屋敷を出ていってもらいます」

 勝ち誇った顔で夫人が言った。

「私、王子様と婚約が決まったの。あんたがここにいて存在がバレるとマズイって訳よ」

 突然の申し出に戸惑っていると、ミシェルがニヤニヤしながら補足した。

「あの、私はどうなるのでしょうか」

 おずおずと侯爵へ目を向けると、侯爵は初めて私に向かって口を開いた。

「お前には別の屋敷へ移ってもらう。北方の何もない田舎町にある小さな屋敷だ。その屋敷から絶対に出るな。お前は一生そこに住んでもらう。二度と会うこともないだろう。風邪でも拗らせて病死か自害でもして、さっさと母親の後を追うといい。常に監視は付けさせるから逃げ出せると思うな」

 侯爵はまくしたてるように言うと、ため息をついた。


「…全く、お前は私の人生で唯一の汚点だよ」


 吐き捨てるように言って、侯爵は出て行った。夫人と子供たちは意地の悪い笑みを浮かべて、侯爵の後に続いて部屋を後にした。


 一人残された私はもう涙も出なかった。初めて父親にかけられた言葉が、自分の存在が父親の汚点だということ。今まで夫人や子供たちからは意地悪されても、侯爵からは無視されるだけだった。父親は少しだけでも私のことを想ってくれている、こう期待していたのだ。なのに。汚点だから存在しないものとして扱われていただけだった。


「ソフィー、心から愛する人と結婚するのよ」


 ふと、母の言葉が頭をよぎった。結婚なんて、生まれてからずっと監視され邪険に扱われているのに出来る訳がない。一生を孤独に過ごさなくちゃいけないんだわ。これなら侯爵の言うとおり、早死にした方がマシかも知れない。私は絶望に呑み込まれていった。


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