急転直下
「それで、何故あなたが馬車に同乗しているのです? 確か私はグレース達二人を同行させるといいましたよね?」
馬車の中、怪訝な顔をしたクリスタが一人の女を見つめている。
「いいじゃないの教皇様、下級淫魔一匹くらい何の障害にもならないでしょう? 傍から見たら私はぬいぐるみにしか見え無くしてるし。ね?」
相対する女、淫魔のリリスは妖しく笑みを浮かべていた。
「ね? じゃないよ、一体何のためについて来たのさ!」
「うむ。此度は儂も全くわからぬわ。すまぬの、教皇様」
そして、同乗者のグレースは目を白黒させて混乱中。ルナは何時もは飄々としているが、今回は珍しく本気で困惑し、頭を抱えていた。
時を少し遡る。
翌日、馬車に乗ってエレノアに向かう事にしたグレース、ルナ、クリスタの三人。クリスタは君主らしい荘厳な法衣に、二人は儀礼用の騎士服に身を包んで馬車に乗ったのだが、そこには先客がいた。
「はぁい、三人とも。悪いけど同乗させてもらうわよ?」
「リリス!? 何で君がここに・・・」
「うむ、家におると言うておうたじゃろ? なにゆえ・・・」
「・・・いいえ、時間もありません。ひとまず出発しましょう。話は移動中に聞きます」
ラフな軽装で座席に座っていたのは家にいるはずのリリス。妖艶な笑みで手をひらひらと振っている。どうやら幻惑魔術をフル稼働して侵入したようだが、完全に油断していたグレースとルナはあっけにとられてポカンとしており、クリスタも予想外の事に多少の焦りを見せていたが、時間も無いのでひとまず出発することを決断した。そして、冒頭に戻る。
「そうねぇ・・・。単純に一人だけお留守番ってのは暇すぎるじゃない? 家事も嫌いってわけじゃないけど、たまには出かけないとね?」
「だからって私たちに着いてこなくたって良くないかい?」
「うむ。別にお主一人でも色々回れると思うのじゃが」
「こっちの方が何倍も面白そうじゃないの。私、これでも悪魔よ? そりゃあ一人でうろつくのも悪くないけど、ね?」
てへっと頭を小突き、はにかむリリス。このような状況じゃあなかったら普通に可愛らしいし魅了されていてもおかしくないのだが、今回ばかりはグレースもルナもそうは行かなかった。
「「ね? じゃない」」
「そんなに威圧するほどの事でもないでしょ。迷惑はかけないって約束するし、多分私がいた方が絶対にいいわよ? これでも幻惑だけは一流なんだから」
「はあ・・・。まあ、デミゴッド二人を騙し通せる下級淫魔と言うのはにわかに信じがたいですが、それほどの改変能力持ちの悪魔なら、今回に限り同行を許しましょう。ただし、絶対に存在を察知されてはなりません。分かりましたね?」
「大丈夫大丈夫。いざとなったらグレースが時を止めればいいだけの話よ」
「いや、流石にそこまで尻拭いに奔走するつもりは無いからね? 一応言っておくけど」
リリスは幻惑と言ったことに対してクリスタが「改変」と言ったことに違和感こそ覚えたが、それは一旦置いてふざけたことを言っているリリスに注意したグレース。ルナは既に我は関せずと言った様子でどこからか取り出した急須から茶を注いで啜っていた。
「ふぅ、茶が上手いわい。グレース、お主も飲むか?」
「・・・うん、頂こうかな」
自分がリリスを問い詰めるよりはいっそクリスタに任せてしまえと思い、グレースは一旦話を放り投げてルナに言われるがままに茶を飲み始めた。そもそもこの場の決定権は教皇であるクリスタにあり、あくまでルナとグレースは護衛。トップに押し付けても問題はあるまい。
「ねえルナ、そういえば神域にいる時から気になっていたんだけどさ。異世界ってなんなんだろうね」
「藪から棒にどうしたのじゃ? まあ、確かに儂も気になるところではあるのう。確か遊戯のいくらかは異世界からの漂流者。または転生者が伝えた物じゃったか?」
クリスタがリリスに状況の説明や、禁止事項などの詳細を伝えている間は少し暇だったのでグレースは前から気になっていた話を振った。
「そうそう。その中でも漂流者は向こうの世界に生じた時空の歪みを通って流されてくるってのはわかってるだろう? それなら私も時空を歪ませれれば異世界に行けるんじゃないかと思ってさ」
「何を考えておるんじゃ愚か者。あちらとこちらでは魔術体系やマナの濃度も格段と違い過ぎる。あちらの者がこの世界に来るならばマナが濃ゆくなった程度で済むが儂等が行けばどうなるかはわかるじゃろうに」
「ああ、私達の体は神々のコピーのような物。確かに肉体こそあれどかなりの部分はマナで構成されてるからね・・・。最高神ならともかく私達が行けば相応の弱体化を食らうか力の大部分を失う、または消滅だからね。そして弱体化したらこっちに帰ることもできない」
「そして、今の儂等じゃと行ったところで力を回復するにしても軽く百年は要するじゃろうな。その間見つからなければいいのじゃが、そう上手くいかんのはわかりきっておるしのう」
この世界、ローデンスでは時折異世界と言われる場所から定期的に、そしてコンマ0.1秒の間だけ開く空間の歪みから異世界人が漂流してくることがある。彼らが転移してくる場所は何故かは分からないが人の多い街の路地裏などが多いらしいが、時折街の外に転移してたどり着けずに野垂れ死にする場合もあるようだ。
そして、彼女達が言ったとおりマナの差が激しいのでこちらの存在が異世界に行くのは基本的に危険な事・・・というか不可能である。歪み自体は異世界からローデンスへの一方通行であるため、たまたま偶然
歪みが目の前に合っても通れないのだ。原因は不明だが。
「はぁ…。ロマンなんだけどねぇ。異世界旅行」
「浪漫じゃがのう。まぁ、未来の儂らならなんとかなるやもしれんの。そのうち漂流者を探し、見聞を聞くのも良いかもしれんぞ」
「いるのなら、是非ともそうしたいところだよね」
とそこまで話したところで馬車が止まった。どうやら今晩の宿に着いたようだ。まだ検問所は通っていないため教国内であるのは確かだが、宿場町という事もあってかなり人で賑わっているようだ。
「ここは辺境都市キアラ。隣国との国境付近にある町で宿場町となっています。まあ、説明はこれくらいにして宿に行きましょうか」
馬車を預けてクリスタの誘導に従って大通りを歩いて指定の宿に向かう三人。馬車の御者はあくまで雇われの人物なので、別の宿に泊まるそうだ。
「さあ、今日はここに泊まります。部屋は個人部屋を四つ取っておりますので、ごゆるりとやすまれてください」
しばらく歩くと、大きさは並みの旅館と大差ないがその代わりかなり豪奢な様相をしている。ここは各国の要人や貴人が一時的に宿泊をする施設らしく、それ相応に綺羅びやかな外見にし、設備も最新鋭のものを整えなければならないとのこと。護衛とのこともあって3人もついでに泊まれるようだ。
「おお、これは中々素晴らしいのう。冥界のとはちと様式が違うが、これはこれで趣がある」
「私はあまり建物には興味なかったけど、確かに時間をかけてしっかりと作ってあるのはわかるよ」
「ワタシは割と見慣れてるんだけどね。まあいいわ。早いとこ部屋に行きましょ?」
三者三様の反応だが、ひとまずは部屋に荷物を置いてそれぞれゆっくりと休むことにしたが、
「教皇様、私達まで休んでいいのかい? 今回は仕事なわけだし、寝ずに張って置いたほうが良くない?」
と、グレースは部屋に行く前にクリスタに尋ねた。ルナとリリスはさっさと部屋に行ってしまったが、今回は部下。それも護衛として来ている手前、基本的にはずっと彼女の近くにいることが仕事なのだ。
「いえ、ここは魔術セキュリティは万全に整えられているのでその必要はございません。なので貴女達も明日に備えてゆっくり休んでください」
クリスタは明るい笑顔でそう言ってくれたので、グレースはホッと一息ついて部屋に向かうことにした。そして教皇様は歩いて行くグレースに振り向きざまに一言。
「ですが、万一ここにいる人物全員が私を狙っていないとも言い切れないので、警戒だけはお願いしますね? 最悪皆殺しも許可すると、ルナにもそう伝えておいてください」
とてつもない黒くていい笑顔。支配者特有の表情とでも言うべきだろうか迷ったが、ひとまずはグレースも笑顔を張り付けて返答した。
「わかったけど、君は不死鳥で不死身だろう? 狙われたところで…いや、君の血は狙う価値ありだね」
「そういうことです。私の血を少量飲めば不老、多量飲めば不老不死がもれなくついてきますので、事情を知ってる輩からは狙われるんです」
クリスタは不死鳥を喰らった時に不死鳥の血に宿る力まで受け継いでいるので、必然的に彼女の血にも特殊な効果は宿っている。それを知るものこそ少ないが、知るものも当然いるので狙われることもしばしばあるそうだ。
「聖堂内なら結界も万全なのですが、今回は完全にアウェイ。付き人も最小限と指定されていますので念には念をと思いまして。お願いしますね、グレース」
「了解、できるだけの事はやっておくよ」
そう言ってグレースはクリスタと別れて自室に戻った。そして言った通りできるだけの事をしようと権能を解放する前に風呂で体をサッパリさせてからすることにした。幸い部屋にシャワールームはあるので、洗い流すことは十分できそうだ。湯船が小さいのが気になるが、グレースにとってはその程度は小さな問題である。
「まあ、その前にやる事はやろう。えーと、とりあえず時空を歪めて結界を張ればいいか。名前は、『空刻結界』」
本来ならそれっぽい名前なんて付けずとも扱えるのだが、大っぴらに権能を使っていることが察せられたら割とマズい事態なので、魔術としての名をつけて使うことにしている。
「さて、結界の範囲はクリスタの半径百五十メートル。発動条件は彼女が己の記憶にない人物、または悪意のある人物に接触された時。効果はまあ、少々の時間停止と共に対象を空間断裂による無限斬撃で切り刻むってとこでいいか」
自分が現時点でできる最高のカウンター魔術(権能MIXバージョン)をクリスタに付与したグレースはそのまま体を洗い流し、転移門を開いて山奥の秘湯にワープした。
「いやぁ、この間ロックに秘湯があるって聞いておいて良かったよ」
先日、武器を受け取った後にグレースは一人で彼の営む武具店を訪れており、その際に彼から滅多に人が立ち寄らない場所にある秘湯があると聞いていたので、この仕事が始まる前に少し遠出してワープできるようにしておいたのだ。
場所はセレスティア領内にある最高峰の山であるミディール山の山頂付近。年中雪が周囲を覆っており、白銀の光景を生み出している霊峰だ。季節は春だが、この場所は年中冬とそう変わらない。少し離れた場所に黄色い花が咲いているが、流石にそこに行くのは寒すぎる。
「さてと、クリスタは多分大丈夫だろうし私は私なりに休ませてもらおうかな」
再び虚空に手を突っ込んだグレースはグラスと酒瓶をそこから取り出し、ビールを注いで呑み始めた。今宵は満月が夜空に良く映えており、肴にはちょうどよさそうな絶景だ。それに、この風景を独り占め出来ているというのもまた素晴らしい。
「クリスタの様子は問題なし、酒も旨し。そして今日も世は事も無し。いやぁ、素晴らしいね。神域の風呂も良い物だったけど、見えるのは戦場ばかりだったし。どうせ見るなら月夜に限る」
「なぁに一人で浸っておるのじゃ。護衛の仕事を忘れたのか?」
「そっちこそ。というか、よくこの場所がわかったねルナ。ビールは飲むかい?」
「いい。儂は焼酎を持って来ておるからの」
酒を飲みながら少々浸っていると、何時の間に来ていたルナがグレースの隣に腰を下ろしていた。細かく聞くのも無粋なのでとりあえず酒を勧めたが、ルナも酒は持参していたようだ。
「全く、突然お主の魂魄がひょいと去った時には驚いたぞ。それで霊視して見ればこうも良い場所で酒を飲んでおるとは思いもせんわ!」
「ここは私だけの秘密にしておくつもりだったんだけどね・・・。で、どうやって来たのさ」
「ん? 部屋の扉は霊体化しすり抜け、そのまま主の風呂場まで行けば何の偶然か門が繋がったままじゃったからの。せっかくじゃし来た次第じゃ」
一応ルナも此方に来る前にクリスタに結界術は施し、やれる仕事はちゃんと終わらせてから来たようだ。ルナが施した結界魔術は『魂絶結界・零式』。効果結界術を施された対象に近づく悪意ある生命体の魂をその時点で断ち切り、確実に葬るというもの。本来の結界は単純に使用者の身を守る壁のようなものだが、彼女たちの作る結界は攻撃は最大の防御と言わんばかりの性能となっている。
「まあ、ひとまず今は飲むか。ほれ、杯を出せ」
「はいはい。これで良いかい?」
ルナが盃に酒を注いでグレースの方に差し出してきた。意図は察せるのでそれに合わせた。
「うむ。では、乾杯」
「ああ、乾杯」
ジョッキと杯がぶつかり、カチンという音がする。その後は二人とも特に会話することも無く静かに酒に酔いふけっていた。満月は中空に浮かび、花弁は風で舞い上がってひらひらと浮いている。その内の一枚がルナの盃の上に浮かび、それをしばし彼女は見つめていたが、ごくりとそのまま飲み干した。