閑話:教皇様の憂鬱
少し遡って、グレース達が来る前のとある日の大聖堂。教皇クリスタは暇を持て余していた。教皇としての業務は対外戦争などの旗印や条約の調印に法の制定などといった物であり、いわば国の象徴のような扱いである。これは、クリスタはあまりに大きな信仰と発言力を持っているので下手に政治に関わらせてはいけないという彼女の部下達の判断である。
政治の大まかな舵取りはクリスタが指示し、後はそれぞれの分野に精通した教団幹部が細かい方面を調整していくという方針なのだが・・・。
「アネット、どうして近頃私に仕事が一切回ってこないのでしょう?」
「知りませんよ教皇様。一介のメイドにそのような事を聞かれても困ります」
「仮にもメイド長でしょうあなたは。私の世話役に任命されてからというものスケジュール調整などをやっているのに、知らないわけないじゃないですか」
ここ2週間ほどやけに仕事が少なく、やることがなく暇をしていたクリスタは、メイド長のアネットに愚痴をこぼしていた。大臣達に何か私の出番はあるかと聞いても無いと言われて逃げられ、フラストレーションが溜まっているようで口調も教皇モードではなく、クリスタの素が少しでているようだ。
「はぁ・・・。貴女様は働き過ぎなのです。不死だからと言って休息が要らないわけではないのですよ?」
呆れた目でそう言ってくるのはメイド長のアネット。人で言うと二十代むさぼっ後半くらいの見た目をした翡翠の髪を短く纏めた女性である。
「ですが、私がいないと回らないではありませんか。そう易々と休むわけにも」
「いくのです。それに、貴女が休養を堂々と取られないと下の者が休みにくいのです」
「そう言われましても、別に休暇をとってまでやりたいことなんて無いんですよ…」
「ならば、適当に変装して市井を見てきたり美味いもの食べたりしてきてください。部屋で惰眠を貪って頂いても構いません。とにかく、下の者のためと思って一週間ほど休暇を取って頂きます。これは大臣含む、セレスティア教団の総意です」
そう言ってアネットが見せてきたのは大臣たちや教団幹部に、侍女たち全員分の署名が書かれた休暇命令書と銘打たれた書類。何時押したのかは分からないが、教皇の印章まで押されたれっきとした公文書である。印はクリスタ以外押せないはずなので、どれかの書類に紛れていたものに間違って印を押してしまっていたようだ。
「・・・しょうがないようですね。お望み通り、一週間ほど休暇を取ります」
「はい。ああ、それとここに書いてある通り貴女様は毎週土曜と日曜は休養日です。仕事をしようだなどと考えないでくださいね?」
「はい・・・」
そういう訳で、強制的に一週間の臨時休暇と週休二日を約束させられたクリスタ。がっくりと項垂れているところ、両脇をメイドたちに持ち上げられてズルズルと執務室から退出させられていった。
その後は普通に食事を取り、夜になったので風呂に入って寝ようとしたクリスタだったが、再びメイドに掴まれて連行されていた。クリスタとしては解せないのだが、一々ツッコミを入れたところでどうにもならないだろうと思っているので、大人しくしていた。
「いや、私を運ぶのはまだ許します。ですが、何故私は服を脱がされてあなた達に体を洗われているのです? それくらい自分でやります」
「メイド長から『今日は休暇に入っていないから働くとか言い出さない様に付きっ切りで逃げられない様に徹底的に世話をして差し上げなさい』と仰せつかっておりますので」
「はい、教皇様に逆らう訳ではございませんがメイド長は怒らせたら恐ろしいのです。なのでご容赦ください」
「この国のトップって一応私ですよね・・・」
「按摩も施しましょうか?」
「ああ、お願いします」
メイドたちはサラッと話題を転換し、クリスタもそれに流されたが地味に気になるところではある。実際公務のスケジュールなどはアネットに一任しているため、教皇の行動などは全て彼女が管理しているのだ。それを考えると国を裏で動かしているのは彼女なのかもしれない。実際、プライドの高い各大臣からすぐに署名を集めれるだけの人望と組織への影響力は持っているので、本当に間違いじゃなさそうだ。
「あー、大分こってますねぇ・・・。もう少し強くても良いですよー」
「承知いたしました。では、このくらいでよろしいですか?」
「はいー、ちょうどいいくらいですー」
思ったより体に疲労が溜まりまくっていたようで、ものすごくバキバキと体がきしむ音がしている。一回身投げか何かで死んでから復活すれば元通りなのだが、決して死にたいわけでも痛みが好きなわけでも無いのだ。ならばこうして凝りをほぐしてくれるだけでもすごくありがたい。
そして一通り施術してもらったりした後、クリスタはその日は就寝した。あまり眠れていなかった分もあってか、その日は直ぐに眠りに落ちているようだ。すうすうと寝息を立て、穏やかに眠っているのを確認し、アネットはクリスタの自室を出た。無論、施錠も忘れずに。
「さて、今日は何をしましょうか・・・」
休暇二日目、早速クリスタは暇していた。そう、一日目は部屋の片付けなどで潰せたが、二日目以降にやるべきことが殆ど無いのだ。
その日の鍛錬を終えて、汗を流したクリスタなのだが、それ以外やることもやりたい趣味も無い。常日頃仕事に明け暮れていたからこそ大丈夫だったが、それが無くなるとこうも虚しかったのかと思っていたのだが、ふと街を見に行こうと思いたった。
「そういえば、ここ数年くらい城下を見回っていませんでしたね。ちょっと変装して見てきましょうか」
「それならば、我々侍女の服を着て出られてはどうですか?」
「なるほど。そちらの方が私服よりもバレなさそうですね。採用です、是非ともそうさせてください」
「では、着付けしますのでそこでしばし動かずにお待ちください」
そうしてメイド服に着替えたクリスタは聖堂の裏口から外に出た。怪しまれることのないようには地味な服を着るのが一番だと思ったが、むしろ侍女たちと同じ格好をした方がバレにくいのではと思ったからだ。
「思ったよりバレない物なんですね・・・。年十年ぶりでしょうか。誰も私に気付かないどころか見向きすらしないとは」
思った通り、全くバレることもなく正面切って街を歩けていた。今までならいくら平民の格好をして市中にでても何故かバレていたのだが、今回は全くバレる気配すらしない。これはクリスタにとって中々新鮮な感覚だった。
「…!? この魔力は…もしかして…?」
「メイドさん、いきなり止まってどうしたんだい?」
「すいません! ちょっと気になる事を唐突に思い出しただけです!」
「そうかい? ならいいけどねえって、行っちまったよ」
街を歩いていると、唐突に途轍もなく莫大な魔力反応を感知。クリスタも実際に見たことはないが、恐らくはデミゴッド。そんな存在が一体何をしにきたのだろうかと思ってしばらく観察することにしたクリスタ。場合によっては武力行使される可能性もあるため、内心気が気でないのだが…。
「何か普通に物件探してますね…。この国に住むつもりなのでしょうけど…、これどうしましょうか」
彼女達と共にいた淫魔に気取られそうだったので、追跡をやめてカフェで一服しながら思案している。眉間にはシワが寄っており、かなり険しい表情だ。
「あの淫魔、幻惑が半端なさすぎますね…。あの距離まで私が気づかないとは…」
それに、あの淫魔の体内からはデミゴッド二人の魔力も感知された。恐らく吸精を行ったのだろうが、デミゴッドの魔力を吸って耐えきれる淫魔など、ありえないはずだ。相当特異体質なのか、あるいは…。
「まぁ、いずれにせよ手元に置いて手綱を取れれば大きい戦力になりますね。帰ったら側近を集めて会議と行きますか」
さて、憂鬱で暇な休日は終わり。楽しい本業に戻ろう────とクリスタはしたがそう上手く行かないのが世の常である。
「そうは行きませんよ。あと5日間、しっかりと休養を取っていただきます」
「あぁああネット!? どうしてここに!?」
「私も部下に休暇を取ってこいと追い出されまして。同じ穴の狢というわけです。まあ、二人でゆっくり過ごすのも悪くはないでしょう?」
「そんなぁ…」
とりあえず、要件だけは伝えようと誓いクリスタはアネットに連れられていった。その顔は複雜そうだったが、妙に晴れやかな表情をしているのだった。