二章二話
「さて、飛び込んだのはいいけど視界が滅茶苦茶悪いな・・・。それにビキニで潜水するなんて普通に考えて頭イかれてるよなぁ」
意気揚々と船から飛び込んでみたまでは良かったが、潜水してみて初めて失策だったと気づいた。夜の海なので当然視界は最悪であり、水温も低い。人間だったら普通に死んでいる所だろう。自室にワープ用の目印はつけてあるため戻る事は容易なのだが、海竜を放っておくと中々に厄介な事態になる事もまた間違いないのだ。
「光源はまあ魔力塊でも光らせておくか」
体温に関しては問題はないのだが気分が何か寒いので一応魔力を纏って自分は暖かいようにしているようだ。気の持ちようということらしい。
「うーん、反応はもう少し遠くの方か。ざっと二キロ先に相手の頭部がようやく見えて、その五キロ先が相手の尾とは本当に馬鹿げた大きさだなぁ。これじゃあ上から見たほうが一気に全体を狙え・・・狙え・・・」
そう、よくよく考えてみたところわざわざ海戦を仕掛ける意味など無かったのである。相手がそれだけ大きいなら上空から空爆でも仕掛けてやった方が圧倒的に効率がいいのだ。
「・・・まあ泳ぐのなんて実質始めてみたいなものだし、いい経験になったって考えておこう。うん、きっとその方がずっといいに決まってるさ」
泳ぐこと自体は試してみて楽しかったからまあいいとしよう。幼児体系とは言え体を伸び伸びと動かせる事は良い事だ。それはそれとしていっぺん潜水するだけやってみたらさっさと浮上する所存ではあるが。
「さぁて、海竜は一体どんな感じで倒すべきかな? 今の私の魔力だと尾から頭までぶった切るとかはちょっと厳しい。だからと言って空間削りでどこまで削り切れるかもわからない」
そうなって来ると頭部を一撃でぶち抜いて殺すしか方法はないのだが、海竜の知能が高い個体ならばその莫大な魔力を用いた障壁を全身に張り巡らせているに違いない。それを抜きにしても小さめの島程のサイズを穿ち抜くことはそれなりにキツいのだ。
「それなら・・・よしっ!」
方法は完全ではないが恐らく上手くいくはずだと不敵に笑う。そして海面へと急浮上、百メートルほど潜っていたのだが、多分一万メートルくらいまでなら余裕で活動できる範囲だという事がわかった。自身にかかる圧力を考えるとそれ以上が限界値と言ったところだろう。まああくまで何の対策もしなかった場合だが。
「さてさて・・・対象はどこかな? かなりデカいし見分けるのは当然簡単なんだが・・・うん、やっぱりデッカイなぁ。船が豆粒程度にしか見えないや となるとやっぱり一撃必殺で一撃離脱を心がけるしかないってところか」
空に躍り出るとグレースは魔力を腕に集中させ始める。今の彼女は武器の一つも持ち合わせていないので完全に魔力頼りの戦闘しかできないのだ。フィジカルで殴るにもあの巨体を相手にするにはかなり貧弱極まれりと言ったところであろう。そして魔術を練ろうにも権能の保持と安定稼働に回す魔力にかなりのリソースを割いているので大規模な魔術は使うに使えないのだ。
「可能な限り貫通力と破砕性を高めて・・・これでいいかな?」
魔力で編んだ槍を螺旋状に回転させた物に爆砕の機能を付与した物を両手に一本ずつ生成した。それを維持しつつ飛行しながら標的を探している。
「後は時間を止めて接近し、二撃で決めるだけ!」
・・・結論から言うとグレースはこの作戦にあっさりと失敗し泣く泣く船へと逃げ帰る羽目になった。そう、驚くほどに攻撃が全く通用せずに逆に手痛い反撃を食らってしまってさえいたのだ。四肢に欠損こそないが、ところどころ皮膚が炭化しており表情もかなり疲労がハッキリと見えてしまっていた。
「まさか私がここまで弱体化してたなんて・・・。流石に予想外だよ」
あの後グレースは確かに螺旋槍を海竜に投げつけた。それは間違いなく猛烈な勢いで回転しながら海竜の頭部に向かったはずだったが・・・。
「ははっ、まさか届く寸前で霧散するなんて馬鹿げてる。多少弱まったとはいえ最高位のデミゴッドが生成した魔力を容易く無効化? 滅茶苦茶にもほどがあるだろう」
身体能力などにも差異があるように、魔力の質にも当然差はある。簡単に説明すると神>デミゴッド>最高位の龍や魔族、天使>>亜人>>>>>>人間の序列になっているはずなのだが、まさかの例外が存在してしまったようだ。
「・・・『去ね』」
そして、海竜が発したその言霊のみでグレースはいとも簡単にねじ伏せられる。とっさに貼った魔力障壁も一層を残して全部破壊され、魔力炉心も一時的に完全停止に追い込まれる。その言葉にはそれだけの魔力と力があった。そう、グレースは見たこともあった事も聞いたことも無かったのだが数キロにも及ぶサイズの海竜は控えめに言っても最上位のデミゴッドの全力に並ぶ程の強さを誇っているのだ。つまるところ万全のグレースが全力全開で魔術行使を行ってようやく勝てるくらいには強いのである。
「ぐえーーーーーーーーっ!!」
そして去れという言葉通り、まるでギャグか何かのようにグレースは錐もみ回転しながら彼方へと飛ばされて行った。そして海竜は呆れ果てたようでそれでいてどこか残念そうな視線を送りグレースを一瞥した後、進路を変えてどこかに去って行った。
「はぁ、風呂行こ」
その後何とか姿勢制御に成功したグレースは事前に打ち込んでおいた座標を辿って自室に転移。かなり消沈した様子で風呂場に向かった。グレース自身はかなり楽に行くと踏んでいたのだが、それが
あっさり打ち破られた事がかなり効いているようだ。
「あら、その様子だとかなりこっぴどくやられたようですね」
体を洗って浴場に向かって歩いていると、後ろからそう声をかけられた。如何にも分かってましたと言う風に平坦に話しかけてきたのはラフィだ。彼女もちょうど体を洗い終えた直後らしい。
「そこは心配の言葉をかけてくれるモノじゃないのかい? 一応メイドなんだしさ」
「いえ、今のグレース様では大洋の君主には敵わないであろうことは承知していましたので。それに、この船も君主に勝てないにせよ逃亡する程度の機能は備えてあるみたいですから」
グレースはそういう事は早く言っておいて欲しかったと言おうとしたが、ここはあえて今の内に身の程を知れてよかったと思いなおす事にした。自分の実力をハッキリ理解できていればそれに合わせた振る舞いもできるのだ。
「まあ、いい教訓になったさ。しばらくは全力の戦闘なんて無理そうだ」
「まあ、君主は海神が産みだしたと言われている伝説の怪物ですからデミゴッド以上でも違和感はありませんが・・・。なるほど、貴方がそのように容易く負けるのであればその実力は御伽噺ではないようですね」
湯船に浸かりつつそう話すラフィ。事実なのでそう目くじらを立てる必要もないかと素直にうなずくグレースだった。
「ところでグレース様、一つ質問よろしいでしょうか?」
「いいよ。まあ権能とか私の内部構造とかそういう秘密は流石に話せないけどね。私って一応神の作った傀儡みたいなものだから、機密を話そうとしたら自動で発動する術式が仕込まれてたりするんだ」
嘘である。そのような術式は確かに存在したが創造者が死んだ時点で解除済みだ。ただ、この質問がクリスタが聞くように命令していたものであることを警戒して一応釘を刺しておくことにしたのだ。
「いえ、そちらは興味ないので大丈夫なのです。私が聞きたいのは貴女様はあとどれくらいの期間で本来のスペックを取り戻すまで回復できるのかということです」
神妙な顔での質問であった。冗談などではもちろんなく、かなり真剣な質問なのは間違いないだろう。グレースは一瞬逡巡したが、そこはちゃんと話しておく事にした。
「正直、よくわからないんだ」
短く、かつ一言で結論を話した。優雅な浴場に似つかわしくない真剣な表情。グレースが嘘やからかいを一切混ぜていないことなど一目瞭然だ。
「確かに日に日に回復していることは分かる。そしてやろうと思えば身体だって基に戻せる。それでもどこかしろに不具合が出るんだ」
続けるグレースに挟み込むようにラフィは質問を重ねる。
「不具合・・・ですか?」
「ああ、例えば体を戻したら肉体は強いけど一切魔力を放出できなくなったりする。かといって権能で巻き戻そうにもそれを行うのに必要な魔力リソースが存在しない。無理矢理使ったら何が起こるかわからないしね」
権能を一辺取り外せれば物凄く楽なのだとも付け加えた。
「なるほど。つまり権能は容量の大部分を占める割に完全にデッドウェイトになってる役立たずということなのですね」
「あはは・・・。一応親の形見ではあるんだけどね? まあ否定はしないしできないのだけれど」
苦笑いしつつも本当の事なのでそう答えるしかないグレースだった。
「まあ、できる範囲で戻れるように努力はするさ。少なくとも学園にいるうちはこの姿のままだろうけどね」
「色々と不都合も生じますからそこは仕方ないでしょうね・・・。ふぅ」
そこまで話し終えると満足したのかラフィはくつろぎモードに移行したようだ。完全に蕩けきっている。グレースはその場を立つと露天風呂に移動した。長い髪を纏めた彼女は一人物思いにふけっていた。
「あの時はあれくらいしか方法が無かったとは言え、こんなにも弱くなるなんて考えもしなかったなぁ」
単純な魔力で殴る事以外能を無くした今の自分を改めて考えると、神域で戦争をしていた自分が遠くかけ離れたものにさえ感じられる。ああ、あの時が懐かしいなと過去に思いを馳せていた。
「妹たちは流石に今の私だとタコ殴りにされるから会いたくないけど神域には一回帰りたい・・・」
絢爛豪華な自分だけの屋敷、好きなだけ食べても減る事のない酒に食べ物。終わる事の無い血の湧き立つ闘争の日々。今思い出すと中々に楽しい愉しい日々だったとしみじみ感じる。地上は国にせよ何にせよしがらみが多すぎる。
「そして、しばらく権能を停止させて身体の回復を図る事はできるけど、それだといざという時の対応がね」
そう、今のグレースは魔力の大半を権能の安定稼働に割いているがその分を体の修復に向ければ一週間もあればある程度は身体機能を元に戻すことが可能になるだろう。だが、時を操る能力は非常時に発動できる力としては最上級。そして一度止めた権能は再起動するのに莫大な魔力を必要とすることは目に見えているので止める訳にも行かないという現状なのだ。
「まぁ、今はしばらく心を休めるとしよう」
酒瓶を虚空から取り出しそれを一気に煽る。中身は麦酒、いわゆるビール。暖かい風呂と相反して冷たくほろ苦い発泡酒はアンニュイな気分を多少なりとも晴らしてくれるものだ。少なくとも酔っているうちはきっと楽だろう。




