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第十七話


 小学校にあがる前、とても寒い冬の季節に、加依は父親が泣いているのを初めてみる。


 夜、かすかな話し声にうながされて、加依の目はぱちりと覚めた。

 そばにいなかった親のぬくもりを求めたのだろう。凍えることへの嫌さを押しのけ、隣部屋からもれる光についていった。


 聞こえる両親の会話は難しくて、加依は何を言っているのか分からない。家族のわっかに入れて欲しくなった。でもたぶん、「ねなさい」と言われてしまうだろうと、こっそりふすまに近づいて、すこしだけワクワクして、父と母に目をうつした。


 幼い加依は、その眺めをすこし不思議に思った。何かが違う。


 母はダイニングのテーブルに座り、父がキッチンで炊事をしている。どこか優し気な明日香は小さな声で話していたけど、雄二は背中を向けていてうまく見えない。加依は雄二の様子のほうが気になった。いつもシャキッと背筋を伸ばす父の頭が、この時は下に傾いていた。


 ――すまなかった。


 かわされる会話の中で、その言葉だけが加依の耳に飛びこんだ。分かるはずの言葉を、まるで初めて聞いたかのような。

 動かない雄二の背中。涙をちゃんと見たわけではない。

 だけど加依には、雄二のうなだれる姿が、まるで泣いているように見えた。


 幼い加依は何かを思った。でも、今までにない感情で、そばに行きたかったけど、うまく言えない怖さがあって覗いていることしかできなかった。


 長い時間がたって、雄二はダイニングから出ていった。緊張していた加依の身体も動けるようになって、加依は部屋の光からゆっくりと離れた。

 後から思えば、雄二はきっと仕事の話をしていたのだろう。明日香はきっと、家族を支えていこうと思っていたのだろう。


 加依の布団のとなりには、静かな寝息をたてている卓也がいる。


 どうしてだろう。卓也が、何かのきっかけだったのか。

 加依は強く思ったのだ。大好きなみんなの力になろうと。自分にできることを頑張ろうと。

 理屈で説明することができなかった。数年の月日がたっても理由を説明できないことを、いずれ加依は知る。だというのに、色々なことを頑張ろうと思っていた。たまたま手元にあったブロックを組み立てたようだった。父と母、卓也の笑っている顔が、勝手にたくさん思い浮かんでいった。


 この出来事が、加依の根っこになっていく。


 雄二がなぜ自分たちに厳しくするのか、加依は言葉にできずとも知った。それからの加依は、無意識に合わせることに費やした。期待に応えたいのではない。泣いてほしくない。笑っていて欲しい。

 べんきょうも、おてつだいもちゃんとする。しっかりした女の子になる。


 がんばる。がんばって。がんばって。

 ――なのに、どうして私は盗むことをしてしまったのだろう。


 また同じだ。加依は盗んだ理由をうまく説明できない。一番最初はとくに、やってしまった、としか言えなかった。

 いけないことだと知っていた。なのに『欲しい』が強いらしい。その想いのふり払い方が分からないのだ。止められない。


 知らないまま、今までがんばってきたことに、どんどん傷がついていく気はしていた。

 なぜ、それなのに止められない? ……もしかすればだが、そう思う機会すら用意されてなかったのかもしれない。


 ただ、頬を叩かれた今になって一つ分かってしまった。


 怒った顔にさせたくて、悲しんだ顔にさせたくて、怒られ叩かれるために、今まで必死だったわけではないのだ。

 加依が望んだのは、もっと温かなものだったはずだ。


   ★


 ザーザーとおちるたくさんの雨。どこもかしこも真っ暗な中で、まわり全部から同じ音がして、加依は閉じ込められている気持ちになる。


 家を出てしばらくは、心の言うとおりにするだけでよかった。ショックのあまり、心がだれのいないところを求めて、逆らいようがなかったから歩いていた。


 だけど、だんだんと頭が動くようになって、もどらなきゃとか、もどりたくないとか、色々と考えだした。そして、もどらなきゃという想いが、悲しい想いに勝ったときには、もう家への帰り方が分からなくなっていた。


 開き直って気持ちよくなっていたはずの雨が、今は痛い。胸にあるのは焦りばかりで、全然楽しくなんかない。とても苦しい。


 今すぐどこかへ歩きたかった。ただ、今戻ろうとしたら危険すぎることも分かっていて、ずっと頭をおさえて悩んでいる。


 家族のことが思い浮かぶ。会いたいのに怖い。怒られないで会えればいいのに、悪いことをした自分がもらえるものじゃない。

 この気持ちが何なのか、何となく分かる。


 仲直り、したかった。


「――、――!」


 兄の声が、聞こえた気がした。



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