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朝日を眺めた後、私は残された仕事に取り掛かるために、相変わらず雑踏としたスラム街の家々、よれよれで汚れた服を着て歩く人々を遠めに眺めながら、この街の数少ない診療所の一つに向けて車を走らせた。サユリが開いている診療所だ。本当だったらほかの孤児仲間と共にこちらのG連邦に昨日から観光という名目で来てもらう予定だった。だが、あいつには「そんな事やる暇はない」と断られてしまった。たまにはこっちで休んでリフレッシュしたらいいじゃないかと粘りもしたものの、「私はこっちで自分のタイミングでしっかりと休んでいるから大丈夫」とこれまた断られてしまったのだった。どうやら彼女はG連邦に対して興味がないようだった。頑固な奴だ。そして、何とも彼女らしい。だが、そのおかげでこうやって仕事が1つ増えたのだ、まったく。
診療所に着くと診療所の前でサユリは子どもたち十人ほどに囲まれていた。どうやら診療所を開く前に子どもたちの遊び相手をしているようだった。彼女は主に小児科を扱っており、その子どもたちは以前に彼女に診療してもらったか治療をしてもらったことのある子どもたちなのだろう。だが、それだけが彼女の周りに子ども達が群がる理由ではない気がしてならなかった。
そして彼女が子ども達の相手をしているのを見ているとどうしてかギュエン爺さんの事を思い出さずにはいられなかった。
ギュエン爺さんはいつも子ども達と同じ目線まで腰を下ろし、そして子どもたちと同じようにふざけて楽しんでくれた。だからいつも彼の周りには子ども達が集まっていた。いつもそんな状態であったため、幼かった私はギュエン爺さんに相手にしてほしかったものの、そんな事も言えずに1人で遊んでいることが多かった。そんなある日、ギュエン爺さんは私の所に寄り添い、親身に話し相手になってくれたと共に、「愛して欲しくば、愛して欲しかった事を忘れるくらい愛しなさい」という言葉を私に送っていた。
彼女の周りにああやって子どもたちが群がる理由はまさにそのアドバイスを実践した結果なのだろうか?私はどうしてもその事に関して考えざるを得なかった。
「よう、久しぶりだな」
「アラン!」
何時までも子ども達が彼女の周りから離れるのを待っている暇はなかったので、私は意を決して彼女に話しかけることにした。
「久しぶりじゃない!元気だった?」
「ああ、優雅な生活をあっちで送っているよ。それよりもサユリ、二人っきりで少し話したい事があるんだが…」
「それじゃあ一旦中に案内するよ!」
彼女は子どもらと別れを告げて、私の突然の訪問に対し不審に思う様子もなく、気さくに診療所内へと私を案内し、キッチンでお茶とお菓子の用意をしてくれた。
「ここを出てって以来だっけ?」
「ああ、そうだな」
「にしても急に連絡してきて、『こっちに観光に遊びに来ないか』って誘ってきたと思ったら今度は十何年ぶりにこの街を訪ねてくるとはね。どういう風の吹き回しなのやら」
「ちょっ、ちょっと皆の顔が恋しくなってな」
「嘘くさ!」
ついとっさに誤魔化してしまったものの、そんな事をしている暇はなかった。時間は限られていた。私はそそくさと本題を切り出す事にした。
「なあ、お前くらいの医者だったら、こっちで何倍もの給料が手に入るんだ。こんな所で小さな診療所を続けるくらいだったら、こっちに来ないか。連れてってやるから今からでも見に行かないか?お前もあっちの生活を知れば絶対住みたくなるって!」
「何かと思えば、そんな事をお願いしに来たの?馬鹿馬鹿しい。もう十何年も経っているからあんたも変わったかと思ったけど何も変わってないのね。私はね、この街を捨てたあなたとは違ってギュエンおじいちゃんの意志を継ぐの。だからこの街を見捨てたりしない。そもそもこの十年余りでG連邦共和国との格差は広がって、それに連れて優秀な医者からこの街を離れて医者不足なのに、何で私までここを去らないといけないの?」
「だって、お前だって分かってるだろ!ギュエン爺さんは誰がどう見ても誰かに殺された!それを役所は隠蔽した!リリカおばさんは俺たちを捨てて、店を取った!果ては、俺がせっかく皆のためを思って仕送りをした金を同じ孤児院出身者のマイクが持ち逃げする始末だ!ここはそういう輩がうじゃうじゃいる腐った街なんだよ!」
「出てって」
そう呟くサユリの目は私に対する憎悪と怒りに満ちていた。私はここに来た目的も忘れつい熱くなってしまった自分を恥じた。
「すまない、そんなつもりは…」
「出てって!」
彼女のその叫び声はこの部屋全てを凍らせるのではないかと思うほど冷たく敵意に満ちたものだった。それに対して私がどう弁明した所で無駄に終わる様にしか見えなかった。
「わかったよ…」
そう言って諦めたふりをしつつ、私は足音を消して彼女の背後を取り、口をロープで縛り声が出せないようにし、それと同時に手足を縛った。
サユリはもちろん驚き、そして抵抗を試みたがそれを私が許すことは決してなかった。
「お前のためなんだ。分かってくれ!」
そう言いながら私は彼女を無理やり私の車の後部座席に乗せた。後はこの街を抜けて、G連邦共和国に帰るだけだ。私は急いでエンジンを掛け、急発進した。早くこの街から出なければ我々の命すら危ういのだ。
「何をするつもりなの!」
しっかりとロープで口を塞いだはずであったが、サユリは何とかして解いたようだった。ここまで強引に連れてきたんだ。そして勘の鋭い女だ。どの道あとで気が付くだろう。私は誤摩化す事を諦め、今回の作戦内容を話すことにした。
「この街はあと数時間後にテロリストが用意した爆弾による爆風に巻きこまれ壊滅する」
「どういう事?何でそんな事…」
突拍子もない話に彼女は困惑しているようだったが、そんな事にかまっている暇はなかった。私はそのまま話を続けた。
「あいつらは爆弾を積んで我が国、G連邦共和国で爆発させる気だろう。しかし、そんな情報はこっちに筒抜けだ。彼らは検問所で捕まる。その際に自暴自棄になって爆弾を爆破させるだろう。検問所の人間だけでも殺そうとして。しかし、爆弾は彼らの想定以上に爆発し国境付近のこのスラムは壊滅するだろう。しかし、G連邦にとっては辺境の地である国境での爆発の被害は最小限だ。たとえ検問所を突破したり、素直に検問所で捕まった所で遠隔操作で爆弾は爆破される。まったくあいつらも愚かにも程がある。爆弾の知識も乏しいくせに素性の分からない、それも結局は敵国のスパイに爆弾を買わされていることも知らずに…」
「だから!なんでそんな事知ってるの!」
「それは全て我々が計画したからに決まってるだろ?」
血の気が引いている彼女を尻目に私は話を続けた。
「彼らの存在はずいぶん前から把握し監視していた。それと共にA連邦において一定の支持を得ていることも把握していた。今後彼らが我が国の脅威になり得る事は目に見えていた。それと共にA連邦からの不法移民増加が問題視されていた。しかし、この国が移民から成り立ったという歴史や安価な労働者を欲する経済界からの圧力もあり、中々不法移民を規制する動きは進まなかった。それらの問題を一気に解決する手段が今回の作戦だ。このテロ攻撃によりさすがの政府も不法移民の取り締まり、規制を進めざるを得ない。それにより本当に優秀な人材だけが入国を許される、この国本来の姿を取り戻せる。このテロ攻撃により甚大な被害を蒙ったA連邦の市民は彼らテロリストの愚かさを身に染みて理解し、彼らへの支持も遠のくだろう」
「それでどれだけの人が犠牲になると思ってるの?その人たちはどうでもいいって言うの!」
「いいか、この世界には必要悪というものがある。誰かが手を汚さなければいけない時があるんだよ!全ては社会全体のためだ!少しの犠牲は仕方がないのだよ!」
「そんなの間違ってる!間違ってるよ!」
その後サユリのすすり泣く声が聞こえたかと思ったもののしばらくするとそれも静まりエンジン音ばかりが車内に響き渡っていた。私は彼女が、諦めが付いたものだと思った。しかし、そうではなかった。
「一つだけお願いを聞いて」
「何だ?」
「最後に立ち寄りたい所があるの」
「だめだ、時間がない」
「さもないと私、舌を噛み切るから!」
バックミラー越しで見る彼女の眼光はナイフで私を斬りつけるかのごとく鋭いものだった。ダメだ、彼女は脅しでもなく本気でそう言っているのだ。その眼光を見る限り私は根負けするしかないようだった。
「わかったよ、一瞬だけだからな」
私はそう言って彼女の指示する方に車を走らせた。
見慣れた景色を走り続けていたものの、しばらくすると車道にはみ出ながら歩く群衆が前方からやってくるのが見えた。
「おい、これじゃあ目的地何かに着かないぞ」
「いいの、もう着いたから」
彼女の言った意味が初め理解できなかったものの、すぐに彼女の真意が分かった。
「孤児院の土地を返せ!」
「ギュエン・ハノーアーの意志を継ぎ孤児院跡地に新たな孤児院を!」
数にして数百人いるであろう、その群衆の多さにも驚かされたが、それ以上に衝撃を受けたのはその先頭を練り歩く人物達だった。
それはあの悪徳役人、アンドリュー・シーウェンと我々を見捨てたリリカおばさんとその旦那、ケーキ屋のおじさんに間違いなかった。
気が付けば私は車を勢いよく飛び出し彼らの元へ急ぎ足で向かっていた。高級腕時計や高い生地を使ったスーツを身に着けていた頃からは想像がつかないほど簡素で質素な服装をして、先頭で「孤児院の再建を!」と書かれた横断幕を掲げるシーウェンを急ぎ足の勢いそのままに殴りかかった。もちろん周りの群集は各々に騒ぎ散らしたが、そんなものはどうでもいい。彼こそこの孤児院を奪った、ギュエン爺さんを殺した張本人なのだから。これほどまでの偽善が許されるはずがなかった。一度殴っただけで済まされる男ではない。起き上がろうとする彼を何度も何度も殴った。
「やめなさい、アラン!シーウェンさんを離すんだ!」
口火を切ったのはケーキ屋のおじさんだった。
「シーウェンさん?おい、おじさん、こいつが一体何をしてきたか、知らないのか?」
「そんなの分かっておる」
「ホントにそうか?それじゃあこの際だから教えてやる。こいつは企業から賄賂をもらい、それを巧妙にタックスヘイブンを経由することで資金洗浄して汚い金を正当な資産として偽った。それは俺がハッキングして金の流れを見たからはっきりしている。そして、その証拠を俺が見つけた後すぐだよ、ギュエン爺さんを道ずれに孤児院が燃え去ったのは!リリカばあさんも立ち退き料でこいつに揺すられたんだろ?それですべての辻褄が合うんだよ!」
「それもわかっておる」
おじさんのその静かな、そして落ち着いた物言いからその言葉が嘘でないことははっきりしていた。でも何でそれを分かっている上でこうして共に行動しているのか、私は理解が追いつかなかった。しばらくして混乱する頭からひねり出した言葉は呆然と「はあ?」というたわいのないものであり、私はただ立ち尽くすしかなかった。
「全ては私、アンドリュー・シーウェンが悪いんだ。ほとんど君の言うとおりだよ。アラン君。ご存知の通り己の持つ権力を私利私欲に使い、多くの裏金を手に入れた。マフィアとて必要であれば利用した。そして、君の言うとおりハッキングされていることに気が付き出所を探って君の孤児院に行き着いた。そして事件をうやむやにするために彼女に嘘の証言を促したのもこの私だ。まったく我ながらひどい男だよ」
彼の口からそんな言葉が聞けるなんて信じられずますます私は混乱したものの、彼はそんな私を置き去りにして淡々と話を続けた。
「だがね、私も結局は派閥争いに負け、これまでの汚職を理由に一文無しになってしまった。権力も金もない私に対して擦り寄ってくる者はもはや誰もいない。そして路頭に迷い、病気を患っている時に手を差し伸べてくれたのが、あの孤児院出身のサユリさんだった。私が誰なのかも分かった上で、彼女は金のない私を治療費も請求せずに介護してくれた。病気で倒れている人を助けるのが私の仕事ですと言って。それからだ、私が奪ったギュエン・ハノーアーの遺産、診療所や就職相談所を、彼の世話になった市民たちで小規模ながら再建していることを知ったのは。私は彼らのおかげで仕事先を手にいれ、何とか生活できるようになった。皮肉なものだよ、かつては虫けらのように見下していた者たちに助けられるのだから。だからこそこれまでの行いを反省し、罪滅ぼしをしようと思い立った。たとえ許してもらえなくてもいい。少しでも罪滅ぼしになればそれで良かった。だからこそすまなかった!許してもらえるとは思っていない。ただ、これだけは言わせてくれ!俺は裏金の証拠を消し去るべくマフィアを使って孤児院に乗り込んだが、その時には既にギュエン・ハノーアーの書斎から火が出ていたんだ!だから俺は手を出してはいない。ほかの誰かが…」
「うるさい!」
私は土下座をする彼の頭に向けて蹴りを入れた。それでも微動だにせず、「すまなかった!」と彼は謝り続けるのだった。しかし、そんなのは関係ない。私はひたすら彼に蹴りを入れた。
「もうその辺にしたらどうだ、アラン。シーウェンさんはここにいる誰よりも孤児院再建に向けて努力してくれているんだ。街頭で演説して訴えたり、募金活動をしたり、企業や有力者に掛け合ったり。そのおかげでもうすぐ必要な資金が集まりそうなんだよ。それもこれもシーウェンさんのおかげだ」
「でもこいつはまだこの期に及んでも自分はギュエン爺さんを殺してないなんて嘘を付いているじゃないか!」
「それに関しては、私は弁護士でも検察でもないからはっきりしたことは言えん。しかしな、彼が仕事を失った後、この街の為に働いたことは紛れもない真実だ」
「で、でも…こいつは…」
私はこの煮え切らない感情の吐き出し先を見失い、地団駄を踏むしかなかった。全てはこの恨みのおかげで私は躊躇なくこの計画に対し邁進できていたのだ。この期に及んで踏み止まれというのか?そんなことやすやすと出来るわけないではないか。
「ごめんなさい、私が悪いの。安易に彼の口車に乗せられずに自分の意志を貫いていれば…あれからずっと後悔していたの。だからこそごめんなさい。この活動がその罪滅ぼしになるかわからないけど…」そう言いながらリリカおばさんは私を抱き締めてきた。
「私もだ、こんな事があった事を知らずに運よく立ち退き料が出たと喜んでばかりだった。もっと君らの事を気にかけてあげれば…すまなかった」
「あの時ギュエン爺さんを失って大変だったろうに、俺たちも散々世話になったのに、彼への恩返しとして君らに手を差し伸べられなかった。済まなかった」
そう言って同じように私を抱きしめる者、頭を下げる者、様々だったが、その全てに対して私は怒りの吐きどころを見失ってしまった。
ただ、その代わりに私の中で芽生えたのは、あの頃、ギュエン爺さんが私に優しく接してくれていた、あの懐かしい頃に感じていた暖かい感情だった。私は自然とあの頃の、優しく頭を撫でてくれたり、力強く、そして優しく私を抱きしめてくれたギュエン爺さんを思い出していた。
どれだけの時間が経っただろうか?気がつけばそこにいるのはただ、溢れる涙と鼻水をコントロールできずに垂れ流し続ける幼い頃の僕であった。