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「ほら、アラン、これもしっかり洗っておいて!」
「はい、叔母さん…」
「なんだい!その不満そうな顔は!まったく誰のおかげで生活できていると思っているのかい!いいかい、あんたは死んだ妹の為に情けで私が引き取ったんだ。だからこそ少しでも恩知らずな態度をしたら容赦しないからね!」そう怒鳴りながら叔母さんは僕の頭を一発殴りどこかへいってしまった。
山積みになった洗濯物の山と、桶と洗濯板を使って必死に洗濯物の汚れを落としている小さな背中の僕を部屋に残して。
毎日の長時間の水仕事によって僕の手は既に手のあらゆるところであかぎれを起こし、とてもじゃないが痛みで水仕事が出来るような状態ではなかったが、だからといってこの仕事をないがしろにすれば少なくとも今日の飯はなしだ。ましてや義叔父と叔母が喧嘩した日にはそれどころでは済まないだろう。だからこそ僕には黙々と洗濯をする以外の選択肢はなかった。
物心が付いた頃から僕は一人ぼっちだった。正確には親戚の叔母と義叔父、彼らの子供3人と一緒に住んでいた。何かにつけては僕に罵声を浴びせる叔母、働きもせずいつも酒瓶を片手に千鳥足の義叔父、母親に影響を受けたのか、いつも僕を上から見下ろし、馬鹿にしていた従妹たち。そんな彼らの前にいては、僕は家族の存在意義も分からず、誰かからの温もりを感じることもなかった。だからこそ僕は一人ぼっちだった。最もその世界しか知らない僕にとってはそれが普通であり、日常であった。しかし、成長するにつれ少しずつ自分が置かれている境遇というものが分かるようになってきた。
叔母は普段僕に家事の手伝いをさせる事はあっても人に会わせる事はなかった。しかし、どうしても僕の顔を他人に合わせなければいけない時は普段着ている服、汚く袖はほつれ穴のあいた従妹のお下がりではなく、一番の新品の子供服を着かせた。それだけでなく、金がもったいないと普段使わせてすらもらえない石鹸で体を洗ってくれた。
僕を他人に披露する際の態度も違っていた。普段僕に見せる事のない笑顔を振りまき、「アラン君」と君付けまでし、必要以上に頭を撫でるのだ。それがいったい何の為にしていることなのか初めは分からなかったが、次第に僕は気が付いた。 叔母は両親を亡くした可愛そうな甥っ子である僕を優しく世話していると周りにアピールするためそのように振る舞っているのだ。 全ては世間の目を気にしての行動だった。三人の子供もいるのに甥っ子まで熱心に世話を焼いて育てるなんて、なんて素敵な女性かしらと思ってもらいたくて仕方ないのだ。裏を返せば血の繋がった妹の子供を見捨てた女、引き取った子供をぞんざいに扱う冷たい女と思われたくないのだ。彼女は世間の目を気にするがゆえにそのような行動に出ているに過ぎなかった。だからこそそんな彼女を好きになる事は出来なかったし、いくらその時は丁寧に扱われようとも本心からでないものだから嬉しくもなかった。むしろ鬱陶しいだけだった。義叔父といえば酒を飲んでいる姿ばかりしか見たことがなく、どこでお金を手にしてくるのか不思議で仕方なかった。そしてよく叔母と喧嘩をし、時には暴力を振るった。両親がそんな状態だからこそ従妹たちも落ち着ける時がなかったのだろう。今なら分かる。彼らはそんなストレスを発散するべく「アランが食べるのが遅いから」、「僕がトイレに行きたい時にアランがトイレに籠ったりするから」など何でもいいから理由を付けて責任を僕に押し付けては僕を批判したり、全ては僕が悪いかのごとく僕を悪者扱い、邪魔者扱い、そして怠け者扱いするなどにして何かにつけては僕に当たった。
しかし、気が付けば義叔父の姿はなくなり、叔母が生活費を稼ぐため働くようになり、(調理以外の家事は全て僕の役割となった)ほかの皆は一日二食なのに僕だけ一日に一度だけだった食事が二日に一度になるようになるとさすがの僕もホームレスの方が僕よりもマシな生活をしている事に気が付き、この家を出る覚悟を決めた。
家を出てから僕はどう生きればいいのか、街の同じようなホームレスたちから学んだ。街はそのような人間で溢れかえっているものだから簡単だった。ゴミを漁り、その中で金になりそうなものを集めそれを金に換え夜は街の物陰でひっそりと肩寄せ合うように寝た。空腹に耐えかねない時は盗みを働き、何とか命を繋いだ。しかし、まともに食事を与えられてこなかった僕としては日々義母や従妹たちからの悪口や理不尽な要求、命令に振り回されることがなくなった分自由であり、居心地は良かった。
そうはいっても体の方はそうはいかず明日どうなるか分からない不安定な日々であり、病気を患い命を落としていく仲間を山ほど見てきた。それがいつ自分の番になってもおかしくなかった。そんな日々を数か月ほど送り、食えそうな残飯や金になりそうな代物も見つからず頭が回らないほどに空腹になっていたある日、この街の住人としては珍しいしっかりとしたスーツを着た六十代ほどの初老の老人を見つけた。金を持っているのは容姿で明らかだった。僕はその老人を背後から伺い、隙を見て彼の持つ革製の黒いハンドバックを奪った。僕は襲い掛かった勢いのまま走り去ろうとしたものの気が付けば僕は逆にハンドバックに引っ張られていた。良く見るとハンドバックには細いストラップが付いており、老人はそのストラップを老人とは思えないほどの握力でしっかりと握っていた。僕としたことが、その老人がしっかりとスリ対策を講じていたことに気が付けなかったのだ。
僕はとっさに恐怖で目を閉じた。こういう時人々が僕らにする仕打ちは気が済むまで僕らを殴る蹴るの暴力だったからだ。その際の怪我が響いて結果的に死んだ仲間もいた。しかし、その老人は僕に暴力を振るうわけでもなく、払いどけるわけではなく、ただ僕の腕をしっかりと掴んだ。そしてこう言ったのだ。
「君、家族は?一人か?腹は減っているか?」
老人は矢継早にそう聞いてきた。僕はあまりにも予想外な仕打ちに初め彼が何を言っているのか理解できなかった。しかし、彼は静かにそして力強く僕の事を見つめていた。その老人こそギュエン爺さんだった。幾ら彼が六十過ぎの老人だろうと当時九歳で尚且つ空腹で力の抜けた状態の僕は、掴んだ彼の腕を振り払えるほどの力を持ってなどいなかった。また彼の「食事を与えてくれる」という甘い誘い文句に期待して抵抗をやめたというのもあった。しかし、彼のその言葉をそのまま信じていたわけでもなかった。街には子供をさらいどこかに売り飛ばす輩がいた。実際、未だに行方不明の仲間も何人かいた。彼らはこの街のマフィアと繋がっているらしく、マフィアが牛耳るこの街では警察は何も頼りにならなかった。だからこそ僕はいつでも逃げられるよう隙を探しつつも本当に飯にありつけることも視野に入れて(実際に飯を与えて安心させる作戦という可能性もある)素直に彼に従うふりをした。
彼に連れられ、この街では珍しい、錆びついていない乗用車に乗りしばらくすると、この街では見たことがないほど立派な二階建てでレンガ作りの建物の前に辿りついた。そしてこれまた珍しい、建物を囲む二メートルはあるだろう外構。門扉は立派な金属製で太陽をモチーフにした模様が彩られていた。それだけではなく、建物すら既に大きいのにそれと同じほどの敷地の庭が付いていた。この街の外れにいつの間にこんな建物が出来ていたのか…建物を見る限り建てて数年ほどしか経っていないようだった。
庭先では自分と同い年くらいであろう子どもたちが集まってボールを追いかけていた。建物の中は立派なシャンデリアがあり、初めて見る自分にとっては少し眩しかった。床にはカーペットが敷いてあり、ゴミは転がってすらおらず、定期的に掃除を行っているようだった。
「この子にも食事を与えてくれないか」
ギュエン爺さんは奥のキッチンに向かってそう声を掛けた。
「また連れてきたんですか?」
ここで雇われているのであろう中年女性のメイドが奥のキッチンから顔を出して、そう言ってきた。「しょうがないだろう。放ってはおけないのだから」
「少し待ってて下さい。今すぐ出しますから」
そういうと彼女は見たことがないほど大きな冷蔵庫から何か食品を取り出しているようだった。
「ほらここに座って待っていなさい。」
そうギュエン爺さんに促されて座った椅子はしっかりと彫刻が彫られた立派なものだった。また、ここで食事を行うであろうテーブルも十人は座れるであろう大きく立派なものだった。テーブルには既に先客がおり、先ほどの女性よりかは若いメイド姿の女性と、彼女の手を借りながらおいしそうにお菓子を頬張っている一歳ほどの幼児がいた。
出された食事は具材の豊富な暖かいトマトスープで見るからにおいしそうだった。匂いを嗅ぐだけでも空腹な僕の胃を強く刺激した。僕の中の警戒心は既に消え失せ目の前のスープを掻き込むのに必死だった。その日、初めて僕は食べ過ぎるとお腹が苦しくなる事を知った。それからというもの僕はその孤児院で毎日三食決まった時間に食事を食べ、体を洗い、暖かいベッドで眠りにつき、ギュエン爺さんの援助のおかげで初めて学校に行けるようになった。
孤児院出身という事で僕を苛めてくる輩はもちろんいた。特に僕を妬んでいたのは同じ学校に通っていた従妹たちだった。彼らは僕が学校に通うようになった事に誰よりも驚いた。そして程無く僕が今は孤児院で生活に困ることなく暮らしている事を知り、その事実を誰よりも疎ましく思ったようだった。彼らは、僕が彼らと暮らしていた事を逆手に取り、あることない事を含め、僕のありとあらゆる悪口を周りに吐くのだった。それに同調した仲間を連れて僕を苛めた。ただ、僕自身もやられるだけの弱い子供ではなかったので孤児院の仲間を連れて彼ら以上の暴力を使って仕返しをするのだった。そのたびに僕らは学校に叱られ、ギュエン爺さんが代わりに学校に謝りに行くのだが、悪いのは喧嘩を売ってきたあいつらの方だ。しかし、ギュエン爺さんは
「周りの悪口に耳を貸すな、代わりにお前は愛を与えるようにしなさい」
と訳の分からない事を言って僕をなだめるのだった。しかし、たとえ彼が僕に諭す言葉は腑に落ちなくとも彼が教えてくれる教育には僕は胸を躍った。特に彼が教えてくれるコンピューターというものに熱中した。僕はその機械の複雑さ、そしてプログラミングに魅了された。そこには未知の世界が広がっており、無限の可能性を感じたのだった。そして、プログラミングに熱中していたからか、元々頭が良かったのか分からないが、ありがたい事に僕の学校での成績は良かった。一年もしないうちに僕は飛び級し、入った当初は周りの子供よりも教育を受ける機会が遅かったこともあり、同級生は年下の方が多かったもののいつの間にか周りの同級生は同年か年上ばかりになっていた。そして、その神童ぶりに周りが羨望の眼差しをするようになり、それと共に僕を苛める者も減っていった。
そのおかげか僕はますます勉学に励むようになった。なぜなら成績が良ければ良いほど周りは僕に憧れ、教師も僕を褒め称えた。それは今までにない快感であり僕はその優越感が何よりも心地よかった。だからこそ誰よりも一番になる事を重要視した。だからといってライバルがいないわけではなかった。しかもそれは同じ孤児院の同い年のサユリ・ポーツマスという女だった。彼女はいつも僕と成績を競い合っていた。腹立たしいのは、彼女は決して僕の事をライバルだと思ってすらおらず、僕と成績を競い合っている事に興味すらなかったことだ。彼女は僕とは勉学に対する姿勢が違っていた。彼女は数年前に流行った伝染病で両親を亡くした。貰い受ける親戚もおらず、たまたまその話を聞いたギュエン爺さんが引き取る事になったのだった。そして、彼女は彼女のような悲劇を繰り返したくないが故に医者を目指しそれが故に勉学に励んだ。だからこそ医者になれさえすれば成績の多少の良し悪しは気にしなかったし、順位など興味を持つはずもなかった。彼女は両親を亡くしている点に関して言えば僕と同じであった。だがも自分ほど劣悪な環境で育ったわけではなかった。裕福とまではいかなくても、毎日三食お腹がいっぱいになるまで食べていたし、学校に以前から通っていた。両親が亡くなって比較的すぐに引き取られたこともあり、自分のようにホームレスとして路上で生活したこともなかった。
何を言いたいかというと彼女はそうやって甘やかされて育った分周りに甘かった。孤児院出身者を僻んでいる者(いくら成績が良かろうと僕らにそういった偏見を持ち続ける輩は少なからずいた)に対しても分け隔てなくあいさつはしたし、不良どもから嫌がらせをされても笑ってやり過ごしていた。僕はそんな態度は敵に舐められるだけだと思ったし、そんな態度をする必要性も感じなかった。しかし、何よりも気に食わなかったのは成績が良いのはどちらかといえば自分の方なのに周りからの人気があったのは圧倒的に彼女の方だった事かもしれない。いつも彼女の周りに人が集まっていた。なぜあんな奴が人気なのか僕は納得がいかなかった。