神様が来てくれた
その日、私は明日の出勤に備えて、何を着ていくか考えていた。
天気予報で、急に冷え込むと言っていたからだ。
とはいえ、ウールのコートを着るほどではないだろうし、
トレンチにマフラー程度がいいのかもしれない。
そんなことを考えながら、マフラーを探し、私はごそごそと
クローゼットを引っかき回していたのだが。
「あっ、やだ!」
ぐっと奥に手を押しこんだとき、ひっかかったかなにかして、
ボタンが飛び出し床に落ちると、コロコロと転がってしまった。
「えー。どの服から取れちゃったんだろう」
ともかく回収しなくては、と私は床にしゃがみ込み、
ボタンの行方を目で探す。
そのとき、ベッドと棚の隙間付近に、いつの間にか
滑り落ちていたらしい、本らしきものが目に入る。
わずかに見える背表紙はピンク色で、どうやら漫画らしかった。
なんだっけ、と考えながら手を差し込み、
どうにか狭い隙間から、埃だらけの漫画本を取り出してみる。
「あっ! こんなとこに落ちてたんだ! 懐かしい」
それは私が、中学生くらいのころ。
古本屋さんで買った、少女漫画だった。
いつの間にか失くし、もしかしたら友人に貸したままになっているのか
と思っていたが、まさかこんなところに落ちていたとは思わなかった。
「好きだったなあ、これ。もう今から、十年くらい前だよね」
出版日を確かめようと、最後のあたりのページを
めくった、そのとき。
ひらっ、と黄ばんだ紙が落ちてきて、私は眉を顰める。
「なんだろう、広告?」
一瞬そう思ったが、違った。それはわら半紙のようなものに、
誰かが鉛筆で書いたものだった。
紙の大きさは、スマホ程度。長方形で、
丸い模様のような絵が書いてある。
「私が書いたものじゃない。字が違うものね。っていうことは、
前の持ち主が書いて入れてたのかな」
妙に興味をひかれて、私は漫画本をいったん棚に置き、
ベッドに座ってその紙をしげしげと眺めた。
丸い模様は、円の中にさらに円があり、バッテンやら矢印やら、
アルファベットとは違うなにかの文字が描かれている。
そして模様の上に、上手とはいえない平仮名で、
『かみさまが、ねがいをかなえてくれる、ほうほう』
と書いてあった。
私は中小企業で事務職についている、ごく普通の会社員だ。
けれど、おまじないや占い、不思議グッズなどが大好きなので、
その紙を見ているうちに、なんだかわくわくしてきてしまった。
「子供が書いたのかなあ。でもなんだか、
この古さと字の下手くそさが、いい味出してる」
さらによく読むと、模様の下にも平仮名で、神様を呼び出す方法
とやらが書いてあった。
「えーっと、なになに。あら、結構簡単なんじゃない」
それは深夜の十二時に、鏡の上に紙に描かれていたのと同じ模様を、
指先につけたワインで描き、呪文をとなえよ、というものだった。
時計を見ると、十一時半。これから用意しても、余裕で間に合う。
「ワインなら調理用の安いのが、台所にあったよね」
私の部屋は二階にある。母親たちはもう寝ている時刻だったので、
私はそっと階下の台所へ行き、コップにワインを少しだけ注いで、
部屋へと戻った。
我ながらバカみたいなことをやってるなあ、という自覚はあったが、
なんとなく面白いと思っていたので、やめるつもりはなかった。
子供のころから使っていて、そろそろ処分したいと思っている
勉強机の上にコップを置き、椅子に座って、百均で買った手鏡の上に、
紙に描かれているのと同じ模様を指で描く。
「あー、駄目。綺麗に描けない」
当たり前だが、油性ペンで描くわけではないので、
すぐに模様はゆがんだり流れたりしてしまった。
けれど別に気にするほどのことではない。こんなのはただの遊びだ。
私はそう考えて、とにかく最後まで模様を描き切った。
それから紙を見て、ベッドに座り、鏡に向かって
よくわからない言葉をとなえる。
「ノヘタオ、ラフ、ク、ノ、リカ……?」
こちらも正しいかわからないが、とりあえず全部声に出して読んだ。
そして目を閉じ、最後に言う。
「どうか私が幸せになるための、願いをひとつ、叶えて下さい!」
私はゆっくり目を開けた。
部屋はシンと静まっていて、特に変わった様子はない。
「まあ、そりゃそうよね。でもちょっとワクワクして、
面白かったな。さて、マフラーを探さなきゃ」
ふー、と溜め息をつき、ベッドから立ち上がった私に、
背後から声がかけられ、ぎょっとする。
「呼んだよね?」
えっ、と振り向くと、私が座っていたベッドの後ろに、
青年が寝そべって、こちらを見ていた。
「──!」
驚いたのと怖いのとで、咄嗟には声が出ない。
呆然としている私に、青年はにっこりと微笑んだ。
「なんでびっくりしてるの。きみが呼んだんでしょ」
「あっ……えっ、はい、その、そうですけど」
正直、もしこれが気味の悪い怪物だったり、
魔女のような姿をしていたら、私は悲鳴を上げて親を起こしたうえ、
警察を呼んでいたかもしれない。
けれどそれをしなかったのは、青年が大好きな芸能人にそっくりであり、
つまりはあまりにも私好みのイケメンだったからだ。
「あ、あの。まさかとは思いますけど。き、清峰啓介さんじゃ、
ないですよね?」
「うん、違うけど」
青年は起き上がり、あぐらを組んで座り直す。
「でも俺は、呼び出した人の理想の姿に見えるはずだから。
その、啓介って人がきみの好みなら、似ていて当然だよ」
「そ……そうなんですか」
私は自分の顔が、ぽわーっと赤くなるのがわかる。
なにしろ大ファンの俳優そっくりの青年が、私の部屋で、
間近でこちらを見つめ、にこやかに話しかけてくれているのだ。
「きみの名前を、教えてくれる?」
尋ねられ、私は夢見心地で答える。
「早川美加代です」
「そう。美加代ちゃん。それじゃ早速、きみのお願い事を叶えてあげる」
「えっ、ほっ、本当ですか!」
面白半分でやった、おまじないの感覚だった私は、
もちろん本気で願い事を叶えてくれる人が現れる、
とは考えていなかった。
だからもちろん、まだ願い事も考えていない。
早く考えなくちゃ、と焦りながら
私は最初に浮かんだ願いを口にした。
不定期更新で、気ままにのんびり書きますので、
だらっとヒマつぶしに読んでいただけたら幸いです。