第七話 秀頼の秘密
長い間更新遅れてしまってすみません!これからまた更新していきますのでお願いします!
「そして豊臣家に勝利した徳川は、江戸にて200年もの間日本を統治します。」
「何?!」
「200年…」
これには流石に信繁も驚いたようであったが、秀家に至っては口がずっと空いている。
「福島殿、そうなれば徳川を打ち負かした相手がいるはずじゃ。」
秀家が質問する。
「はい。幕府を終わらせたのは、薩摩の島津と長州の毛利を始めとした大名家たちです。」
「何かきっかけはあったのか?」
「外こ…じゃなくて、南蛮が日本に巨大な船で来たことが始まりで、当時日本は江戸幕府によって南蛮との関わりを閉ざしており、その南蛮によって江戸幕府はその措置をやめましたが、そこで不満が爆発し、倒幕に傾きました。」
「そうか…」
「これについてはまた今度じっくり説明しましょう。」
『分かった。』
「そういえば、真田殿は実際は改名していないのですが後世の脚色で幸村と名を変えていることになっていました。」
「幸村、でござるか。良い名じゃな。真田の通字が入っておる。決めた!改名する!」
『えーー!!!』
ここまで早く正則も変えると思っていなかったのと、秀家も同じようなことを考えていたようで、同時に叫んだ。
「何故そこまで驚くのじゃ。良い名ではないか。」
「確かに良い名ではあるが…」
「史実にはありませんが、この機会に、宇喜多殿も改名されるのはどうでしょう。」
「改名か…」
「その後の宇喜多家は通字を「秀」にしていますし。」
「うむ…」
「ならば、宇喜多殿のお父上のお名前「直」から一字とり、「直秀」というのはいかがでしょうか?」
「直秀、うむ、それにしよう!」
「えーー!!!」
お前までも決めてしまうんかい!と正則は思ったが口には出していない。
「じゃあ、幸村殿と直秀殿になるのですね!」
『そうじゃな!』
「それでは早速本題に入りましょう。」
「本題?」
「本題とは?」
「これからの豊臣についてです。」
二人も同じことを考えていたらしく、軽くうなずいた。
「史実では負けましたがこの戦、勝てる見込みはあると考えています。」
「きつく言わせてもらうと、淀殿は「豊臣家」のためではなく「上様、つまり豊臣右府様」のために動いておるような気がしてたまらん。」
「そうですな。豊臣家の人間は宇喜多殿しかおらぬからな。」
「真田殿、どういうことじゃ?」
「どういうことですか?」
「うっ…分かりました。では今から言うことは絶対に他言しないでください。」
『御意。』
「父から、書状を二つ託されまして、一つは上様についての書状、もう一つはその書状についてのことが書かれていた書状です。」
「一つ目の内容は、上様のご出生についてでした。上様は大野修理と淀の息子であるということです」
「何!!!」
「どういう、ことだ…」
「二つ目の書状にはこの書状を入手した経緯が書いてありました。おそらく父が書いたものと見られます。その書状いわく、太閤殿下が開いた宴会で太閤殿下が酔われていて、以前から企画していた加増のことをこの宴会で言おうと思った太閤殿下が懐からだした書状にはこの事が書かれていたとのことでした。」
「少し拝見してもよろしいか。」
幸村は黙って直秀と正則に書状を見せた。
「これは確かに、太閤殿下の印だ…」
そこには確かに「此度生まれた大野修理太夫と淀殿の新生児については太閤である豊臣秀吉の子とし、この事は一切の秘密とする。そしてこれらの手続きを全て豊臣秀吉の指示であると認める。」と書いてあった。
正則はまた一つ、歴史の歯車が変わったと感じた。
「このように、上様は豊臣の血を引き継いでいないことになります。そして他の一門衆は宇喜多殿だけです。」
「ですがこれは裏を返せば、我々が淀から豊臣家を取り戻せるということになり、宇喜多殿が豊臣家を動かせるということです。」
「つまり、わしに上様を裏切れと申すか!」
直秀が強い口調で言う。
「そういうわけではございません。宇喜多殿が上様を補佐する形になれば淀から豊臣を取り戻せるということです!」
「分かっておる…分かっておるが…」
「こうなった以上、動くしか他ありませぬな。」
その後何とか直秀を説得した正則と幸村は、この後三人で豊臣家のことを話し合うのであった。
今回から真田信繁…幸村 宇喜多秀家…直秀と表記が変わりますのでお願いします!
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