09
――それからは自宅近くのミュズールへ行き、侑がクラスの女の子から聞いたというリーズナブルで可愛い服が多いと評判のアパレルショップに入った。
「薫はどういう服が好きなんだ?」
「分かんないよ。自分でお洋服買ったことなんてないし……」
「うーん……じゃあ、」
すると、侑は近くにあった二つの服を手に取る。
最初に見せられたのは、黒地に王冠を被ったドクロのイラストがプリントされたクールなロングTシャツ。
「これは?」
「ちょ、ちょっと攻めすぎじゃないかなぁ」
「えー、じゃあこっちは?」
次に見せられたのは淡いピンク色をしたレースのワンピース。それを見て、薫は無意識のもとに「……可愛い」と呟いてしまった。
「やっぱり薫は可愛い系が好きか! よし、じゃあお前が似合いそうなやつをお兄ちゃんが選んでやるからな!」
着用することとなる本人より楽しそうにしている兄を追いかけるので、薫は精一杯だった。女の子らしくて可愛い服が目に入れば「あれ良い」「これも良い」、と反応するため、怒濤の勢いで購入候補が増えていく。
可愛い系。そういえば幼い頃、テレビでこういったファッションが特集されていたのを目にした記憶がある。薫は記憶の鍵を一つずつ解錠し思い出していった。なんだったっけ。えっと……
「あぁ、姫系だ……」
そのワードに、それまで忙しなく動いていた侑がぴたりと止まった。
「どうしたの、お兄ちゃん」
「あん……のなぁ! 姫系って何年前の言葉だよ。今はガーリーっていうんだ」
「ガーリー? 女の子っぽいってこと?」
「そう。俺も薫は絶対にクールよりもキュートの方だと思ってたんだー。ガーリー絶対良い。……てか、マジで姫系って言葉はもう古すぎるからな?」
そうして再び服を選び始める兄を前に、薫は呆然と立ち尽くしてしまう。
これだけ勉強をしている私でも、ファッションのことに関しては分からないことだらけだ。勿論そんなの今に分かったことではないけれど、それでも酷い。あまりに酷すぎる。姫系がもう古いだなんて思ってもみなかった。
妹が静かに打ちのめされていることに気付いていない兄は、それから厳選した一万五千円分の服をたんまりとカゴに入れ、レジへと持っていった。その後もドラッグストアで化粧品を、電気店でカールアイロンを購入し、ようやく七條兄妹はミュズールを後にするのだった。
***
帰宅すると、薫は買ってきた中から選んだ一枚のワンピースに着替え、侑にヘアメイクを施された。
「お兄ちゃん、どうしてこんなこと出来るの?」
「クラスメイトの女子達に教えてもらった。いつか妹にしてやりたいんだけど、上手くできる自信がないんだよねーって言ったら、色んな子が練習台になってあげるって立候補してくれたんだ。おかげで腕を上げたぜ」
「……」
そのなかに、お兄ちゃんのことが好きな子は一体何人いただろう。そんなことを考えつつ、薫は少しずつ自分が変わっていくことにドキドキしていた。
「――よし! できた!」
手応えアリ、と上機嫌な侑に腕を引かれ、全身鏡の前まで行く。
「さん、に、いち……」とバラエティ番組のようなカウントダウンをされ、0と同時に、鏡に掛けられていた布をパッと外された。
そうして映し出された姿を見て、薫は仰天する。目の前に、あの雑誌モデル達に見劣りしないほど可愛く変身した自分がいたのだ。
「うそ……」
「可愛いだろー!」
豪語するだけあって、侑のヘアメイクの腕は確かなものだった。
髪の毛のボリュームあるウェーブはとてもバランスが良いし、化粧も決して濃くはないのに、まるで光が差したように顔が華やいでいる。こんな可愛い服、絶対に似合わないと思っていたのに、こうして手を加えるとここまでマッチするとは。
「すごい……」
「だろ! いやぁ、さすが俺の妹! これは思ってた以上だわ……」
薫は様々な角度から変身した自分の姿を見てみる。
容姿に自信がなくて、鏡を見る度に地味な顔だな、と自虐してきた。けれど、この姿なら何だって出来そうな気がした。見た目が変わるだけで、気持ちまでこんなに変わるんだ、と涙が出そうになる。
そして……これまで頑ななまでにお洒落することを拒否してきた自分が、一気に馬鹿らしく思えてきた。
「……お兄ちゃん」
「なんだ?」
「わ……私も頑張ったら、お兄ちゃんの力を借りなくても髪の毛を巻いたり、お化粧したりできるようになるかな?」
薫のその言葉に、侑はただでさえ大きな瞳を、さらに大きくさせた。それは心なしか、少し潤んでいる気さえする。
「もちろんだよ! 俺も付き合うから、一緒に練習しよう!」
こうして侑のおかげでお洒落に目覚めた薫は、怒濤の勢いでお洒落の勉強・研究をした。どういうメイクがガーリーファッションに栄えるのか。どういう角度で、どういう巻き方をすれば髪の毛に緩やかなウェーブがかかるのか。
これまでは勉学でしか発揮する機会がなかったため誰も気付かなかったが、薫は凝り性だった。勉強の合間にコツコツと行った反復練習のおかげで、あっという間に彼女のヘアメイク技術は兄を追い越すこととなる。
休日限定でお洒落をするようになってからは、薫の心にも少しだけ余裕が生まれた。
もっと色々なことに挑戦したいと思うようになり、趣味だった手芸をそれまで以上に嗜み、休日には母と一緒に料理を作るようにもなった。日を追うごとに人生が彩り豊かになっていくことは薫にとって新鮮で、この上ない幸福でもあった。
そして、そんな薫の変化は進路選びにも影響していく。
薫が受験できる学区内には、偏差値トップといえる高校が二校あった。
規律を重んじ大学受験を視野に入れた「真面目」な智澤高校。そんな智澤高校と相反して、校則も緩く個性的な生徒が多い「自由」な七ヶ峰高校。
あれだけ肩の力を抜けと言っていた兄も、両親も教師もクラスメイトも。誰もが皆、薫は智澤高校を受験するものだと思い込んでいたのだが、彼女は七高を選んだ。志望理由はとても単純で、七高に通っている侑が毎日楽しそうにしているから、である。
世界が広がったことで、自分も高校生になるとお洒落をして学校に行き、友達を作りたいという欲が出てしまった。そのためには七高に合格することが必須だと思い、薫は死にものぐるいで受験勉強に励んだ。試験本番では緊張から胃が痛くなるわ、不安から半泣き状態でペンを動かすわ悲惨で。
だめだった、と落ち込んでいたものの――蓋を開けてみれば結果は主席合格。
その事実に驚いているのは、薫本人だけだった。