閑話 ダミアン2
ダミアンの半生が意外にも壮大になりすぎて終わらなかった……。
危険な区域を移動すること1ヶ月。その間、数えきれないほど妖魔と遭遇した。元竜騎士とはいえ実戦に出たことが無かった俺は、移動の当初はただおびえるしかできなかった。しかし、そんな生活が毎日続くとどんな過酷な環境でも人は慣れるものらしい。
移動の中盤になると、馬を操りつつ弓を構える余裕も出て来た。毎日実戦で射ていれば、シュタールで鍛錬に励んでいた頃の勘を取り戻すのにもさほど時間はかからなかった。竜気の込め方も次第にうまく出来るようになり、威嚇だけではなく無に帰せるようにもなっていた。やはり経験は大事だと改めて思った。
「あんた、やるじゃん」
初めてエマに褒められた時は嬉しかった。これで役立たずを卒業できる……と思ったが、やはり家事は一向に上達する気配を見せなかった。
タルカナの外れ、聖域にほど近い場所に彼等の拠点はあった。大小合わせて民家が6軒立つ寒村で、その周囲には木の柵と堀が巡らされている。
帰還までの道中で受けた説明によると、男衆を中心に班を分け、外で仕事を受ける組と残って村を守る組と交代でやっているのだとか。特に法に触れるような品を運ぶのは冬場が多いらしく、村の防備も疎かにできないことからそうなったらしい。
門に立っていた見張りが一行の帰還を伝えたらしく、門をくぐると住民達が集まって来た。やはり俺の存在が気になるらしく、注目を浴びる。そこへ大柄な男が橇から降りたヤン爺さんに話しかける。
「おやっさん、そいつは?」
「訳あって仲間に入れた」
俺も橇から降りると、途中で手に入れた木の枝を簡易の杖にして2人に近寄る。そして簡潔に「ダミアンだ」と名乗って挨拶を交わす。男はテオと名乗ったが、渋々と言った様子で受け入れてくれた。頭が認めたのなら反対する理由は無いのだろう。こうして運び屋の一員となり、村での生活が始まった。
当座は独身の男共が住む家で共同生活を送ることになった。しかし、俺の家事能力は相変わらず壊滅的で、何をやっても上手くいかない。結局、子守りに回されて小さい子供達に読み書きと初歩の算術を教えるのが仕事となった。そして子供には俺の名が呼び辛かったらしく「ダン」と呼ばれるようになり、村の中ではいつの間にかそれが定着していた。
転機になったのは季節が巡って秋になった頃だ。冬支度と次の仕事の補給の為に、近くの町への買い出しに同行することになった。買い出しの責任者となったテオからは不要だと言われたが、計算が出来る奴がいた方が良いだろうというヤン爺さんの一言でねじ伏せられた。結果としてその判断は正しかった。
「それだと数がおかしい」
「お釣りが足りない」
「……チッ」
どこの店主も俺達を見下して品物の数やお釣りをすぐにごまかそうとする。それを問い詰めるのではなく冷静に指摘すると、間違えたと言い繕っていた。舌打ちは聞こえたけれど。更には同行していたエマが商品の質が良くないと言い出したので、更に交渉して値切ることに成功した。数軒の商店を回り、今年の買い出しは例年よりも随分安く済んだとエマが喜んでいた。
「あんた、すごいな」
買い出しの帰り、荷馬車を操る俺に馬で並走するテオがそう声をかけて来た。どうやら俺の事を見直してくれたらしい。嬉しいが、素直ではない俺は「出来ることをしたまでだ。礼には及ばない」と返しておいた。それでも内心ではヤン爺さんの期待に応えられたことに安堵していた。
しかし、この時の買い出しはこれで終わりではなかった。もう少しで集落に着くと言うところで野盗の襲撃にあったのだ。テオともう1人護衛としてついてきた村人が応戦するが、何分相手の数が多い。荷馬車の制御をエマに任せ、俺も迫って来る野盗に弓矢で応戦する。
妖魔ではなく人を狙うことに抵抗が無いわけではない。それでもやらなければ生き延びることは出来ない。腹をくくった俺は乗り手の足や肩を狙って落馬させ、馬にはそのままついてくるように操った。
4人落馬させたところで意外に手ごわいと思ったのか、野盗達は引き揚げていった。テオやエマの話だとよくある事らしい。ともかく被害が無くて良かった。馬はどうしようかと思ったが、迷惑料代わりにもらっておくことになった。そして、そのうちの1頭を俺専用にもらえることになったのだった。
買い出しの一件以来、村での立ち位置を得た俺は、次第に中心的な役割を担うようになっていた。そして翌年には「老体には堪える」と言ってヤン爺さんが一線を退くと、出稼ぎ組を任されるまでになっていた。
村に身を置くようになってしばらくは意図的にタランテラへ足を踏み入れるのを避けていた。やはり生死を偽り、故国を裏切っている後ろめたい気持ちを拭い去ることが出来なかったのだ。
それでもいつまでも避けているわけにもいかず、ゴッドフリートに殺されかけた一件から4年後、タランテラへ荷物を運ぶ仕事を引き受けた。タルカナで荷物を受け取り、1カ月かけて北上していく。同行する仲間は、最初にヤン爺さんに助けてもらった時に行動を共にしていたベックとニール。そして心配だからとついて来てくれたエマとテオの4人だった。
今回はベックとニールが交代で操り、エマがそれに同乗する。俺とテオは周囲を警戒しながら馬で並走した。旅程は順調で期限に遅れることなく指定の場所へ荷物を届けた。中身は知らない方が身のためなんだろうなと、俺は複雑な思いで荷物が橇から降ろされる様子を眺めた。
そこから今度は別の荷物を預かってガウラへ向かう予定だったのだが、急遽変更になった。依頼主の要望でとある人物を皇都郊外まで連れて行くことになったのだ。
「こんな粗末な乗り物で移動するのか」
「私は大公家にも使えた高名な医師だぞ」
男はリューグナーという医師だった。俺達の間では荷物だろうと人だろうと、互いの為に深く詮索しないのが鉄則だった。そんなこともお構いなしに、尊大な態度をとり続ける男は不平と共に自分の素性を全てさらけ出していた。
そんなお偉いさんが俺達のような運び屋を頼る羽目になるのだから、よほどのことをしでかしたのだろう。男が言うにはフォルビア女大公に仕える偉い医者らしいのだが、女大公様に取り入った下賤な女性に嵌められて追われる羽目になったらしい。そんな不平だらけの男の話にまともに相手をするのも疲れるだけだ。俺達は苦笑しながら聞き流していた。
しかし、彼の話の中に「ルーク・ビレア」という人名が出てきて聞き流せなくなる。その医師の話では、平民でありながらいつの間にか第3騎士団の団長をしているエドワルド殿下や女大公様にも媚びを売って取り入ったらしい。そして図々しくも皇都の夏至祭で行われた飛竜レースでブランドル家の子息を抑え、分不相応にも一位帰着を果たしたのだとか。
ゼンケルでの事件が無ければその医師の意見に同調していただろうが、タランテラを離れて自分がしてきたことも客観的に見ることが出来るようになっていた俺にはただのやっかみにしか聞こえなかった。それなりに長い付き合いがあるから俺には分かる。彼には意図的に取り入るような器用な真似は出来ない。しかし、無意識のうちに他人を惹き付けるから逆に厄介に思われるのかもしれないが……。
「エアリアルか……」
それにしても飛竜レースで一位帰着とは……。あの小柄の飛竜にそんな力があるとは思わなかった。主に俺の所為だが、ルークとあの飛竜は特別強固な絆で結ばれている。だからこそ、そこまでの力が引き出されたのではないだろうか。そんな風に因縁のある相手の栄誉を知り、何とも言い難い気持ちを抱いた。
常に不平不満を言い続け、尊大な態度を崩さなかったリューグナー医師を皇都郊外の小神殿に送り届けると、何だかドッと疲れが出て来た。予定外の仕事で臨時収入も入ったし、皇都から少し離れた小さな町で1日休憩をとることにした。
出稼ぎ組の特権で多少の贅沢は許されている。久々に町での自由行動となり、テオとベックとニールは早速町へ繰り出していた。ただ俺は、故郷の町から離れているとはいえどこで誰が見ているか分からない。食事も宿の中で済ませ、早々に部屋で休むことにした。
「ちょっといい?」
部屋に戻ろうとしたところで酒瓶を抱えたエマに呼び止められ、一緒に飲もうと誘われた。未婚の女性と2人きりになる事に抵抗はあるが、実は彼女の方が酒に強い。確実に俺の方が先に酔いつぶれると分かっているからか、彼女は気にすることなく俺の部屋に入り込んできた。
呑み始めてすぐに尊大な医師の愚痴が始まった。あの男、散々俺達の事も下賤だと罵りながらエマの体には触ろうとしていた。「よくあること」としてエマはさり気なく躱したり、時には反撃をしていた。忍耐が試される仕事だったこともあり、互いにいつもよりも飲むペースが速くなっていた。
「ねぇ、死にたいとはもう思っていない?」
会話が途切れた時、ふとエマからそんな質問をされる。ヤン爺さんに助けてもらったばかりの頃、混乱していた俺が思わずそう口にしたのをずっと気にしてくれていたらしい。4年も経って今更とも思わなくもないが、こうして2人っきりになったのはあの時以来だった。
「あの時は……何と言うか、目標を見失っていたからな……」
物心ついてからずっと目標だった竜騎士になる夢が断たれた直後だった。加えて殺されそうになったのもあり自棄になっていたと白状した。ヤン爺さんには話したが、そういえばエマには言ってなかったかもしれない。彼女は驚いた様子で目を見張っていたが、酒杯をテーブルに置くと俺の顔を覗き込んでくる。
「今は……?」
「生きていて良かったと思っているよ。村の役に立てているし、何よりも毎日が楽しい」
俺の返事にエマは安堵の表情を浮かべていた。しかし、「家事はまだ全然だけどね」は余計だ。確かに未だに俺は家事が全くできない。悔しいからエマの杯になみなみと酒を注いでやった。するとエマもお返しとばかりに俺の杯を酒で満たした。
その後はこれまでの事をいろいろ思い返しながら、2人で酒杯を重ねた。そしていつになく飲みすぎてしまってその後の記憶はひどく曖昧だった。
「……朝?」
目を覚ますと、寝台に裸で横になっていた。傍らにはエマも寝ていて、言うまでもなく彼女も何も身に付けていなかった。悲鳴はかろうじてこらえたが、慌てて体を離したので彼女も目を覚ました。
「えっと……」
「なんか、その……」
彼女も昨夜の記憶は曖昧らしい。それでもこの純然たる状況証拠から何があったかは一目瞭然だ。慌てふためく俺とは違い、彼女は至って冷静だった。
「ねえ、ダミアン」
「は、はい?」
「私をもらってくれない?」
「えっと……」
上掛けを体に巻き付けたままの彼女がひどく艶めかしい。その色香に思わず生唾を飲み込み、押し倒してしまいそうになる衝動を理性で抑えた。
「それとも、私じゃいや?」
「そんな事は無い!」
嫌なはずはない。あの平手打ちに始まり、彼女の芯の強さにずっと惹かれていたのは確かだ。だから、相応しくあろうと、自分が出来ることを精いっぱいしてきたのだ。
「でも、俺でいいのか?」
「嫌だったら、そもそも飲みに誘わないわ」
あっけらかんとした彼女の答えに苦笑しながら俺は改めて結婚しようと申し込み、彼女もそれに応えてくれた。せっかくの婚姻の申し込みなのに2人とも裸だったのが何とも言えなかったが……。
こうして婚約した俺とエマは、村に帰り春を迎えた頃、正式に夫婦となったのだった。
実はダミアンを堕とす気満々だったエマ。他の3人に朝まで帰って来るなと言っておいてダミアンを襲撃した。
でもエマの事が好きなテオは納得できなかったようで……。
テオ「何で俺じゃないんだ?」
エマ「悩筋は嫌」
テオ「俺のどこが……」
エマ「いつも力が全てだ!とか言ったり、何でも力で解決しようとするじゃない」
テオ「……」
エマ「そういう訳でよろしくね」
ベック「任せといて下せえ」
テオ、ベックとニールに羽交い絞めにされる。
テオ「あ、おい……」
ニール「旦那、諦めが肝心ですぜ」
この後テオは失恋のやけ酒を煽ったとか……。




