第26話
夕食会がお開きになった後、オリガは片づけを手伝うと言うので俺は一足先に帰らせてもらい、少し話をしようとウォルフを自分の家に招いた。仕事で疲れているだろうが、ゲオルグの事が気になっているだろうから少し話しておこうと思ったのだ。
「美味くはないだろうが俺が淹れたお茶で我慢してくれ」
「女王に単独で挑んだ英雄に淹れていただけるとは恐縮です」
他の人が言ったら棘がある様に聞こえたかもしれないが、ウォルフは尊敬のまなざしを向けてくるので逆に気恥ずかしい。
「引継ぎ、大変じゃないか?」
気を取り直して大して美味しくないお茶を飲みながらそう話を切り出す。ダメだ、オリガが淹れてくれるお茶に慣れてしまって、比較すると味も香りも飛んでしまっていて飲む気になれない。今までの討伐期はこれでも気にしていなかったのに……。今度コツを教えてもらおう。
「大変と言えば、大変だけど、1人でしているわけではないから何とかなっているよ」
ウォルフの話だと、クラインさんはまだ更迭に納得していないらしい。なんだかんだ言って引き延ばそうとしてくるが、想定の範囲内だとか。
「でも、まあ、ここは職人の町だから引き継ぎがうまくいかなくても親方衆と連携が取れれば問題ないと思うよ」
ウォルフがこの町の事をきちんと理解してくれているのが何だか嬉しい。町の人ともうまくいっているみたいだし、心配はなさそうだ。
「ルーク卿、ゲオルグ様は……」
アジュガの話が一段落したところで、ウォルフは意を決したように口を開いた。彼はもう従者ではない。それでも特別な存在である事には変わりない。今回の事件はゲオルグが狙われたことが発端になっていた。その辺りの事情もある程度聞いているのだろう。
「遠距離の騎乗を許可してもらってすぐ位に会いに行ったよ。随分と自分を責めていたが、間違えたのは犯人側の手落ちだと伝えた。女王の出現だって誰も想像していなかったし、怪我をしたのも俺が余計な事をしたからだ。ゲオルグが気に病む必要はないと言っておいた」
「そうですか……」
「オリガと籍をいれると言ったら随分喜んでくれた。お祝いを何にしようか悩んでいたから、特別に香油を作ってくれとお願いしたんだ」
元気を取り戻したと伝えるとウォルフもようやく安心した様子だった。その後もしばらくの間、事件が起きる前、砦で過ごした時のゲオルグの様子を語った。
「ただいま」
思ったよりも話し込んでいたらしい。実家での後片付けを終えたオリガがティムを伴って帰って来た。彼女の姿を見たウォルフは慌てて帰り支度を始める。
「長々とお邪魔してゴメン。そろそろ帰るよ」
「そんなに急がなくていいのに」
「新婚家庭にいつまでも居ては申し訳ないからね」
そう言って身支度を整えたウォルフは出て行った。いや、まだ籍は入れていないんだけど……。
「あ、これ、預かりもの。それじゃ、俺も戻るから」
ティムは手に持っていた籠を俺に押し付けてウォルフの後を追う。向かう先は同じなので、一緒に行くのだろう。毎回ここに泊ればいいのにと誘うのだが、アイツも「お邪魔しちゃ悪いから」と言っていつも踊る牡鹿亭に泊っている。
「何か……こんな風に気を使われると恥ずかしいね」
「そうね……」
取り残された俺達は顔を見合わせて笑い合う。そして気を取り直すと、手渡された籠の中身を確認した。中身は明日の朝食用の食材だった。ここに泊るのは久しぶりだから置いてあるものは保存食ぐらいしかない。母さんが気を利かせて持たせてくれたらしい。
籠を片付け、改めてオリガにお茶を淹れてもらって2人で飲んだ。やっぱり、オリガが淹れてくれるお茶は美味しい。そのお茶を飲みながら一息入れた。
そして、この夜は久しぶりに共寝した。ちょっと夢中になりすぎて翌朝は少し寝坊してしまった。なんとなく感じる生温かい視線に見送られて、俺達は予定より少し遅れてアジュガを出立した。
皇都には予定通り夕刻に着いた。今夜は陛下に私的な晩餐に招かれている。間に合わなかったらどうしようかと内心冷や冷やしながら道中ちょっとだけ急いだので、出立が遅れた分を取り戻せた。こういう無理が聞くのも、体が元に戻りつつある証拠だろう。オリガが一緒なので、いつも通り本宮の上層の着場へ降り立ったのだが、俺達の到着に合わせてずらりと竜騎士達が整列して出迎えてくれた。
相棒の背から降り、オリガを抱き下ろす。すかさず係官が相棒を引き受けてくれるので、彼女の手を引いて竜騎士達が立ち並ぶ先、俺達を出迎えてくれたデューク卿の元へ向かう。
「盛大なお出迎え、恐縮です」
「ご無事な姿を拝見して安堵しました」
満面な笑みを浮かべたデューク卿が手を差し出してくる。俺はその手を取って握手を交わした。そう言えば女王の行軍の事後処理に彼の部隊が第6騎士団へ応援に来て、任務終了後はアスター卿と共に帰還していたと聞いていた。俺は寝込んでいたので向こうで顔を合わせる事は無かったが、つい先日、まだあちらで第6騎士団の補佐をしている彼の配下の小隊には会っていた。
「いささか、やりすぎでは……」
ずらりと並ぶ竜騎士達は敬礼をしたまま微動だにしない。そんな盛大な出迎えを俺が受けてもいいだろうか? その一方で、飛竜達の傍ではラウルが出迎えてくれたイリスさんと抱き合って再会を喜んでいる。うん、あちらは正真正銘の新婚さんだから当然か。何とも言えない光景に俺は肩を竦める。
「言っておくけど、私は彼等に何も強要はしていない。今日ルーク卿が帰ってくるから出迎えをすると、ちょっと公言しただけだ」
それだけ俺は尊敬されているのだとデューク卿は力説してくれた。そんな会話をしている間に飛竜を係官に預け終えたラウルやシュテファン達も合流する。この後、揃ってアスター卿の元へ報告することになっていた。
デューク卿に案内されて着場から屋内へと移動する。中には見覚えのある侍女達が待ち構えていて、イリスさんと一緒になって「お支度がありますので参りましょう」と言ってオリガを連れ去って行った。
私的な場とは言っても陛下に招かれているので下手な格好は出来ないし、女性の身支度には時間がかかる。彼女達も自分の仕事に誇りを持っているので、するからには完ぺきを目指すのだろう。侍女達の素早い行動に「後で迎えに行く」と声をかけるのがやっとだった。
賑やかな女性陣を見送り、俺達もアスター卿の執務室へ移動する。扉を叩くとすぐに応答があり、「失礼します」と言って入室した。
「ルーク隊ただ今到着しました」
執務机に着いていたアスター卿に敬礼して到着の報告をする。彼は俺達の姿に満足そうに頷いた。
「もう大丈夫みたいだな」
「まだまだですよ」
「まあ、いい。今日から正式に雷光隊は私の配下となる。秋までには以前通り動けるようにしてくれ」
「分かりました」
怪我する前と比べると、まだ7割程度だ。確かにこのままでは討伐に支障が出るのは間違いなかった。俺は神妙に頷き、早い時期の完全復活を誓った。
「今後、雷光隊は第1騎士団に属するのではなく、独立した組織となる。特にルークは他団の団長と同等の権限を持つことになるから肝に銘じる様に」
「え……」
さらっと今恐ろしい事を言われた。一人戸惑ってオロオロしている俺とは対照的に部下達は歓声を上げて大喜びしている。
「自覚はないみたいだが、今回の一番の功労者はお前だ。諦めて出世しろ。そしてオリガに楽をさせてやれ」
オリガの名前を出されると固辞できない。既に国の重鎮方にも了承されて決定事項となっていると言われ、俺は渋々了承して頭を下げるしかなかった。アスター卿は満足したように頷くと、今度は一番後ろに控えていたティムに声をかける。
「ティム、秋までは引き続きルークの従者として仕えるように」
「はい」
元気いっぱいの返事が返ってきた。俺達の婚礼がまだいつになるか決まっていないので、参加できるように配慮して下さったのだろう。そしてこの後、陛下に招かれている私的な晩餐にも彼は同行するように言われた。聞くまでもなく姫様と過ごす時間を設けて下さるつもりなのだろう。
「移動で疲れているだろうから今日はもうゆっくりしてくれ。宿舎を用意しているから案内させる」
アスター卿の話では俺達専用の区画が既に準備されているらしい。普段は空いていると言うが、夏至祭や国外から賓客があった場合上級騎士に用意される区画だった。しかも今後は俺達全員が上層の着場の使用を許された。討伐期になればたいていの場合、俺達が真っ先に飛び立っていくことになる。出立前の混雑を避けることが出来るのはありがたかった。
アスター卿はまだ仕事があり、俺もこの後は陛下に招かれている。今日はここまでとなり、俺達はアスター卿の執務室を退出した。外ではデューク卿の配下の竜騎士が待っていて、ラウル達を宿舎へ案内してくれるらしい。俺にはサイラスが迎えに来てくれていて、着替えの準備が整っていると言って、南棟にあるあの客間へ案内された。
陛下に招かれている以上、男の俺も身支度は必要だ。風呂で汗を流し、何故か用意されていた新品の正装に袖を通す。着替えを手伝ってくれるサイラスの話だと、全てサントリナ家が用意してくれたものらしい。後でお礼を言わないと……。
「どうした、サイラス?」
ふと、着替えを手伝ってくれていた彼の手が止まる。訝しんで彼の顔を見ると、心なしか目が潤んでいた。
「すみません。ルーク卿の元気なお姿にちょっと安堵してしまいまして……」
サイラス曰く、侍官として勤めている時は、いかなる時も感情を顕わにしないようにしているらしい。アスター卿の執務室の外で俺を迎えたときはどうにか耐えたらしいが、着替えを手伝っているうちに我慢できなくなったらしい。
「いろんな人に心配かけちゃっているんだね」
しみじみそう言うと、逆に「申し訳ありません」とサイラスに謝られた。謝るほどの事じゃないのだけど、賓客に気を使わせないのが彼の矜持らしい。腑に落ちないが、彼の気が済むならと謝罪は受け入れておいた。
 




