第9話
俺が古の砦に移って1カ月経った。初雪が降り、討伐期に入ったのだが、これまでに何の音沙汰もないことから、まだ疑惑の払拭には至っていないのだろう。まあ、この点に関しては己に何も後ろ暗い所はないので心配はしていない。きっとラウルやシュテファン達が何とかしてくれるだろうと信じている。
一方で、討伐期に入ったものの、今期はまだ妖魔が出没していないのが気にかかっている。迷信という者もいるが、俺達竜騎士の間では妖魔の出没が遅れると良くないことが起きると信じられている。実際に陛下がまだロベリア総督だった頃、滅多に現れない紫尾の女王の爪にかかって瀕死の重傷を負われた。他にも幾つか予想外の事態が起こった事もあり、妖魔の出没が遅れる年は皆十分な警戒をしている。
「今日も異常なしか……」
前日よりも範囲を広げて見回りをしたが、今日も妖魔の姿を見つけることができなかった。エアリアルを竜舎に連れて行き、装具を外してやりながら思わずため息が出た。
「ルーク兄さん、後は俺がやっておこうか?」
一緒に見回りに出ていたティムが俺を気遣ってエアリアルの世話を申し出てくれる。現在、リーガス卿の計らいでティムもこの砦に駐留している。隊長職を返上した今の俺でも見習いならば配下に置いても問題はないという見解で世話係兼、俺が無茶をやらない様、見張りとして派遣されたらしい。さすがに今回は首を突っ込むつもりはないのだけれど、彼がいてくれて心強いのは確かだ。
「ここにいる間は自分でやらせてくれ。他人の事はいいから、お前も自分の相棒をちゃんとかまってやれ」
大隊長になると、雑事が増えて相棒を構う機会が随分と減っていた。ここにいる間はそんな煩わしい雑事とも離れていられるので、他の傭兵達と同様に自分の相棒の世話は自分でしようと決めていた。
「分かりました。おいで、テンペスト」
この秋からティムを背中に乗せて飛ぶようになったテンペストは今やエアリアルと変わらないくらいの大きさに成長していた。成熟しきっていないので、まだ大きくなるだろう。ファルクレインの血を引くだけあって将来が楽しみな飛竜だ。
見回りにも一緒に行くのだが、風を読んで上手に飛んでいる。だが、それでも最前線で戦わせるにはまだ早い。ティム自身もまだ見習いだし、飛竜にも妖魔がどういう存在か学習させなければならない。飛竜が妖魔を戦う相手だと認識させる一方で、恐怖を感じてしまえば前線で戦わせることが出来なくなってしまう。
本来であればロベリアで教わっていたはずなのだが、今回この時期にティムとテンペストが俺の元に送り込まれたと言うことは、それを任されたことになる。責任重大だ。
装具を外し、体に異常がないか確認する。そして最後に全身にブラシをかけてやると、相棒は嬉しそうに喉を鳴らす。隣の室ではティムも同じように相棒にブラシをかけてやっていた。妖魔が出没する様になればなかなかここまでしてやることはできない。俺達はつかの間の平和を楽しんだ。
妖魔が出没したのはそれから更に5日後の夕方だった。知らせを受けた俺は先鋒として真っ先に飛び出し、ジグムント卿率いる本隊が到着するまで出没した妖魔が逃げ出さないようにその場で足止めさせた。
「さすが、見事だな」
「今日はまだ数が少ないですから」
青銅狼10頭ほどの群れならば、単独での討伐は難しくても足止めはできる。本隊も思ったより早く到着したので、討伐が終わるまでにそれほど時間はかからなかった。
「後始末はこちらで引き受けるから、彼を連れて先に戻っていてくれ」
視線の先にはテンペストに跨ったティムがいた。本隊に同行して初めて討伐の現場に出たわけだが、乗り手は幾分顔色を失っている一方で飛竜の方は随分と落ち着いている。闘竜としての第一歩を踏み出したわけだが、この分なら大丈夫そうだ。それでも早く帰してやりたいと思うのは当然の事だろう。
「分かりました。それでは、お先に」
俺はジグムント卿の心遣いに感謝して頭を下げると、ティムに声をかけて一足先に現場を離れた。普段は饒舌なティムが珍しく一言もしゃべらないのは、初めて目の当たりにした討伐の現場に少なからず衝撃を受けていたからだろう。俺も道中、あえて声をかけなかった。
終始無言のまま、砦が視界に入る場所まで帰って来た。だが、いつもと違い、やけに砦自体に灯りがともっていた。討伐だからかと一瞬思ったが、すぐに違うと気付く。なぜなら、討伐期には決して開かない地上への門が開かれ、砦へ続く石段に人の姿があったからだ。砦は正に何者かによって襲撃をうけているのだ。
「ティム、ジグムント卿へ知らせに行け。俺は突入する」
「ルーク兄さん!?」
思うより体が動いていた。この砦を狙う賊の目的はただ一つ。ゲオルグの身柄しか考えられない。カルネイロの残党にせよ、そうでないにしても陛下に対抗する手段として利用するのが目的だと考えられる。
ただ、彼等は知らない。ゲオルグに陛下と対抗する意思がない事を。そして、皇家の血を引いておらず、そのことを当代様も近隣諸国の国主達も知っていて、例え担ぎ上げたところでどこの国からも認めてはもらえないと言う事を……。
もし、彼が連れ去られるようなことがあれば、上層部は迷うことなく切り捨てる。それが最善の策だ。ゲオルグ自身もそれは理解していて、覚悟はできていると言っていた。だからこそ自身を悪用されない為にあの劇薬も飲んだのだ。
しかしこれは同時に彼を見捨てたとして陛下の名声に傷がつく。そして彼を見捨てたことを陛下は絶対に後悔なさるはずだ。短い期間だがゲオルグと友人として過ごしてきた俺にもそれが耐えられなかった。彼がようやく手に入れたこの平穏な生活を守ってやりたい。そう強く思った。
「エアリアル、上空で待機」
俺は相棒に短い指示を与えると、居住区の屋根に飛び降りた。賊は兵舎を突破しようとしている。いくら討伐で主だった竜騎士が留守にしているといっても、ここまで簡単に侵入を許すのはおかしい。手引きした者がいるとみて間違いないだろう。
俺はちょっと強引に居住区へ突入すると、真先に彼の部屋へ向かった。そこは真っ暗なままで誰もいない。となると残るは作業場だ。近頃は香油の作り置きを増やすため夜遅くまで作業している。俺は全力で作業場に向かった。
しかし、一歩及ばなかった。邪魔な障害物を蹴散らして作業場に入ると、ゲオルグは覆面をした黒衣の男達に取り囲まれていた。そのうちの一人に彼は割れた香油の瓶の欠片が散乱する床に組み伏せられ、何かを詰問されていた。
「彼を離せ!」
俺が鋭く命じると、首領らしき男が振り返り、何故か俺に近づいてくる。逃げてくれと叫ぶゲオルグの顔にはひどく殴られた痕が残っていた。
「ようやくお出ましになられたか」
「彼を離せ」
俺が長剣に手をやると、ゲオルグを組み伏せていた男が彼の首筋に刃を近づける。ここにいる賊を全員叩き伏せる自信はあるが、この状態ではさすがにゲオルグを無傷で助けるのは難しい。
「大人しく従ってくだされば彼に危害は加えません」
「……」
ゲオルグの首筋に更に刃が近づけられる。俺は仕方なく長剣を鞘ごと床に置いて降参の意思表示をする。
「賢明な判断をして下さって感謝します。それでは一緒に来ていただきましょうか」
俺の行動に満足したらしい首領の男が俺を促す。「え?俺?」と思ったが、内心の動揺を抑えて平静を装った。
「少しだけ話をさせてくれ」
時間が無いと言われたが、それでもやや強引にゲオルグに近づいて跪く。目の周りは痣となり、口の端は切って血がにじんでいる。そんな彼を気遣いながらそっと何を詰問されていたのか聞いた。
「高貴なお方はどこにいるかと……」
完全に狙いはゲオルグだ。それなのに俺を連れ出そうとしているのはどういう事だろうか? 襲撃者達の真意が分からずに戸惑うばかりだが、動こうとしない俺に焦れた首領が「早くしろ」と声を荒げたので時間稼ぎもこれまでだった。
「ちょっと行ってくる」
俺はゲオルグにそう言い残すと、男達に囲まれるようにして作業部屋を後にする。争った形跡が随所に残る砦の中を移動し、開け放たれた正門から地上へと唯一繋がっている石段を下りた。
地上には荷台部分に幌がかけられた荷馬車が止まっていた。俺はその荷台に乗る様に言われ、幌の中に入ると、保存食や生活用品が入っているらしい木箱の奥に人が寝ころべるほどの空間があった。ご丁寧に毛布も用意してある。木箱の間を縫ってその空間に腰を下ろすと、ほどなくして荷馬車は動き出した。
毛布が用意されているとはいえ、さすがに寒い。傭兵団に合わせてタランテラの正規の物ではないが、軍装のままなのがせめてもの救いだ。纏っていた長衣と毛布を重ねてきっちり巻き付けて暖を取った。
「……」
落ち着いたところで荷馬車を引く馬に集中してみる。西の方角へ向かっていることから、ガウラへ向かっているのかもしれない。御者台に2人、騎馬で周囲を囲むようにして3人いる。砦を襲撃した賊はもっといたはずだが、どうやら分かれて行動しているらしい。こうなると、全員を捕えるのは難しくなってくる。
荷馬車に乗る前にエアリアルに俺の追尾を命じた。付かず離れずといった様子で彼の気配がするので、命令は届いているのだろう。討伐で疲れているのに申し訳ないが、捜索してくれるはずのジグムント卿達の手助けになるはずだ。
それにしても謎が多すぎる。賊は俺を連れ出していったい何をさせたいのだろうか? 砦を襲撃した手際の良さから何らかの組織が絡んでいる事は考えられる。今一番可能性が高いのはカルネイロの残党だが、そうなるとなぜ俺なのかが全く分からない。グルグルと様々な可能性を考えてみたが、さっぱり見当がつかない。早々に思考を放棄した俺は、まあ、成り行きに任せていれば何とかなるだろうと腹をくくった。
ゲオルグ「大変だ、ルーク卿が攫われた!」
ティム 「今回は(危険なことに)首を突っ込まないって言っていたのに……」
ルーク 「……」
 




