第5話
アジュガに向かう朝を迎え、俺は旅装のオリガを伴い、着場に向かった。うん、今日の彼女も可愛い。頬が緩むのをこらえつつ、着場に到着すると既にウォルフと同行してくれるシュテファンとコンラート、ドミニクも準備を整えて待っていた。俺達の荷物はコンラートとドミニクが預かってくれ、ウォルフはシュテファンの相棒に同乗させてもらうことになっている。
先ずはエアリアルに朝の挨拶を兼ねて頭をひとしきり撫で、準備万端に整えられている飛竜の装具を確認する。装具を整えてくれた部下を信用していないわけではないのだけど、これはもはや俺の癖だ。まあ、俺達の隊は相棒の装具は自分で確認するのが当たり前になっているので、誰も気を悪くした様子はなかった。
装具の確認も済み、オリガを相棒の背中に乗せようとしたところで俄かに着場がざわつく。振り返ると、陛下がお出ましになられていた。俺達が慌てて畏まろうとすると、陛下はそれを手で制されて俺達の傍まで来られた。
「出立前にすまんな。グランシアードの世話がてら見送りに来た」
俺達の予定を伝えてあったので、出立の時間に合わせてわざわざ出向いて下さったらしい。国賓でもない俺達に陛下の見送りなんて、本宮では考えられないことだ。
「恐れ入ります」
俺が神妙に頭を下げると、陛下は気にするなと言って笑っておられた。陛下はそう仰られるが、後で重鎮方に知られたら小言の一つ二つ言われる可能性もあるのだけど。
「まあ、ゆっくり羽を伸ばしてこい。皇都に帰ったらまた土産話でも聞かせてくれ」
「分かりました」
俺達は陛下に敬礼すると、それぞれの相棒の背に跨った。オリガを騎乗帯で固定し、再度陛下に黙礼を送ると、相棒の首筋を叩いて飛び立たせた。
道中は特に問題なく順調に進んだ。あえて言うならば、オリガの為に出来るだけ景色のいい場所を選んで通ったので、オリガだけでなくウォルフも眼下の景色に感嘆の声を上げていたくらいか。まあ、喜んでもらえて何よりだった。
夕刻、無事にアジュガへ着いた。いつも通り大歓迎されて、恒例となる踊る牡鹿亭前の広場での宴会となった。
「友人のウォルフだ。本宮で文官をしている。仕事のし過ぎだったから息抜きに誘ったんだ」
俺がそうウォルフを紹介すると、本宮の文官と言うだけで随分と尊敬を集めていた。彼は随分と慌てた様子で「単に古書の整理をしているだけですから」と謙遜していたが、高度の学問を納めていないと務まらない部署なのは確かだ。
そんな彼は過去の過ちもあって断酒をしている。何かにつけて呑ませようとする人がいるのだが、その辺はシュテファン達の協力もあってやんわりと断ることができた。まあ、その分俺達が呑まされるわけだけれど。
話題は当然の様に夏至祭へと移っていく。アルノーとラウルの活躍を伝えると、町の人達はみんなで喜んでいた。
「アルノー君とラウル君は今回来ていないけどどうしたのかい?」
せっかくだからみんなでお祝いしたかったと親方衆やおかみさん達が口々に言ってくる。
「アルノーは故郷で親孝行中だよ」
陛下の西方地域への視察に同行し、ドムス領で彼が領内の子供達に囲まれていた様子を話す。まあ、アジュガでは俺も同じような状況なので、「ルークと一緒だねぇ」というおかみさん達の感想に苦笑するしかなかった。
「ラウルはイリスの実家に行っている」
2人はこの秋に正式に籍を入れることにしたからだ。当初、彼女の両親は2人の結婚をあまり歓迎していなかったが、2人で根気強く説得して昨年ようやく認めてもらっていた。
すると今度は逆に結婚を急かされるようになったらしい。ラウルは武術試合で入賞したのを機に家督を継ぐことになったらしく、一緒に籍も入れることにしたのだと聞いた。婚礼は皇都で上げるので、参加できないイリスの家族の為に一足先に祝いの席を設けているらしい。
「それはおめでたいねぇ」
そう口々に言いながらもなおの事直接お祝いが言いたかったと言っている。皇都で開かれる婚礼には俺たち全員が招待されているので、フォルビアへ戻る時に休憩がてら立ち寄ってもいいかなと思った。
宴会は夜が更けるまで続いた。ウォルフにはつまらなかったのではないかと心配したが、それでも町の人と色々話が出来たと言っていた。特につい最近見つけた古書にアジュガの記述があったらしく、年配の人達と話が盛り上がったらしい。そんな話を聞けて誘ったかいがあったと安堵した。
アジュガ滞在中ウォルフはシュテファンらと一緒に踊る牡鹿亭に泊ってもらうことになっていた。クラインさんが管理する宿舎もあるのだけれど、必要最低限といった感じなので宿の方が快適に過ごせるらしい。食事が美味いのが何よりの理由かもしれない。
後片付けは免除となった俺とオリガは宿に泊まるウォルフ達と別れて実家の隣にある持ち家へと向かった。母さん達が管理してくれているので、綺麗なままに保たれている。家の中に入る時に2人ともつい「ただいま」と言ってしまって思わず笑ってしまった。皇都の豪邸よりもやはりこの家の方が落ち着く。
俺達は顔を見合わせると、手を取り合って2階の寝室へ向かった。思った以上に疲れていたのでそのまま寝てしまったけど、明日からは休暇を目いっぱい楽しむと心に決めた。
毎年、アジュガでの休暇の過ごし方は決まっていた。皇都の屋敷とは違い、使用人はいないので手分けして家事をこなしながら本当に2人きりの生活を楽しんでいる。町中を一緒に散策したり、時にはそれぞれの付き合いでバラバラに過ごすこともある。都合が合えば実家で兄一家も呼んで夕食を一緒に取ったり、踊る牡鹿亭で部下達と食事をしたりもする。のんびりとした日常を満喫するのがアジュガでの過ごし方だった。
そして毎回行くのが山頂の湖畔にある山小屋だった。山小屋に簡易の寝台を持ち込むだけで十分に過ごせるのだが、何故か毎回ザムエルや部下達が立派な天幕を用意してくれて絶景を独占する優雅なひと時を過ごしていた。
「何もしなくていいからな?」
今年も滞在4日目に予定していたので、ザムエルとシュテファンにそう念押ししていたが、聞く耳を持ってはくれなかった。4日目の朝にオリガを連れて件の湖に行くと、山小屋を中心に立派な天幕が張られていた。何だか年々豪華になっている気がする。
内心ため息をつきつつもエアリアルの背からオリガを抱き下ろす。そして持参した荷物を降ろして飛竜の装具を外して相棒を解放した。オリガには昼食が入った籠を持ってもらい、俺は飛竜の装具と残りの荷物を持って天幕に向かった。
「お荷物お預かりいたします」
天幕の入口で出迎えてくれたのは家令のようないでたちのウォルフだった。
「何やっているんだ、ウォルフ」
「えっと、お手伝い?」
なぜ疑問形なんだと思いつつ、荷物を彼に預けた。飛竜の装具を整えながら丁寧に片付けていると案外時間がかかる。その間にウォルフが運んでくれた着替えなどの荷物をオリガが開けて使いやすい様に整え、そしてウォルフは一息入れられるようにお茶の準備を整えてくれた。
「で、どういうことだ?」
「シュテファン卿に頼まれまして……」
まあ、聞くまでもなかった。今日のための打ち合わせをしているときに居合わせたので、俺の役に立つならと計画に加わったらしい。なんか……みんな楽しんでいないか?
「でも、良く似合っているわ」
オリガはそう言って家令姿のウォルフを褒めると、彼が用意してくれた茶器でお茶を淹れ、持参したお茶うけを添えてくれる。ウォルフにも勧めたが、今日は家令役に徹すると言って固辞された。そして何か用があれば呼んでくれと言って天幕を出て行った。
陛下の侍官を務めたこともあるだけに、ウォルフの仕事は完ぺきだった。少し辺りを散策しようと天幕を出ると、すかさずオリガの為に日傘を用意してくれる。散策しているうちにハーブを集めだすと収穫したものをいれる籠を持ってきてくれ、食事の時には完ぺきなマナーで給仕もしてくれた。
夜には例によって星空を眺めたのだけど、寒くないように炉の火を落とさないようにしてくれたり、防寒具とあたたかい飲み物を用意してくれたりとまさに至れり尽くせりだった。しかも夜間は俺達に姿を見せないようにそれらをこなし、まさに本職顔負けの働きだった。
残念ながら風が強かったので湖面にはさざ波が立ってしまい、合わせ鏡のような夜景は見られなかった。それでもウォルフのおかげで記憶に残るひと時を過ごせた。
アジュガでの休暇はあっという間に過ぎていた。半月ほどの滞在にもかかわらず、ウォルフは町の人とすっかりなじんでいた。時間を持て余すのではないかと心配もしたが、その頭脳をかわれて親方衆からの相談に応じたりしていたらしい。結局仕事をしていたようなものだが、彼の性分なのだから仕方がない。逆に古書にまみれているときよりも生き生きとしているようにも見えた。
一方、空いている時間に踊る牡鹿亭に行くと、女給をしているカミラがウォルフと親し気に話をしている姿を目撃した。過去の過ちから禁欲的な生活を送っているウォルフにしては珍しい光景かもしれない。
邪魔をするつもりはなかったので後から何を話しているのか聞いてみると、子供の頃の俺の話だった。止めてくれ、恥ずかしい。
そんな感じですっかり町になじんだウォルフは町の人達からまた遊びにおいでと誘われて大いに感激していた。俺も彼を誘って本当に良かったと思った。
そしてアジュガでの休暇を終えた俺達は町の人達に見送られて皇都へ向かった。飛竜達の背に積まれた沢山のお土産の中には陛下に宛てられたものもある。フォルビアで見送ってくださったときに希望された土産話と共にお渡ししよう。喜んでいただけるといいなと、オリガと2人笑みを交わした。




