第28話
本格的な夏が来る頃、俺達は皇都へ移動した。当初の予定では皇都の警備を預かることになっていたのだが、ヒース卿が代わりを引き受けてくれていたおかげで家族と過ごすことが出来ていた。だが、そろそろ陛下が帰国されるので、皇都で迎えられるように移動することになったのだ。
今回はカミルだけでなくウィルマも連れて行く。そして陛下に献上するからくり玩具も運ぶので、ミステルから船で移動することにした。
万が一の不具合に備えて職人も同行することになったのだが、父さん達は年を理由に辞退してしまい、結局弟子のフィンが来てくれることになった。さすがに彼だけでは対応できないかもしれないと言う話になり、親方衆を代表して兄さんも家族を連れて一緒に来てくれることになった。更には子供達を連れてガブリエラも来てくれるのが心強い。
俺はエアリアルで一足先に皇都へ移動することも考えたのだが、今回は船旅を選んだ。俺達が乗る船の上空をエアリアルは気持ちよさそうに飛んでいく。その姿を子供達がはしゃいだ様子で眺めていた。
「ここが皇都か……」
数日かけて皇都に到着した兄さんの第一声は父さんと全く同じだった。血のつながりを感じつつ、サイラスが手配してくれた馬車に分乗して我が家に向かった。
「なんか、凄いわねぇ……」
馬車の窓から見える町並みにリーザ義姉さんは呆けた様子で眺めていた。兄さんも義姉さんもシュタールへ入ったことがあるが、皇都は初めてだ。シュタールよりもはるかに大きな建物が立ち並ぶ街並みに圧倒されているみたいだった。
一方のザシャは初めて見る光景に大興奮で、フリッツと一緒になってはしゃいでいるのが聞こえてくる。それをガブリエラが窘めているのだが、あまり効果は無さそうだ。そして一番心配だったのはカミルなのだが、怖がる様子もなくオリガが抱いているウィルマを構っている。まだ完全に恐怖を克服できたかどうかまでは分からないが、落ち着いている様子に胸をなでおろした。
「お帰りなさいませ」
賑やかな道中を経て家に着くと、使用人が全員揃って迎えてくれた。現在は通いの人も合わせると10名雇っている。随分増えたなぁと思うのだが、他の人に言わせるとこれでも少ないらしい。だが、ウィルマも誕生したし、もう少し増やしてもいいのかもしれない。
「お前、すごい所に住んでいるんだな」
皇都の我が家を見て兄さんは驚き、リーザ姉さんは絶句している。その一方で子供達は大きな家に大喜びで駆け回り、ガブリエラがその子供達に注意していてとても賑やかだ。カミルの様子をうかがってみると、ザシャやフリッツと一緒になって駆け回っているので、大丈夫そうだ。
兄さん達一家とフィンは母屋に部屋を用意し、ウィルマに付けている乳母2人はウーゴとリタが住んでいる離れに部屋を用意してくれていた。アジュガでも子供達は一緒に寝たいと言い出すことはよくあったので、その日の気分で母屋かサイラス達の住む離れで休むか決めてもらおう。早速この日は母屋で休みたいと言い出した。ガブリエラは困った様にフリッツを窘めていたが、問題ないからと言って笑って許したのだった。
賑やかな皇都の生活が始まると同時に俺の休暇も終わった。午前中は先に皇都入りをしていたアルノー隊やミムラス領の視察から帰って来たレオナルトと共に鍛錬をし、午後は来客の対応をした。
本来なら俺の方から挨拶回りをしなければならない格上の方々も、ウィルマの顔を見に我が家を訪れて下さった。春に我が家との接触を制限されたグレーテル様はどうしてもとブランドル公に懇願し、ヴィクトール様ご夫妻を伴って来て下さった。
「ごめんなさいね、ルーク卿。私が考え無しに行動したばかりに御迷惑をかけて……」
「いえ、お祝いの気持ちからですので、気になさらないでください」
おそらく御夫君のブランドル公から随分と厳しい事を言われたのだろう。萎れたように項垂れたグレーテル様はそう言って頭を下げられた。もちろん、俺もオリガも怒ってなどいない。そう伝えると、幾分安堵した表情を浮かべられていた。
ちなみに過剰な贈り物はブランドル公が引き取って下さったが、それでもウィルマ1人では使いきれないほどの品が残っている。かぶってしまった品などは身内や使用人に分けたり孤児院に寄付したりもしてどうにか落ち着いた。みんな、よろこんでくれたのでよかった。
「さあ、ウィルマ、ご挨拶しましょうね」
応接間へ案内したグレーテル様の所へ、オリガがウィルマを連れて来た。ちょうど授乳が済んだところで、機嫌よく起きていてくれて助かった。
「まあ、なんてかわいいの」
オリガからウィルマを受け取ったグレーテル様は顔をのぞき込んであやしている。偶然だろうがウィルマが微笑むので、もうメロメロだ。やがて小さなあくびをすると、ウィルマはそのまま寝入ってしまった。その姿も愛らしい。グレーテル様は微笑みながらその寝姿を眺めておられた。
その後はカミルと遊んで楽しそうに過ごされていた。ヴィクトール様の話では、春先にブランドル公に叱られてからは随分気落ちしておられたらしい。グレーテル様が笑っておられる姿を久しぶりに見たと仰っていた。
「また、会いに来てもいいでしょうか?」
帰り際にグレーテル様は遠慮がちにそう尋ねられた。もちろん俺達には断る理由などない。
「勿論です。また会いに来てください」
オリガと顔を見合わせた後にそう答えると、グレーテル様は本当に嬉しそうだった。俺達……特にオリガにとっては親代わりとなって下さっている方だ。些細なことで疎遠になってしまわなくて本当に良かった。安堵してご一同が乗られた馬車を見送ったのだった。
皇都に来て5日目、俺はオリガとカミルを連れて、セシーリア様のご機嫌伺いに皇都郊外の神殿を訪れていた。神殿側から以前よりも早く許可が出たのは、事前にサイラスを通じて申請していたのと、オリガの皇妃様付き筆頭侍女の肩書が有効だったからだろう。
カミルを同行させるか迷ったが、心配しておられたので元気な姿を見せようと思い連れて来た。だが、ウィルマはまだ気軽に外へ連れ出せないので、乳母やリーザ義姉さんに頼んで預かってもらっている。
「ようこそ、ルーク卿、オリガ夫人。そしてカミル君」
セシーリア様は優しい笑みを浮かべてわざわざ出迎えて下さった。カミルが俺の真似をして騎士の礼をすると喜んで下さり、優しく頭をなでて下さっていた。
先日の様に神殿の応接間に通され、カミルが出されたお菓子を頬張るさまを眺めながら近況を伝える。ウィルマの誕生をセシーリア様もすごく喜んで下さり、オリガを言祝いで下さった。セシーリア様も俺達の間に長く子供が出来なかったことを気にかけて下さっていた1人だ。もう少しウィルマが大きくなったら、また連れてくると約束した。
セシーリア様との面会はすぐに済んだが、実はもう一つ大事な用事があった。今日は昨秋にイヴォンヌ嬢から申し出があった謝罪の場を用意してもらっていた。子供には聞かせられない話も出てくるかもしれないので、カミルは神殿の外に控えているレオナルトに預けた。そして俺が応接間に戻ると、ほどなくして緊張した面持ちのイヴォンヌ嬢が入室して来た。彼女はすぐには席に座らずに俺達にその場で深々と頭を下げた。
「私の短慮な行動により、ルーク卿とオリガ夫人には不快な思いをさせて申し訳ありませんでした。また、自分のしたことがいかに愚かであった事に気付くのが遅くなり、謝罪が遅くなりましたことを重ねてお詫び申し上げます」
頭を下げたままのイヴォンヌ嬢をオリガはじっと見つめていた。彼女なりにそれが本心からのものか見極めようとしているのかもしれない。
「そのままでは話が出来ません。こちらに座って、話をしましょう」
ほどなくしてオリガがそう声をかけた。イヴォンヌ嬢は少し驚いた様子で顔を上げると、オリガの勧めに従いおずおずと俺達の向かいに腰を下ろした。
「貴女の気持ちの変化を教えてください」
オリガに促され、彼女はこれまでのことを話してくれた。事件を起こした直後は自分の事が哀れだとしか思えず、両親がなぜ怒っているのかも理解していなかったらしい。顔を合わせば小言を言われるので、それが嫌で誰の話にも耳を傾けることなく部屋に閉じこもる日々が続いた。それを許してしまっていたことから先のリネアリス公御夫妻はイヴォンヌ嬢を甘やかしていたことが分かる。
転機は先のリネアリス公御夫妻が流行病で相次いで亡くなられてしまった事だ。彼女の兄……ジークリンデの父親は両親よりも厳しかった。だが、それが返って彼女の態度を頑なにしてしまった。彼女の扱いに困り果てたところ、話を聞いたセシーリア様が身柄を引き受けて下さったのだ。
「私、本当に何も知りませんでした。セシーリア様の元へ行けると知って、また贅沢な暮らしが出来ると思い込んでいたのです」
身一つでこの神殿に連れて来られ、想像と違って随分と戸惑ったらしい。それでも自分は特別だと思ってこれまで通り何もせずに部屋に閉じこもっていた。そんな彼女に食事が出たのは最初の3日だけだった。誰も世話をしてくれず、食事も出ない。そんな待遇に彼女は腹を立ててセシーリア様に文句を言ったらしい。
「貴女は何も勤めを果たしていないから当然の事です」
そう言われ、一層腹を立てた彼女は神殿を出て行こうとしたらしい。しかし、家に帰ろうにももうその場所は無いと兄に突っ張られ、他の親族からも相手にされなかった。空腹に耐えかね、根負けした彼女はようやくセシーリア様に懇願し、仕事をする約束をして食事をもらった。
「最初は本当に何もできませんでした。でも、セシーリア様は務めを果たそうとする努力を誉めて下さいました。久しぶりに人から褒めて頂いたのが本当に嬉しかったです」
そこから少しずつセシーリア様から世の中の常識を教えてもらうようになり、そして自分が起こした事件の重大さにようやく気付けたらしい。そしてすぐに自分が怪我をさせた侍女の元へ謝りにいったが、その結果は散々なものだった。
「あの子……ヘッダにも会わせてもらえず、彼女のご主人に罵られて帰ってきました。当然の事です」
それでも諦めることなく手紙で2年ほど謝意を伝え続け、ようやく直接会う機会を作って頂けたらしい。そしてイヴォンヌ嬢は地面に頭を擦り付けるようにして謝罪し、どうにか許しを得たらしい。
「ヘッダは幸せそうでした」
そう付け加えたイヴォンヌはどこかホッとした様子だった。その後はグレーテル様やアルメリア様、マリーリア卿にも謝罪を済ませ、後は俺達ぐらいらしい。そして御許可が頂ければ、皇妃様へ謝罪をして罪が許される。
「もし、皇妃様から許しを頂けたら、その後はどうされるおつもりですか?」
「兄が許して下さいましたので、両親が眠る神殿で菩提を弔いたいと思います」
「そうですか……」
オリガはイヴォンヌ嬢の答えを聞いた後、俺の顔を見上げる。俺がうなずくと、彼女は居住まいを正してイヴォンヌ嬢に向き直った。
「貴女を許します」
「ありがとう……ございます」
イヴォンヌ嬢は涙を流しながら何度も何度も感謝して頭を下げたのだった。




