第21話
子供を授かった。最初の喜びを過ぎると今度はものすごく不安に駆られた。無事に産み月を迎えられたとしても出産は命懸けだ。何よりも悪阻で苦しんでいるオリガを見ているのが辛い。そして俺の手でどうにもできないのがもどかしい。俺は彼女に張りついて世話に勤しんだ。
「でかい図体が四六時中張り付いていてはオリガさんも気が休まらないよ」
余程目に余ったのだろう。母さんに部屋から追い出される始末だった。だが、仕事をしようにも手につかない。
「カミル様と2人で出かけられては如何ですか?」
そんな俺の姿を見兼ねたサイラスからからそんな提案をされた。最近のカミルはまだ知らない人に相対するのは怖いみたいだが、外へ出るのは抵抗がなくなりつつあった。俺が一緒で、人が少ない所へ出かけるなら大丈夫だろう。そして俺が思いついた場所はあの湖畔の花畑だった。しっかり準備して日帰りなら大丈夫だろう。
「行ってらっしゃい」
コンラート達、アジュガに滞在中の雷光隊員の手も借り、提案された翌日に出かける準備が整った。見送りに出てきてくれたオリガから昼食を受け取ってアジュガを発った。
「おかーしゃんは?」
「今日はお留守番だよ」
オリガを置いて出立したのがカミルには不満だったみたいだ。目に見えて不機嫌になったが、目的地の花畑に着くと、途端に上機嫌となった。そしてエアリアルの背から降ろすと、花畑を駆け回り始める。
「しゅごい!」
「足元気を付けるんだよ」
「はーい」
エアリアルから荷物を降ろし、カミルを呼んであの山小屋まで歩いていく。既にコンラート達は到着していて、準備を整えてくれていた。カミルはそんな彼等の元へ駆けていく。そんな元気な姿に自然と笑みがこぼれた。
荷物を置いたら周囲の散策をした。カミルは虫を見付けてびっくりしたり、飛んでいる鳥を指さしたりと忙しい。そして咲いている花を1本摘んで俺の所へ持ってきた
「おかーしゃんに、おはな、あげたい」
「きっと、喜ぶよ。でも、今摘んじゃうと萎れてしまうから、帰る前に一緒に摘もうか?」
「うん」
再び手を繋いで湖の際まで来た。夏の太陽を反射してキラキラと輝いている様子にカミルは感嘆の声を上げる。靴を脱がし、ズボンの裾をまくってあげると、踝が浸かる程度の浅いところでパシャパシャと水遊びを始める。俺もカミル同様に靴を脱いでズボンをまくると、水の中へ足を入れた。
「冷たいな」
「うん」
カミルは上機嫌で遊んでいる。しゃがんでいるのが面倒になったのか、水の中へ座り込んでしまったので既にズボンはびしょぬれだ。まあ、これは想定内だけど。
「おしゃかな、いるかな?」
「いるかもしれないね」
「つかまえる?」
「びっくりして逃げちゃったかもしれないよ」
「そっか」
罠を仕掛けて魚を獲るのも楽しそうだ。秋になればアジュガの近くの川でも大きなマスも獲れるようになるから、ザシャやフリッツも連れて行ってあげよう。きっと喜ぶかもしれない。
ほどなくしてマティアスが昼食の準備が出来たと呼びに来た。カミルも水遊びは十分楽しんだみたいで、俺が促すと素直に従った。カミルの靴などはマティアスがもってくれたので、濡れた足を乾いた布で拭いて靴を履いた俺は、裸足のままのカミルを抱えて山小屋へ歩いていった。
昼食はオリガが用意してくれたものの他に、コンラートが即席でスープを作ってくれていた。水遊びをして冷えた体にありがたい。乾いた服に着替えを済ませて食卓に付いた俺達は、あっという間に完食していた。
そしてお腹がいっぱいになれば眠くなる。コンラートは山小屋の中に寝台も用意してくれていたので、眠くて目をこすり始めたカミルを抱っこして移動し、その寝台に寝かしつけた。俺はその傍らでしばらく本を読んでいたが、いつの間にか一緒に眠っていた。
「おとーしゃん」
思ったよりも深く寝入っていたらしく、先に目を覚ましたカミルに起こされて目を覚ました。相変わらずお腹に乗って来るので苦しい。そのまま体を起こして捕まえてくすぐると、楽しそうに声を上げて笑っている。
「おはな、とりにいく」
「そうだね」
カミルにせがまれ、一緒に山小屋から出る。手を繋いで歩き、目についた花をカミルと一緒に摘んだ。
「おかーしゃん、よろこぶ?」
「きっと喜んでくれるよ」
桶に張った水に花を挿して置き、母さんが作って持たせてくれた焼き菓子をおやつに食べた。カミルはまだ遊んでいたい様子だったが、晩御飯に間に合わなくなる。お母さんにお花を渡せなくなるよと言うと、「たいへん、たいへん」と言って自分から帰り支度を始めてくれた。
「お帰りなさい」
アジュガに着くと、今日は気分がいいみたいで、オリガが着場まで出迎えてくれた。
「おかーしゃん、みて! ぼくがとったの」
カミルが早速摘んできた花をオリガに見せ、彼女もお礼を言って受け取っていた。微笑ましい光景に和んでいたが、オリガは急に口元を抑えて家の中に駆け込んでいった。
「おかーしゃん……」
残されたカミルが呆然としている。俺は慌ててカミルを抱き上げた。
「大丈夫、大丈夫」
「ぼく、ぼく……」
カミルはべそをかいている。どうしたものかと思いながら先ずは家の中へ連れて入り、着替えを済ませた。落ち着いた頃合いを見計らって寝室へ行ってみると、オリガはいつもの安楽椅子に腰かけていた。
「おかーしゃん……」
「ごめんね、カミル」
膝に縋りついて泣くカミルをオリガは抱きしめた。
「ぼく……わるいこ」
「そんなことないわ」
「でも……」
カミルはオリガの具合が悪いのは自分の所為だと思っているのだろう。まだ妊娠初期で無事に育たない可能性もあったため、カミルにはオリガの懐妊を伝えていない。まだ早いと思ったが、伝えてもいいかもしれない。自然とオリガと視線が合い、うなずき合った。
「今ね、お母さんのお腹の中に赤ちゃんがいるの」
「あかちゃん?」
「そうよ。カミルはお兄ちゃんになるのよ」
そう言われてもピンと来ないのだろう。カミルは首を傾げる。
「まだ赤ちゃんが出来たばかりで体がなれなくてちょっと具合が悪くなる事もあるの。ごめんね、びっくりさせちゃったね」
とにかくカミルが摘んできた花の所為ではないと納得してもらったが、それでもカミルは浮かない顔だ。
「わるいこでもおにいしゃんなれる?」
今度は俺達が首を傾げる番だ、カミルはどうして自分が悪い子だと思っているんだろう?
「カミルは悪い子じゃないよ?」
「でも、レーナいない。ぼく、わるいこだから」
根気よく聞き出してみると、レーナが怪我したのは自分の所為だと思っていた。いつも一緒にいるレーナが居ないのは、それで自分が嫌われたと思ったかららしい。
「レーナはまた帰って来るよ。それに、カミルは悪い子じゃないよ」
俺はカミルを抱き上げ、その顔をのぞき込んだ。
「今、カミルはね、いい事と悪い事のお勉強をしているんだ。お父さんやお母さん、じぃじやばぁば、色んな人に褒められたり叱られたりしていい事と悪い事を覚えている途中なんだよ」
「おべんきょう?」
「そうだよ。それを覚えて大人になって、それでも悪い事をする人は悪い人になるんだ。カミルはわざと悪い事をしたい?」
俺の問いにカミルは首を振った。
「だからね、カミルは悪い子じゃないよ」
「ほんとう? ぼく、おにいしゃんになれるの?」
「もちろんだよ」
俺がうなずくと、カミルはようやく笑顔になった。目尻に残る涙を拭ってやって床に降ろすと、オリガに縋りつく。
「ぼく、いいおにいしゃんになる」
「きっとこの子も喜んでいるわ」
オリガはカミルを抱き寄せ、まだ目立たないお腹を幸せそうになでた。カミルもそっとお腹に振れている。この子ならきっと、宣言通りいいお兄ちゃんになりそうだと思った。




