第19話
本編再開です
サントリナ家の別荘を出立したその日の夜に無事にアジュガへ到着した。途中砦で一泊することも考えたが、知らない人が大勢いるとカミルが怖がるかもしれないと思い、少し無理させてしまった。結果、途中でカミルは寝てしまい、出迎えてくれた家族には申し訳なかったが、詳しい話をすることなく領主館で休むこととなった。
翌朝、目を覚ましたカミルは混乱しないか心配していたが、アジュガにいつの間にかついていたことを逆に喜んでいた。そして早朝から来てくれたじぃじとばぁばにひとしきり甘え、そして朝食が済むとすぐにザシャやフリッツと元気に遊び始めた。
「元気そうで本当に良かった」
「うん。やはりカミルはこちらの方が過ごしやすいみたいだ」
カミルが元気に動き回っている様子を見守りながら母さんがホッとした様子で呟いた。皇都で会った事は俺だけでなくサイラスも手紙に認めてアジュガに送っていた。出迎えを家族だけにしてくれたのも、事情を把握していたガブリエラが配慮してくれていたからだ。尤も、当の本人は寝てしまっていたけれど。
「それで、その傲慢な人にはどう対処するのかい?」
母さんが俺に鋭い視線を向ける。どうやらふざけた真似をしてくれたフリードリヒに随分とお怒りらしい。隣に座っている父さんも無言ではあるが同様らしい。ちなみにオリガは朝食の後片付けの為に席を外している。
「陛下が手を下して下さるみたいだ。俺はもう関わるつもりはない」
「あんたはそれで良いのかい?」
「陛下の方がより効果的な罰を与えて下さるよ。それに、あんな奴に時間を使うより、カミルやオリガと過ごす時間を大切にしたい」
これは偽らざる本心だ。確かにフリードリヒへの怒りは消えていない。だが、あんな奴に時間を取られるのもバカバカしい。だったら今まで邪魔された分、しっかりと家族と過ごす時間を大切にしたかった。
「確かにそれもそうだねぇ。でも、レオナルト君は大丈夫かねぇ」
「それも心配いらないんじゃないかな。元々ミムラス家を継ぐための教育を受けていたんだ。納まるべきところに納まったと思うよ」
今回レオナルトがいないのは、彼が遠慮しているのではないかと父さんも母さんも思ったらしい。そうではなく、陛下によってミムラスの後継に指名される予定であることを先程説明していた。今頃、後始末に奔走しているに違いない。
「じぃじ、あれやって」
子供達がからくり玩具をおねだりして来た。先程までとは打って変わって相貌を崩した父さんは早速準備を始めた。だが、からくり玩具はかなり重い。腰を痛めてもらっては困るので、俺もその準備に参加した。そして、楽しそうな子供達の声を上げる子供達を見守りながら、その日はのんびりとした時間を過ごしたのだった。
アジュガへ到着して10日経った。カミルは皇都に居た時とは比べ物にならないくらい元気になっていた。夜に寝ていて時折、あの事件の事を夢に見てしまうのか夜中に泣き出すこともあったが、一晩中ぐずって眠らないと言う事は無くなった。更に昼間はザシャやフリッツと一緒なら外遊びも出来るようになっていた。やはりアジュガの環境はカミルに合っているのだろう。
その間、俺はカミルの様子を見守りながら領内の仕事をこなしていた。だが、やはりミステルに直接赴いて確認しておきたい事もある。まだカミルを知らない人が多いミステルへ連れて行くのは不安があったので、俺1人で行ってくることにした。
「お父さん、仕事で出かけるんだけど、お母さんとお留守番できる?」
「えあるぅに乗っていくの?」
「そうだね」
「ぼくもえあるぅにのりたい」
夕食前、カミルを膝に乗せて話をしていると、食事の支度の手を止めたオリガが微笑みながら俺達の様子を見守っている。実は最近、彼女の顔色が良くない。北棟の引き継ぎやらカミルが巻き込まれた事件などでいろいろ忙しかったから彼女も疲れているのだろう。俺は仕事があるが、奥さんにはゆっくりと休んでいてもらおう。
「お父さんの仕事が終わったら、一緒に出掛けようか?」
「うん!」
俺の提案にカミルはいい笑顔で応えてくれた。本当にアジュガに来てからは沢山笑顔を見せてくれるようになった。元気になってきている様で本当に良かった。カミルの為にも頑張って仕事を早く終わらせて来ようと固く誓った。
「ルーク、すまん」
ミステルに着いた早々、アヒムに差し出された書類を決裁していると、ザムエルが謝罪しに来た。何のことか首を傾げていると、厳選して送りだした護衛が大事な場面であまり役に立たなかった事を悔やんでの事らしい。
「今回は相手の方が上手だった。レーナが体を張ってくれたおかげで助かったが、次はそうとも限らない。練度を上げてくれ」
「勿論だ」
責任を感じているらしいザムエルは硬い表情でそう応え、そしてバツが悪そうに「坊主はどうしている?」と聞いて来た。
「アジュガに来て随分元気になったよ。皇都よりも居心地が良いんだろう」
「そうか……ビアンカも心配していた。寄るのか?」
「時間があればだな」
今回の滞在は長くても5日間だ。騎士科の様子を見るのはもちろん、彼等と一緒に勉強に励んでいるロルフとディルクと面談してどこの騎士団に入りたいか希望を聞かなければならない。更に同じく領主館で修行をしている職人の見習い達の様子も見ておきたい。郊外の香草畑もだし、川船の桟橋までの街道をもう少し整備することにしたので、その下見をしておきたい。孤児院の慰問は欠かせないし、ビアンカの店へも顔を出すのであれば、その後になる。
やりたいことが山ほどあるのだが、とりあえず今は目の前に山の様に積んである書類の決裁だ。これ、今日中に終わるかな……。
「まあ、がんばれ」
ザムエルは憐みの視線を俺に向けると、「邪魔したな」といって執務室を出て行った。手伝ってくれる気はないらしい。仕方なくその後はせっせと書類を片付けて行った。
書類はその日の深夜にようやく終わらせた。翌早朝は寝台から無理やり体を引きはがして騎士科に用意した練武場へ足を運んだ。既に夏季休暇で帰省している子もいるが、半数は残って鍛錬に励んでいる。その中にロルフとディルクもいて、遜色ない動きをしている。
「おはようございます」
俺に気付いて全員が敬礼してくる。俺も挨拶を返し、鍛錬に加わった。一緒に汗を流していると、アレコレ質問が飛んで来る。それに出来る範囲で応えながら彼等との時間を過ごした。そして、その後にロルフとディルクを個別に呼んで面談をした。
「自分は第2騎士団へ行きたいです」
驚いたことに、2人供第2騎士団を希望した。理由も一緒で、第3騎士団だと1年早く見習いになったカイを追い越せないからだそうだ。俺に見出されて見習いになった彼にあこがれてもいるが、自分達も負けていられないと思ったらしい。
「苦労するかもしれないぞ」
「親友が一緒だから大丈夫です」
共に切磋琢磨したロルフとディルクは親友と言える間柄になっていた。別々に話を聞いたのに、2人供胸を張ってそう答えていたのが頼もしい。早速ケビン卿に2人をお願いする旨の手紙を送ったところ、すぐに返事が返って来た。
「秋に迎えに行く」
端的にそう書かれていただけだったが、返事の速さから喜んでいるのがうかがい知れた。彼の指導の下、2人がどう成長していくか楽しみだ。
午後からは職人見習いの様子を見に行った。領主館の改装が終わってしまったので、多くの職人が自領へ帰り、更にはその職人達へ弟子入りした見習い達も付いて行ってしまったので、残っている見習いは随分数が減っていた。現在はアジュガから派遣された職人が主体となっているので、教えているのは金物がほとんどとなっている。
実はビルケ商会のノアベルトさんがアジュガで作られている金物製品にほれ込み、他領へも売り出そうと持ち掛けて下さった。これがエルニアへ行く前の話で、俺が留守だったこともあって1年ほど話が進んでいなかった。俺が帰還してまたすぐにノアベルトさんから連絡が来て、手紙でやり取りしながら話を進めていたのだ。
だが、アジュガで出来た物を運び出すとなると中々手間がかかる。そこでアジュガで修行している職人の中で希望者を募り、ミステルで工房を開いてもらうのはどうかという提案を頂いた。職人はまだ選定中だが、その時に見習い達も手伝いとして雇ってもらうことになっていて、彼等も意欲を見せている。そしてミステルに新しい産業が生まれるのは純粋に嬉しい。
桟橋までの街道を整備する計画を始めたのも、この事があったからだ。ついでに桟橋近辺をもう少し充実させて寄港してくれる船を増やしたい。フリードリヒのおかげで皇都に足止めされて中々これらの話を進めることが出来なかったのだ。とにかく、今の俺は忙しい。
その日の夜も新たな書類と遅くまで格闘し、倒れ込むように寝台へ横になった。一人寝の寂しさを感じている暇もないくらいあっという間に眠りにつき、気が付いたら朝になっていた。




