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群青の軌跡  作者: 花 影
第6章 親子の物語
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閑話 マルレーネ・ディア・ミムラス2

 迎えた裁判の当日、夫は孫を連れて帰ると宣言し、意気揚々と出かけていきました。同席を許されなかった私は、家で孫を迎えるための準備を進めます。そして夕刻、夫の帰宅を知らされて出迎えをしたのですが、孫の姿が無いだけでなく、夫はひどく不機嫌でした。

「あの、平民上がりが!」

 夫は玄関に入るなりその場にある物に当たり散らし始めました。同行した家令の話によると、我が家の訴えは退けられてしまったそうです。そして陛下の逆鱗に触れてしまった夫はビレア家、つまり孫への接触を禁じられてしまったのです。

 こんなに荒れる夫の姿を見たのは初めてで、私は怖くなってその場から逃げてしまいました。もうじき孫が来ると思って張り切って用意した子供部屋に立ち尽くし、ただ涙を流すしかできませんでした。

 悪い事は続いてしまいます。夫が陛下のご不興をこうむったことはすぐに親族達にも知られてしまい、連日の様に押しかけて来て当主の座を降りる様に迫ってきます。彼等の剣幕が凄く、私は怖くなってしまいました。

 そんな険悪な空気の屋敷から逃れたくて、私は予定もないのに馬車の準備を命じていました。行先は特に決めていませんでしたが、ふと先日、孫を見かけた公園へ行ってみたくなりました。もしかしたらまたその姿を見ることが出来るかもしれない。そんな淡い期待を胸に馬車へ乗り込みました。

 公園に着いたのは調度お昼頃でした。さすがにそう都合よく孫が居るはずもなく、落胆した私は御者に公園の周囲を走って適当に時間をつぶす様に命じました。あの険悪な雰囲気の中へまだ帰りたくなかったのです。

「奥様、そろそろお戻りになりませんか?」

 周囲を何周か回ったところで、同乗していた侍女が見かねて帰宅をうながしてきました。まだ帰りたくない気持ちはありますが、今日の所は諦めるか無いと渋々帰宅を命じたところで「わーい」という子供のはしゃぐ声が聞こえてきました。

 慌てて馬車を止めさせて様子をうかがうと、まぎれもなく孫のカミルが公園の中へと駆けこんできたところでした。その後ろからは先日も見かけた侍女が息を切らして追いかけてきています。楽し気なその様子に何だか癒されます。ああ、この子が我が家に来てくれたらどれだけ家の中が明るくなる事でしょう。

「なりません、奥様」

 思わず馬車から出て行ってあの子の元へ行こうとするのを侍女が止めました。そこでようやく私達があの子への接触を陛下によって禁じられている事を思い出しました。

「そうだったわね。帰りましょうか」

 孫の姿を見ることが出来て嬉しかった半面、直接触れ合えない寂しさを抱えて帰宅することとなりました。それでもあの可愛らしい姿を見たくて、翌日もそしてその翌日も馬車を走らせてあの公園へ向かうのが日課になってしまっていました。




「孫を見に行くのだろう? ワシも連れていけ」

 孫の姿を見に行くのが日課になって数日後、この日もいつもの様に準備させた馬車に乗り込もうとしていますと、夫もそう言ってついて来ました。連日押しかけて来る親族達から逃げて来たようです。

「……」

 夫の命令を私が断れるはずがありません。馬車の中に向かい合わせに座った私達の間には会話もなく、重苦しい空気が漂っておりました。思えば、こうして一緒の馬車に乗るのはいつ以来でしょうか? 婚約が成立した頃は夜会に参加する折には同乗していましたが、結婚してからは無かったようにも思えます。

 お家の権勢を世間に知らしめるため、我が家では出かける時はいつも馬車を数台連ねていました。先頭には夫が乗った豪華な物、義母が健在でした時には優美な女性用の馬車、子供達用の可愛らしい馬車が続いて最後に私が乗る慎ましいと言うか、見方によっては使用人用とも思われてしまう質素な馬車が続いたのでした。

 義母が他界してからはさすがに貴族家の当主夫人に相応しいものを用意して頂きましたが、夫とは別々の馬車に乗るのは今でも続いております。だから今回は本当にどう過ごしていいか困りました。

「もうじき到着いたします」

 御者がそう知らせてくれたことでどうにか重苦しさが和らぎました。窓の外に視線を向けると、最早なじみとなった公園の風景が目に映ります。私も夫も無言で孫の姿を探しました。

「旦那様、子供が家を出ました」

 夫は家来を数名先行させていた様です。その報告を受けながらいくつか指示を与えていました。私達が孫の姿を楽しんでいる間、目立たないように配置されているあちらの護衛に邪魔されないよう抑えておく様に命じていました。

 それからほどなくして孫とお付きの年若い侍女が公園に姿を現しました。いつもでしたら、孫は興味を引かれるままに公園の中を走り回るのですが、今日は少し異なるようです。孫は何かに怒っているのか、お付きの侍女が止めるのも聞かずわき目もふらずに公園を通り過ぎていきます。

 私達には何を話しているのかは聞こえません。夫は御者に命じてもっと近づくように命じました。

「若様、今日はもう帰りましょう」

「や! じぃじとばぁばの所へ行くの!」

 孫が放った一言に胸が熱くなりました。なんて素晴らしいのでしょう。血のつながらない母親よりも私達を選び、健気にも1人で私達の元へ来ようとしていてくれたのです。子供自身が望んでいるのですから、このまま連れ帰っても誰も文句は言わないでしょう。夫の様子をうかがうと、彼も同じことを思ったようです。孫のすぐそばに馬車を止めさせると、すぐに降りていきました。もちろん、私も続きます。

「よくぞ言った。そなたを我が家の嫡子として迎えよう。さあ、来なさい」

 夫がそう声をかけますが、孫は不思議そうに見上げています。

「おじさん、だぁれ?」

「そなたの祖父だ」

 何と言う事でしょう。孫は私達の顔を知らされていないみたいです。私は精一杯の笑顔を作って「ばぁばですよ」と声をかけてみたのですが、戸惑った様子で後ずさりします。そうしているうちに年若い侍女が前に進み出て、まるで私達が悪者の様に背後に孫をかばいます。

「失礼ですが、どちら様でございますか?」

「無礼な。ワシはミムラス家当主だ」

「フリードリヒ・ディ・ミムラス様でしょうか? 失礼ながら、当家への接触を陛下より禁じられているとうかがっております」

 夫が威圧する様に名乗ったため、孫は怯えて侍女にしがみついていました。

「孫がワシの元へ来たいと言っておったではないか。当人が望んでおるのだから我が家へ連れ帰るのは当然だろう」

 夫の主張に彼女は怪訝そうな表情を浮かべています。先程、孫が言っていたことを彼女は覚えていないのでしょうか?

「恐れながら、先程カミル坊ちゃまが仰っていたことでしょうか?」

「ワシらの元へ来たいと言っておっただろうが」

 対応の遅さに夫が苛立ち始めています。それでも彼女は臆することなく応対し、安心させる様に怯える孫の頭をなでています。

「失礼ながら、坊ちゃまがお会いしたいと仰っていたのはアジュガにいらっしゃる大旦那様と大奥様の事でございます。見ず知らずのあなた様方の事ではありません」

「嘘を言うな」

「嘘ではありません。こうして坊ちゃまが怯えているのが証拠でございます。陛下のご下命を背かれたお2人方の行為は旦那様にご報告申し上げ、後日ミムラス家へ抗議させていただきます」

 その侍女は孫が私達の所へ来たいと言っていたのは勘違いだと言うのです。しかも陛下へ言いつけると言い出し、私の頭の中は真っ白になっていました。

「ふざけるな!」

 突然、パシンという音がして、気が付くと激高した夫が侍女の頬を叩いていました。地面に倒れ込んだ彼女の口元から血が流れています。悲鳴を上げそうになりましたが、どうにかこらえました。でも、気が動転して1人でオロオロするしかありませんでした。

「レーナをいじめるな!」

 すると突然、孫がそう叫ぶと夫に体当たりしました。子供の体重でしたが、不意を突かれた形となってしまい、夫はよろけてしまいます。それによって夫は更に激高し、孫を突き飛ばしました。尻餅をついた孫は驚いて泣き出してしまいました。

「ワシに逆らうといい度胸だ。2度と逆らえないよう躾けてくれる!」

 夫はそう言うと、持っていた杖を孫に振り上げました。「それはいけない」と思ったのですが、体は動きませんでした。起こる惨劇を覚悟して目を固く閉じていると、鈍い音が聞こえました。恐る恐る目を開けてみると、あの侍女が孫を庇っていました。

「自分の思い通りにならないと暴力を振るうのですか?」

「使用人風情が生意気言うな!」

 冷静さを欠いた夫はまたもや杖を振り上げました。だけど、その腕を誰かがつかみます。

「随分と勝手な事をしてくれるじゃねぇか。いい加減にしろよ、おっさん」

 随分と乱暴な口調ですが、どうやらビレア家の護衛兵の様です。立派な体格の若い男性が相手ではさすがの夫も抵抗できないようです。

「無礼者! 放せ!」

「無礼なのはどっちだよ。子供相手に暴力振るおうなんて大人げない」

「黙れ!」

 そんなやり取りをしていると、ものすごい勢いで馬が通り過ぎていき、いつの間にかルーク卿が立っていました。一度だけ夫に鋭い視線を向けると、その後は孫と倒れたままの侍女を優しく抱きしめています。

「もう大丈夫だ」

「おどぉーしゃん!」

 泣いている孫を抱いてなだめ、倒れたままの侍女を労わるその表情は先程までとうって変わって優しいものとなっています。そうしている間に多くの兵士が続々と集まり、未だにわめき続けている夫を拘束しました。そしてビレア家の物らしい馬車も到着し、侍女は家令らしい男に抱き上げられてその馬車に乗せられていました。

「おうち、かえるぅ」

「ああ、そうだね」

 ルーク卿も孫を抱いたままその馬車に乗り込んでいきます。

「ああ、孫が行ってしまう……」

 思わずそんな言葉がこぼれてしまいましたが、無情にも馬車の扉は閉められ、そのまま行ってしまったのでした。


マルレーネ視点、もう1話続きます。

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