第20話
「イヴォンヌとマルグレーテの2人に入れ知恵したとされる夫人には今後、積極的な治療を行わないことに決めた」
マルグレーテを通じて殺鼠剤を使うことを勧めたのはグスタフの妻だったらしい。カーマインに危害を加えようとした罪で収監されていたが、病に倒れたために娘達の下に戻されていた。定期的に医者に見せて治療にあたってきたらしいのだが、今後は痛み止めと睡眠薬以外は処方しない方針で、今までとは別の医者を主治医に据えることになった。緩やかに死へ向かうことになったのだ。
「マルグレーテはニクラスに引き取ってもらうことにした」
義父グスタフの下ではワールウェイドの城代を勤めていたニクラスは現在、ワールウェイド領で僅かな土地を耕しながら生計を立てている。現状では1人で食べていくのが精いっぱいの為、引き取っても近くの神殿に預けることになるのが濃厚だった。彼女にもいつかは自分の犯した罪を反省してもらえたらと奥方様は考えているらしい。
「今回の事で国主選定会議は1日延期となり、それまでにニクラスに娘を迎えに来てもらうことになった」
今回の処遇は今日中に通達されるが、それに素直に従うとは考えにくい。要は旧ワールウェイド家の女性陣への説得を彼に任せたいらしい。
「そういう訳でラウルとシュテファンにはワールウェイド領まで使いに行ってきてほしい」
今回の件は公表しないと決まっていた。そして国主選定会議を控え、それが済めば即位式に向けての準備が始まる。重鎮たちとしてはこの件をさっさと終わらせてそちらに取り掛かりたいのが本音だろう。
日々様々な経路を開拓している俺達なら人目につかないようワールウェイド領を往復することも可能だ。ただ今回はニクラスを迎えに行くだけなので、2人に任せればいいと判断したのだろう。
「分かりました。お任せください」
殿下の要請を力強く請け負うラウルとシュテファンを頼もしく思うと同時に一抹の不安を感じた。
そしてその日のうちに出立した2人がニクラスを連れて帰って来たのは翌日の夕方だった。思ったよりも早い帰還だ。知らせを受けて着場で彼等を出迎えると、ニクラスはラウルとシュテファンに支えられるようにして立っていた。
「一体、何があった?」
アスター卿の執務室へ向かう道すがら問いただすと、事情を聞いたニクラスに急いでくれと言われ、最短距離を飛んできたらしい。確認のために地名を聞いてみたが間違いない。その途中にある渓谷は本職の竜騎士も通るのをためらうのだが……。
ニクラスが足腰立てない状態なのも納得だがいくらなんでもやりすぎだ。2人には後程厳重注意をしておこうと固く心に誓った。
無事、執務室にニクラスを送り届けると部屋の主は怪訝そうにしながら彼等を招き入れた。そして彼の口からニクラスへ改めて今回の事件の説明を一通りし、娘を連れ帰るよう依頼した。
一も二もなく応じたニクラスはすぐにでも皇都郊外の幽閉先へ行きたかった様子だが、既に日は暮れかかっている。体の状態の事もあるし、今夜は西棟で休んでもらうこととなった。
そして翌早朝、ニクラスは騎士団で手配した馬車で皇都郊外へと向かった。そしてその数日後、ニクラスは娘を連れて陸路ワールウェイド領へ戻っていった。これでこの事件は一応の区切りが付けられたのだった。
イヴォンヌが起こした騒動の事後処理により、予定より1日遅れて国主選定会議が開かれた。今回は殿下とアルメリア姫、国主候補が互いを推薦し合うという前代未聞の珍事となり、本当は国主の地位に就きたくない殿下は最後まで悪あがきをなさっていたらしい。
まあ、結果は聞くまでもないだろう。それでも慣例に従って行われる結果の公表を聞くため、広間には国内の主だった貴族が集まってその時を待っている。そんな彼らの一番の目当ては、フォルビア公となられたフレア様だろう。警備の一員として広間の隅に控えている俺の耳にそこかしこで彼女の事を噂している会話が聞こえる。
「どんなお方なんでしょう」
「野遊びを好まれる粗野なお方と聞きましたけど」
「これから頻繁に野遊びや狩猟会が開かれると思うとゾッとしますわ」
「本当ですわ」
何だか聞いてて腹が立つ。絶対、あの時「野蛮」だと言った夫人が噂を広めたに違いない。フレア様の本当のお姿も知らずに勝手なことを言うなとつかみかかりたいが、ここで俺が騒動を起こすわけにもいかず、グッと堪えた。
「皆様ごきげんよう」
懸命に怒りをこらえていると、品のいい婦人が話に加わった。セシーリア様主宰のお茶会で見かけたような気がする。噂話をしていた夫人達が丁寧に応対している所から見ても、彼女の身分は高い様だ。和やかに挨拶を交わしている姿をしり目に、俺は一つ息を吐いて気持ちを落ち着けた。
「あら私、先日のお出迎えであの方のお姿を拝見いたしましたわ」
彼女の発言に婦人達は色めき立つ。
「慈愛に満ちた、まるでダナシア様の化身のようなお方でしたわ。姫様も実の母親の様に慕っておられましたし、殿下も大変御寵愛なさっておられるご様子でした」
夫人の発言に他の夫人たちは信じられないといった様子で驚いている。まあ、先程までデタラメを信じていたのだから無理もない。
だが、お出ましになられ、そのお姿を一目見れば真実は自ずとわかるはずだ。セシーリア様やソフィア様は近日中にフレア様主催のお茶会を予定している。間近で接すればそのお人柄も良く伝わるだろう。
真実が広まったその時、今回の噂の出どころとなった夫人に対して周囲は何と言うだろうか? 哀れな未来を予想し、ちょっとだけ留飲を下げた。
「お出ましになられます」
ほどなくしてそう声がかかる。ざわついていた広間が静まり返り、やがて中央の扉から先ずはサントリナ公が姿を現した。その後からブランドル公、リネアリス公、マリーリア卿と続き、アルメリア姫、最後に殿下に手を引かれたフレア様が姿を現した。会場に集まる貴族が固唾をのんで見守る中、悠々と進む一同は正面にある玉座の前に並んだ。
先ずはフォルビア公とフレア様が紹介され、品よく淑女の礼をする。その凛としたたたずまいと、隣の殿下が絶えず熱い視線を送っている姿に場内がざわついている。うん、上々の出だしだ。先程まで噂をしていた奥様方もどこか唖然とした様子で見ている。
ザワザワと落ち着かない中、サントリナ公が一つ咳払いをして場内を鎮める。そして少しもったいぶるように集まった人々を見渡してから、選定会議の結果を告げた。
「我々、5大公家の総意により、エドワルド・クラウス殿下を次期国主に指名した」
一瞬の静けさの後、場内は大歓声に包まれた。次々と上がる祝福の声に殿下は片手を上げて鷹揚に応じ、場内が落ち着くのを待った。
「内乱で疲弊したこの国を立て直す為に尽力していく所存だ。この国の為に皆もどうか手を貸して欲しい」
殿下がそう訴えると、場内からはそれに応じる声が次々と上がり、5大公家の当主ともう1人の候補だったアルメリア姫も殿下に対して頭を下げた。アロン陛下が亡くなられておよそ半年。これでようやく次代の国主が正式に決定したことになる。何だか感慨深い。
続けて執政補佐官のグラナトさんから即位式が3か月後に行われることが発表された。続けて延び延びになっていたユリウスとアルメリア姫の婚礼が来年秋に決まったことも公表された。ただ、成人した国主候補者が皇家からいなくなるのを防ぐため、ユリウスが婿入りすることになったと合わせて告げられる。場内が少々ざわついたが、既に皇家とブランドル家で話がついていることである。誰も異を唱えることはなかった。
本来であればこの後大掛かりな夜会が開かれるのだが、今回は自粛することになっている。何しろ殿下ご自身も彼を支える重鎮達も皆忙しい。時間的にも財政的にもそんな事をしている暇はない。
先に殿下が奥方様を伴って退出される。その間も奥方様に蕩けるような笑みを向けている。その後ろにユリウスに手を取られたアルメリア姫が続き、残る5大公家の方々がそれに続いて退出された。
これで一連の行事は終了した。後は広間に集まった貴族達が順次退出していくだけである。もちろん、これにも序列によって順番が決まっている。俺達警備はその間も混乱が起きないよう絶えず注意を払う必要があった。
「それにしてもお綺麗な方でしたわね」
「殿下が寵愛されておられるのも納得ですわ」
先ほどの夫人達である。退出するまでにまだ時間があるのか、また噂話に興じている。本当に飽きないものだ。
「それにしても……噂って当てにならないものですわね」
彼女達が至った結論に俺は内心でガッツポーズをしていた。何だか今までの苦労が報われた気がした。
国主選定会議から5日後。俺達はフォルビアへ帰還する日を迎えた。早朝の着場にはオリガやイリスさん、そしてアスター卿やユリウスも見送りに来てくれていた。
「気を付けて」
「うん」
「手紙を書くから」
「俺も書くよ」
オリガと抱擁を交わし、額に口づける。昨夜は共寝をしたのもあって余計に離れがたいが、いつまでもこうしているわけにはいかない。後ろ髪引かれる思いで彼女から離れると、既に万全に準備を整えた相棒のエアリアルに跨った。
既にシュテファンも俺より先に恋人との挨拶を済ませたラウルも騎乗している。俺達は居並ぶ見送りの方々に黙礼をすると、飛竜を飛び立たせた。今までにないくらいオリガと一緒に過ごしていたので離れるのが辛い。でも、3か月後にはまた会える。自分にそう言い聞かせると、寂しさを振り払うようにエアリアルの速度を上げた。
あと閑話を2~3話入れて第1章終了(予定)です。




