第33話
オリガが家出して最悪の10日間をどうにか乗り切った俺は、アスター卿の執務室を退出するとすぐに帰宅した。翌早朝にアジュガへ向けて出立するので、それに備えて早めに体を休めておこうと思ったからだ。
しかし、準備を進めているうちにオリガに今すぐ会いたいと言う気持ちが募って来た。既に夜遅い時間だけれど、今から全力で飛べば朝方にはアジュガに着く。そう思うと、いてもたってもいられなくなり、荷物を担いで玄関へ向かう。
「旦那様? 如何されましたか?」
「俺だけ今から発つ。サイラスは予定通り明朝出てくれ」
サイラスに声をかけられたが、止められる前に俺はそう言い残すとさっさと馬に跨り本宮へ向かった。そして俺だけ先に行くことを知らせておこうと、一旦雷光隊の詰め所に寄ると夜番のマティアスが待機していた。彼は俺の姿を見るなり奥の宿舎へ声をかける。すると荷物を抱えたレオナルトが出て来た。
「お供します」
どうやらこうなる事をラウルが予期し、指示を残していたらしい。俺はさっさと竜舎へ向かったのだが、レオナルトは当然と言った様子でついてくる。
「手加減はしないぞ」
「がんばります」
ラヴィーネまでの旅を思い出したのか、レオナルトは顔を引きつらせながらそう答える。それでもこれまでの訓練の成果を存分に発揮して手早く飛竜の装具を整えると、俺に遅れることなく本宮を出立した。
休憩を最小限に控え、最短距離で夜通し飛竜を飛ばした。オリガに早く会いたい一心で随分と無茶をしたが、相棒は一緒に飛べるのが嬉しいらしく、終始ご機嫌だった。一方のレオナルトは意地だけでついて来たようで、暁闇の中アジュガの着場に着くと、飛竜の背中からずり落ちる様に降りると、そのまま地面に倒れ込んでいた。
「彼を部屋で休ませてやってくれ」
俺の到着に慌てた様子で係員や使用人が集まって来る。係員に飛竜を預け、使用人にはレオナルトを休ませるように命じて俺はすぐに領主館の3階へ駆け上がる。そしてそのまま寝室へ向かおうとしたが、夜通し移動して汗だくだったことに気付く。このままでは余計に嫌われる。危機感を覚えた俺は急いで浴室へ向かい、温くなった残り湯で手早く汗を流してから寝室へ向かった。
まだオリガは怒っているだろうか? 謝ったら許してくれるだろうか? 一度深呼吸してから寝室の扉をそっと開けると、寝台の端の方で眠っているオリガの姿が見えた。すぐに駆け寄りたい衝動を抑え、そっと寝台に近寄るとその縁に腰を下ろした。寝乱れた髪を整え、頭をなでる。起こしてしまうのはかわいそうと思いながらも、彼女の頭をなでるのを止めることが出来なかった。
「ん……ルーク……」
夢うつつの状態のオリガが体を摺り寄せて来るのが可愛い。たまらず隣に寝そべって彼女を抱きしめた。名前を呼びながら更に頭をなで続けると、彼女はようやく目を覚ました。
「ルーク……」
彼女と目が合う。夢ではないと分かったのか、驚いた表情を浮かべた彼女は俺に抱き着いて来た。ああ、彼女は寂しかったのだ。
「寂しい思いをさせて、ゴメンね」
「ううん、私が……」
彼女は言葉にならない様子で俺の胸に縋りついて泣き出した。俺はそんな彼女の頭をなでながら何度も「ゴメンね」と謝った。
泣きつかれたオリガはそのまままた眠ってしまった。俺もつられてウトウトとしていたが、階下が騒がしくなったのに気付いた。窓の外が随分と明るくなっていて、アジュガの住民の活動時間を迎えたのだ。
本当はこのままダラダラと過ごしていたいが、せめて家族やこの町を切り盛りしてくれている文官達には到着の挨拶をしておかなければならない。重い体を寝台から引きはがす。眠っているオリガの額にそっと口づけると、そっと寝室を抜け出した。
「旦那様?」
寝室を出たところでレーナと鉢合わせした。オリガの朝の身支度の手伝いに来たのだろう。
「明け方着いた。オリガはまだ寝ている」
「は、はい」
「カミルは?」
「昨夜はクルト様とリーナ様ご夫妻の所で過ごされました。最近は奥様が御不調なので、昼間は大奥様と過ごされることが多いです」
レーナがよどみなく近況を教えてくれる。侍女として順調に成長しているようで心強い。
「家族に挨拶したら俺もまた寝るから夕方まで2人だけにして欲しい」
「分かりました」
レーナは頭を下げると、すぐに階下へ引き返していく。俺は目覚ましに顔を洗って衣服を改めてから領主の居住区域である3階から降りた。レーナが俺の要望を既に伝えていてくれていて、馬も既に用意されていた。疲れ切ったレオナルトはまだ起きていないらしく、ザムエルの配下の兵士が実家まで護衛として同行してくれた。
「あ、領主様だ」
「おや、いつ来たんだい?」
すれ違う住民は俺の姿に少し驚いた様子で挨拶して来る。明け方着いたことを説明すると、皆、納得してくれる。もうじき収穫祭なので、その準備を進めていると教えてくれた。住民達とも話をしながらのんびり馬を進めてようやく実家に到着する。玄関から中に入ると、母さんは朝食の後片付けをしていた。
「おはよう、母さん」
「おや、ルーク。来ていたのかい」
「うん。明け方に着いた」
少し話をしようと椅子に腰を掛けると、すかさず目の前にパンとお茶が出される。そしてあまり物だけどという前置きで数種のおかずと温めなおしたスープが出て来る。さすがの手際だ。正直に言ってものすごくお腹が空いていたので、感謝してご馳走になる。
「夫婦の事に口を挟むつもりはないけど、オリガさんにちゃんと謝ったのかい?」
「うん。また後でじっくり話をするつもりだ」
「そうしなさい」
母さんはそれだけ言うと、お茶のおかわりを注いでくれる。そして量が足りないと察したのか、パンを追加し、腸詰を焼いてくれた。
「カミルも寂しがっているよ」
「うん」
「今日は見ておくから、2人でしっかり話し合っておきなさい。そして明日からでいいから、あの子と過ごす時間をしっかりとりなさい」
「ありがとう、そうするよ」
母さんには本当に頭が上がらない。感謝して頭を下げる。するとその時、裏口の扉が開いて、大きくなったお腹を抱えたリーナ義姉さんが子供達を連れてやってきた。
「あら、ルーク」
「とぉー」
一緒にいたカミルが俺の姿を見て駆け寄って来る。俺は食事の手を止めてかわいい息子を抱き上げた。
「とぉー、あしょ、あち」
当然、カミルは遊んでもらえると思って外に行こうと催促してくる。一緒に遊んでいたいが、今日はこれからオリガと2人でゆっくり話をする予定だ。どうしたものかと困り果てる。
「私が領主館で子守りをしていればいい。後から行くから、カミルを連れて先に戻りなさい」
「いいの?」
「あんたもゆっくり休んだ方がいいよ」
母さんが言うには、相当やつれているように見えるらしい。リーナ義姉さんも俺に文句の一つでも行ってやろうと思っていたらしいが、今の俺の姿を見てその気も失せたと言う。
「後でちゃんと説明してくれるんでしょうね?」
「夕食の後で話すよ」
「そう。そうしてちょうだい」
手強いリーナ義姉さんもとりあえずその対応で納得してくれた。俺は残りの朝食を手早く済ませると、カミルを連れて領主館へ戻る。今までは馬車での移動ばかりで馬に相乗りさせるのは初めてだ。目線が高くなりすぎて怖がるかと思ったが、俺の腕の中だからか楽しそうにしている。まあ、エアリアルにも一緒に乗っているからある意味慣れているのかもしれない。
「お帰りなさいませ」
領主館に着くと、ガブリエラが迎えてくれた。フリッツも一緒に迎えてくれたので、カミルは馬から降ろすと喜んで彼の所へ寄って行く。
「オリガは?」
「先程お目覚めになられました」
「夕方まで2人で居させてくれ」
「坊ちゃまは如何されますか?」
「後で母さんが来てくれる。それから夕方にはサイラスも着くはずだ」
「かしこまりました」
サイラスが来ると分かると、明らかにガブリエラの機嫌が良くなった。子供2人を1階の遊び部屋へ連れて行き、母さんが来るまで後を彼女に任せる。そして階段へ向かうと、レーナが盆を手に待っていた。
「ご朝食でございます」
「ありがとう」
俺はそれを受け取るとそのまま部屋へ向かう。寝室の戸を開けると、目を覚ましていたオリガは体を起こしていた。
「ルーク……夢かと思った」
「ゴメン。ちょっと実家に顔を出してきた」
俺は盆をテーブルに置くと、寝台の縁に腰掛けた。
「カミルは?」
「下でフリッツと遊んでいる。夕方まで母さんが見ていてくれるって」
そっと抱き寄せると、彼女は素直に俺に体を預けて来た。良かった、怒っているわけではなさそうだ。
「お腹空いてない?」
「ルークは?」
「食べて来た」
「……もうちょっとこのまま」
「うん」
甘えて来る彼女が可愛い。でも、レーナが体調不良と言っていた通り、体の線が細くなっているのがはっきりとわかった。思った以上に彼女に負担をかけてしまっていた様だ。
「ゴメンよ、オリガ」
「ううん。私こそ勝手に飛び出してしまってごめんなさい」
改めてお互いに謝り、仲直りの口づけをして今回の騒動を終結させた。まだ、巻き込んでしまった家族に説明するという大仕事が残っているけれど……。
無事に仲直り出来た2人。
秋のアジュガの話を書いて5章は終了。
最終章は6章「親子の物語」に変更します。




