第32話
部下に指示をするために中座したザムエルさんが戻ってくるまで一時休憩となった。サイラスが全員にお茶を用意していたが、重苦しい空気の中では話が弾むわけでもなく、ただ各々静かに喉を潤すのみにとどまった。特に担当者は周囲から向けられる鋭い視線にいたたまれないらしく、お茶も喉を通らない様子だった。
「お待たせしました」
ほどなくして指示を終えたらしいザムエルさんが戻ってきた。気の重い報告でもただ重苦しい沈黙の中にいるよりかはましに思えるらしく、担当者は幾分ホッとした様子で報告を再開した。
「代表の商人が帰還し、シュタールでは商人達によって改めて対応を協議しました。メルヒオールによる未払いの代金は少なからず彼等の経営を圧迫していたのもあり、彼等の意見は訴え出ることで一致しました。ただ、相手は陛下の信認が篤いルーク卿の関係者ということもあり、先ずは親交のある第2騎士団小隊長のイグナーツ卿に相談したそうです」
イグナーツ卿はシュタールの近郊に領地を持つ家柄の出身だった。あまり領地経営はうまく行っておらず、彼の俸給が家を支えている状態となっている。それなのにアジュガやミステルには国から多くの支援がある事を前々から不公平と感じていたらしい。商人達から話を聞いた彼は変な正義感に目覚め、自分がその不公平を正そうとすぐにウォルフさんの捕縛を命じてしまったらしい。
「イグナーツの独断か?」
「はい。配下の兵団は命じられるままアジュガへ赴き、ウォルフ殿を捕縛してシュタールへ連行しました。一方でシュテファン卿が事実確認に来られるまで我々はその事を知りませんでした。虚言ではないかと一部の方々は考えておられた様ですが、その翌日に陸路で護送されたウォルフ殿が到着して事実と判明した次第です」
シュタールの上層部はそこで慌てて事実関係の確認を行った。イグナーツ卿と関わった配下の兵団は当面の謹慎が言い渡され、ウォルフさんや商人達へ個別に聞き取りが行われた。当初、ウォルフさんは牢に入れられていたが、捕縛の手順が不当だったことが認められて牢からは出ることが出来た。それでも完全に無罪とは認められず、総督府内で監視付きの窮屈な生活を余儀なくされた。
面会の度にやつれていくウォルフさんの姿にシュテファン卿は黙っていられず、シュタールの上層部に待遇の改善を掛け合った。更にはアヒムさんの協力もあり、彼の親戚ラファエルさんの家に預けられることになった。身分こそ高くはないが、元シュタールの文官だったラファエルさんの影響力は引退された現在でも強いらしい。事情を知った彼は瞬く間に手続きを済ませると、すぐにウォルフさんを総督府から連れ出してくれた。
「ウォルフ殿の身柄は元文官のラファエル殿に預かって頂くことになりました。アジュガ側からの嘆願もあり、ウォルフ殿の奥方のシュタール滞在も認められました。監視付きで1日1度の外出も許可し、事件の真相が明らかになるまでシュタールに滞在していただくことになりました」
「護衛は付けなかったのか?」
「監視役と兼ねて兵団から選抜し、常に2名がつくように配置されておりました」
陛下の問いに担当者は資料をめくりながら応える。見せてもらったその資料には、ウォルフさんがラファエルさんの家に滞在していた間の当番表が添付されていた。所々書き換えられた跡が見えるところから実際に使われていたものを持ってきたのだろう。
「姿を眩ましたハインツとメルヒオールは、シュタールから出ようにも路銀が足りず、下町に身を潜めていました。メルヒオールが買い漁った高級品を売っても大した額にはならず、日々を生活するのがやっとだったようです。
それでもメルヒオールは贅沢が止められず、ハインツと口論が絶えなかった様です。終いにはハインツの小言に嫌気がさし、賭場に入り浸る毎日を送っていました。非合法の賭場でメルヒオールが勝てるはずもなく、嵩んだ借金の取り立てがハインツの元へ来ました。請求されたのはとても返せるような額ではなく、後になってフラリと帰って来たメルヒオールと口論となったそうです。
いつもであれば、小言に嫌気がさしてメルヒオールが家を飛び出すだけで済んでいたのですが、この日はいつもよりも強くハインツが彼を非難してしまいました。それに激高したメルヒオールが刃物を持ち出し、ハインツに斬りかかりました。執拗に追いかけて来るメルヒオールから命からがら逃げたハインツが向かった先に居たのが近所を散策中だったウォルフ殿と奥方でした」
ウォルフさんがいち早くハインツに気付き、メルヒオールを制止しようとした。だけど、激高していた彼は見境がなくなっていて、持っていた刃物でウォルフさんを刺したのだ。メルヒオールが更に刃物を振り上げると、倒れたウォルフさんをカミラさんが庇い、そのまま彼女も刺されてしまった。
「護衛は何をしていた?」
「あまりにも急で動けなかったそうです」
「話にならんな」
陛下の容赦のない一言に担当官は顔色を悪くしながら報告を続ける。この日、監視兼護衛としてウォルフさんとカミラさんに付いていたのは、2人供兵団に入って日が浅い新人だった。本来であればどちらかは経験のある兵士が入るはずなのだが、この日の当番だった兵士が都合で交代していた為に新人だけになってしまったらしい。そして事件の通報を受けても逃げ惑う住民が障害となり、警備の兵士が駆け付けるのが遅くなったと言い訳めいた言葉が連なった。
「……」
陛下ももう呆れて言葉が出てこないご様子だった。一方、これまでずっと黙って報告を聞いていたルークが徐に口を開く。
「その2人、今はどうしている?」
「ハインツはこんなつもりではなかったと言って泣いてばかりいます。一方のメルヒオールには全く反省の様子がありません」
メルヒオールは未だに自分はミステルの領主だと思い込んでいるらしい。取り調べをしようにもわめいてばかりで随分と手を焼いている状態だった。
「商人達は?」
「2人を捕えた情報が広まり、身柄を置いてある総督府に返済を求めて殺到しています」
現状で2人に会わせるのは危険なため、追い返しているのだけど、商人達も生活がかかっている。なかなか諦めてはくれないらしい。
「今回の一番の被害者はお前達だ。望む裁定を下すつもりだ。ルークは彼らをどうしたい?」
陛下の問いにルークは一瞬だけ殺気を放った。立っていた担当官の足が震えて座り込んでしまうほどの殺気だった。
「正直に言ってこの手で八つ裂きにしてやりたい」
拳を強く握りしめて彼はそう答えた。ビレア家の皆さんも同様に思っているようで、その表情は険しかった。だけど怒りを抑え、彼が出したのは意外な答えだった。
「あの2人には先ず、商人達へ返済をするように言ってください」
ルークが出した答えにその場にいた全員が驚いた。何しろ前日には2人を殴りに行くとまで言って騒動を起こしていたのだから。
「意外だな」
「ハインツはともかくメルヒオールは死罪となるでしょう。ですが、楽に終わらせたくありません。自分が浪費した金を返済させてから執行願います」
「それは構わないが、商人達は咎めないのか?」
「もちろん、相応の罰は受けてもらうつもりです。欲に駆られて怪しげな融資に手を出すのは勝手ですが、偏った思い込みで俺達まで巻き込んで、その結果俺達の大事な家族が殺されてしまった。許すつもりはありません」
「それなのに返済を優先させるのか?」
「今は金の事ばかり心配しているみたいですが、今回の事で彼等は信用も失っているはずです。あの2人から金が返ってきても、以前のような商いは難しいでしょう」
ルークの見解に陛下はなるほどとうなずいている。
「色々と言いましたけど、正直に言ってまだ怒りが強くて冷静な判断が下せそうにありません。今回関わった者達に相応の罰が下り、今後また同様な事が起きないようにして頂くことを願います」
「分かった。皇都に帰り次第、第2騎士団、シュタール総督府双方の人事を見直すことも併せて約束しよう」
陛下はそう言って快諾し、まだ床に座り込んだままだった担当官も必死にうなずいていた。余程ルークの殺気が怖かったのだろう。ともかくこれで今わかっている事の報告は全て終わったらしい。
「あ、後、最後にこちらをお返しいたします」
未だ震える足で立ち上がった担当官は、最後に何かの包みを差し出した。代表してルークが受け取り、中を確認する。中には紙の束が入っていた。びっしりと何かが書き付けてあり、良く見れば日記の様だった。その筆致は私も覚えがあった。
「これは……ウォルフのか?」
「はい。ラファエル様のお屋敷に残されていたもので、資料としてお預かりしていたものです」
ざっと目を通していたルークの表情が一瞬だけ和んだ。
「カミラの事も書かれている。後でみんなで読もう」
ルークはそう言ってウォルフさんの日記を元の様に包みなおした。これで全ての用事が終わったと帰り支度を始めた担当者を陛下が呼び止める。
「新たに判明したことがあれば直ちに報告する様に徹底しろ」
「畏まりました」
陛下の念押しに担当者は顔を青ざめさせながらうなずいていた。
その日の夜はビレア家に家族が集まった。ルークが預かったウォルフさんの日記をみんなで読むためだった。
『身に覚えのない罪で突然捕縛された。シュタールに着くまでの間、罪人同様の扱いを受けて辛かった』
日記はそんな書き出しで始まっていた。ウォルフさんがこの日記を書き始めたのはラファエルさんの家に移ってからの様で、最初の方は捕縛されてからの事を思い出しながら書いていたみたいだった。
『このまま無実が証明されなかったらどうしよう。もうカミラやカミルとも会えないのだろうか?』
『留守を預かっている最中にこんなことになってしまって、ルーク卿には本当に申し訳ない』
日付の最初の頃は悲観的な文章が並び、彼の不安や悔しさが良く伝わってくる。けれど、その内容がある時を境に一転する。
『ああ、カミラが来てくれた!』
その一文が彼の喜びの全てを表していた。シュテファン卿の尽力でカミラさんと共に過ごせるようになってからは、彼本来の落ち着きを取り戻した様子だった。お世話になっているラファエルさんご夫妻の様子も書かれるようになり、彼に心の余裕が生まれた様子がありありと伝わってくる。
『カミラが楽しい事を考えようと提案してくれた。自由になったら何がしたいか、2人で出し合うことになった』
そう書かれた日から毎日、日々の覚え書き以外にもやりたいことが付け加えられるようになった。カミル君におもちゃを買う、2人でご馳走を食べる、等と言った些細な事からカミル君に大陸中を見せたい、とか礎の里まで行ってみたい、等と壮大な夢まで書かれている。中には「踊る牡鹿亭」のミートパイを食べると書かれていてみんなで笑ってしまった。
『明日の散策は少し足を延ばしてみようと思う。きっと、新しい発見があるかもしれない』
その記述を最後に日記は終わっていた。その日付は事件が起こる前日となっていた。
「本当に……本当に……」
お母さんはそう言いながら涙を浮かべ、お父さんはお母さんを慰めるようにその肩を抱いていた。その夜はみんなで何度も何度も繰り返して日記を読み、2人を偲んだ。
ウォルフの日記は閑話で独立した話にしたかったけど、全部書き出すのが難しそうだったので抜粋した形に。
あともう少しでずっと気が重かった4章も終了。
頑張ります。




