第29話
「どういうことだ、シュテファン」
我に返ると、ルークはシュテファン卿につかみかかっていた。止めなければと思うのだけど、知らされた内容が衝撃すぎて体が動かない。
「落ち着け、ルーク!」
陛下の鋭い声にシュテファン卿の胸元をつかんでいたルークの手が緩む。そこへ扉を叩く音がしてラウル卿とエルフレート卿が入って来た。陛下は全員に席に着くように指示され、全員が席に着いたところでシュテファン卿に説明を促した。彼は出立前までに聞いた話だと前置きをしてから説明を始めた。
「隊長が出立した後も商人が返済を求めてアジュガに来ておりましたが、打ち合わせしていた通り隊長が帰国後に話をすると言って対応していました。しかし半月ほど前、しびれを切らした商人達がウォルフ殿を訴え、シュタールから兵士が来てウォルフ殿は捕縛されました」
「は? 何故?」
「料金の未払いだけでなく、詐欺の疑いがあるとのことでした」
昨秋、ウォルフさんの代理人を名乗る男がシュタールの複数の名士にミステルへの融資を持ち掛けていたらしい。その折に滞在したと思われる宿代やウォルフさんの名前で購入した贅沢品の代金が未払いになっていて、それがアジュガへ請求されていた。しかしルークはそんな事は命じていない。それにミステルの事業に関することであれば、ウォルフさんではなくアヒムさんに命じていただろう。
エーミール卿からウォルフさんの捕縛を知らされたシュテファン卿はローラント卿に教育部隊を任せてすぐにシュタールへ向かった。カルネイロの残党の件で第2騎士団には何人か顔見知りも出来ていたので、彼等にも助力を求めたらしい。
「ウォルフ殿の捕縛の話はシュタールの上層部には伝わっていませんでした。改めて調査を頼んだところ、とある竜騎士の一存で行われていました」
地方貴族出身で、アジュガとミステルが優遇されていることに不満を持っていたらしい。そんな彼に古くから親交のある商人から代金の未払いを相談され、情報を精査することなくウォルフさんの捕縛を配下の兵士に命じたらしい。
「まだそんな事をする奴がいたのか」
「ずさんだな」
陛下もブランドル公も顔を顰めている。内乱後は役人や竜騎士の綱紀を改めて来たのだけど、まだ末端には陛下のお考えが届いていない人もいるらしい。
「事態を重く見たシュタールの上層部はすぐに調査を始め、ウォルフ殿を始め、被害に合ったという商人達や町の名士達等、関係者を集めました。そこでようやくアジュガ側の話を聞いてもらえたそうです。一方、商人や名士達からは代理人を名乗る人物の人相を聞き出し、その特徴はミステルから解雇されたハインツに酷似していました」
「何だと?」
思わぬ名前を聞いてルークは思わず腰を浮かせたが、陛下の御前であったことを思い出して再び腰を下ろした。
「一先ず捕縛の手順が不当であったことが認められてウォルフ殿は釈放されました。しかし、疑惑は完全に払拭されたわけではなく、当面はシュタールに滞在し、監視が付けられることになりました。
私は一旦アジュガへ戻ってそれを報告したところ、カミラさんからウォルフ殿に会わせて欲しいと頼まれました。着替えとか身の回りの物を持って行きたいと言われたので、そのくらいは許されるだろうと了承しました。ヒース卿からのご指示もあり、カミラさんの付き添いはファビアンとエーミールに任せることになりました」
その間にウォルフさんの無実を証明するため、いろんな人が奔走してくれたらしい。アヒムさんはシュタールにいる知己を総動員して調査を依頼し、更には息が詰まるだろうからとウォルフさんの身柄を総督府から彼の親戚の家に移れるように手配してくれた。アジュガから駆け付けたカミラさんも一緒に滞在させてもらえたらしい。
一方、事件のあらましを聞いたヒース卿は皇都で留守を預かっているアスター卿にも知らせ、この件に雷光隊が加わる許可を出してもらった。シュテファン卿は教育部隊も引き連れてシュタールへ移動し、捜査に加わった。
更には本人達の強い要望で、我が家の家令のサイラス一家をアジュガへ送ってくれていた。サイラスは動揺するビレア家や町の人達を支え、領地経営の経験のあるガブリエラは文官達に協力してくれていた。誰もがウォルフさんの無実を信じ、帰りを待っていた。
「行動に制限はありましたが、ウォルフ殿は毎日少しの時間、外出を許可されていました。監視付きですけど、ご夫婦で近隣を散策するのを楽しんでおられました。
それが5日前、いつも通り散策している最中にもめ事に遭遇しました。小剣を振り回す若い男にハインツが追われていたそうです。それに気づいたウォルフ殿は若い男を止めようとしたのですが、激高していた男は小剣でウォルフ殿を刺したのです。更に倒れたウォルフ殿に止めを刺そうとしたところで、その場にいたカミラさんが彼を庇い、その凶刃に……」
監視として付いていた兵士も止める間もない出来事だったらしい。すぐに若い男は取り押さえられ、ハインツの身柄を抑えた。そして刺された2人は応急処置を施されたものの、刺された場所が悪く、帰らぬ人となったらしい。シュテファン卿は事件を知ったヒース卿の命令で事件の翌日にタランテラを発ち、4日程で大陸を縦断してきたという事だった。
「そいつは?」
「メルヒオール。ハインツが保釈金を払って解放し、面倒を見ていたそうです」
旧ミステル家の嫡男だった男だ。直接会った事は無いけれど、因縁のある相手だった。ルークが握りしめている拳が震えている。これだけ彼が怒りを顕わにしたのは、内乱終結時に捕えたラグラスを前にした時以来かもしれない。
「ルーク、オリガを連れて先に帰還しろ」
「しかし……」
すぐに飛び出したい気持ちはあるけれど、ルークは陛下の護衛としてこの礎の里に来ている。それなのに家庭の事情で護衛の対象である陛下を置いて帰ったとなれば、ルークだけでなく陛下も嘲笑されかねない。国主方は鷹揚な方ばかりなので気にはなさらないだろうけれど、賢者方の中には陛下に好意的ではない方も多くいらっしゃる。このことで国主会議における陛下のお立場が悪くなるのは本意ではない。
「帰還を早めればいい」
タランテラから急使が来たことは既に知られている事だろう。皇妃様のお加減が悪くなったと知らせが届いたことにし、心配した陛下が予定を早めて帰国することにしたというのを表向きの理由にすればいいと陛下はご自身の案を述べられた。後から大げさに伝えられただけで大丈夫だったと公表すれば余計な心配もかけない。普段から陛下が皇妃様を溺愛しておられるから通用する策だった。
「しかし……」
「それで問題ないと思うよ。聖域内は俺達が先導しよう」
アレス卿が陛下の案に賛同し、他に異論も出なかったことから飛竜で帰国することが決定した。それから互いに意見を出し合い、話を纏める。先に帰国する私達にはラウル卿とアルノー卿が従い、アレス卿とレイド卿が聖域内の先導役として同行してくれることになった。
一方、船団は予定通り2日後に出航することになった。シュテファン卿が残った雷光隊を率いて先導役を務め、タルカナからは休暇を返上してエルフレート卿も加わることになった。
「ラトリに着けば、後はお前達だけでタランテラへ向かえ。私は賢者殿に挨拶をしながら迎えを待つ。アスターとヒースが気を回して何らかの準備を整えているだろう。なくてもロベリアでリーガスに言えばすぐに迎えをよこしてくれるはずだ」
今回の手紙を送って来たのはヒース卿だった。彼ならば、何らかの手筈を整えてくれているのは間違いない。アスター卿と共に陛下の腹心を勤める彼への信頼は絶大だった。
「ですが……」
「義兄上の事はお任せ下さい。ルーク卿は早くご家族の元へ戻られた方が良い」
アレス卿にもそう言われ、ルークは渋々ながら了承した。そしてその日のうちに根回しを済ませ、翌日の朝の早いうちに当代様へ辞去の挨拶を済ませると、私達はタランテラ目指して飛び立った。
最低限の休憩を取りながら2日後にラトリ村へ到着した。陛下の予想通り、そこではヒース卿の命令でケビン卿が率いる小隊が待機していた。その中にはティムの姿もある。到着したのは夜遅い時刻だったが、私達が到着すると、聖域の竜騎士達と一緒に彼等は出迎えてくれた。
「お疲れ様です。部屋の準備は整えてあります。先ずは体を休めて下さい」
夜遅いこともあり、私達はお言葉に甘えて休ませてもらうことにした。飛竜での移動には慣れていたつもりだったけど、今まで以上の強行軍に体が悲鳴を上げていた。言葉数が少なくなったルークを促して案内された部屋で旅装を解き、用意してくれていたお湯で体を拭いてから寝台に潜り込んだ。
体が疲れていたにもかかわらず、翌日は早朝に目を覚ました。ルークは眠れなかったのか、既に起きだしてエアリアルの世話をしていた。何かを堪えるような表情に胸が締め付けられる。叶う事ならばあの知らせが嘘であって欲しいと願わずにはいられない。
私の薬学の師匠でもある賢者ペドロはこの5年間で体も随分と衰えられていて、最近は起きている時間の方が少ないとアレス卿からは聞いていた。朝食を済ませて出立する時間になってもまだお休みだったので、バトスさんとマルトさんに伝言を言付けて出立することになった。
「我々は足手まといだからな。先に行ってくれ」
ケビン卿はグランシアードも連れて来てくれていた。陛下は賢者ペドロに挨拶を済ませてから第3騎士団と共に帰国することになり、雷光隊にはティムも加わってレイド卿の案内で先に出立することになった。
「ご配慮に感謝します」
言葉少なにルークはそう言って陛下に謝意を伝え、ラトリ村を飛び立った。そしてその後も強行軍で飛び続け、ラトリを発った2日後の夕刻にアジュガへ到着した。
「ルーク!」
「旦那様」
エアリアルが着場に降り立つと、すぐにザムエルさんとサイラスが駆け付けた。
「カミラとウォルフは?」
「こちらです」
私達が2人に案内されて着いた場所は神殿だった。祭壇の手前には2つの棺が置かれていた。そして花に埋もれたその棺の1つにお母さんが泣き縋っていた。傍らにはクルトお兄さんがいて、お母さんの肩を抱いている。その後ろで呆けたように座り込んでいたお父さんは私達に気付いて顔を上げる。
「ルーク……帰って来たのか?」
ルークはうなずくと、棺に近寄る。私も震える足でその後に続き、一緒にその中を覗き込んだ。お母さんが縋っていた棺にはカミラさんが、もう一つの棺にはウォルフさんが眠る様に横たわっていた。ルークはその頬に手を触れる。私も一緒になって、起きて欲しいとばかりに何度も何度も触ったけれど、2人が目を開けることは無かった。
「なんで……なんで……」
ルークはその場に跪き、絞り出す様にそう呟きながら涙を流していた。
翌日、ルークが帰還するまで延期されていた2人の葬儀がしめやかに行われた。神殿には多くの住民が集まり、2人がどれだけ慕われていたかが分かる。始まる前からすすり泣く声があちこちから聞こえていたが、母親を恋しがってずっと泣いているカミル君の姿は参列者の涙をさらに誘っていた。やがて儀式は終わり、棺は墓地へと運ばれる。そして2つの棺は仲良く並べられて埋葬された。
その様子をルークは前日とは打って変わって無表情に眺めていた。墓碑にはまだ何も刻まれていない。2人に贈る言葉が今はまだ思いつかず、後日改めて刻んでもらうことになっていた。
埋葬が終わると同時に雨が降り出していた。不遇をこうむった2人をダナシア様も悲しんで下さっているのだろうか。真新しい墓に祈りを捧げ終えた参列者は、順に墓地を後にしていく。残っているのは家族だけとなり、私も跪いて祈りを捧げた。
「オリガ、母さんを連れて先に帰ってくれないか?」
みんなが祈りを終えても、お母さんは墓の前に縋って泣いていた。このまま雨に濡れていては体を壊してしまう。ルークの頼みに私はうなずくと、クルトさんと2人でお母さんを支えて墓地を後にした。
「うわぁぁぁぁぁぁ!」
雨音に交じってルークの慟哭が響く。その日、日が沈んでもルークは家に帰ってこなかった。




