表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
群青の軌跡  作者: 花 影
第4章 夫婦の物語
140/245

閑話 ウォルフ2

うう……また遅刻だ。

 着場の特等席はカミラさんに好評だった。音楽はもちろん、大道芸も少し遠いが良く見えた。周りの目を気にすることなく過ごせたのが良かったのか、彼女は終始笑顔で、少し無理してでも準備したかいがあった。

 そんな楽しい気持ちで帰路に着いたのだが、領主館から出ようとしたところで想定外の出来事が起きた。人気のない領主館の敷地内で若い男女が密会の真最中だった。しかも女性の方は、昼間に散々自分に言い寄ってきていた雑貨屋の娘だ。

 もう1人は確か酒屋の息子だったか。アジュガで知らない者はいない美男美女と言われているが、男の方は結婚していてしかも奥さんは懐妊中だったはずだ。密会中らしい2人はカミラさんの悪口を言って笑い合っていた。

 当然、カミラさんは平静でいられるはずもなく、きびすを返すと領主館の中へ逃げ込んでいた。突然の物音に驚いたのは密会中の2人だ。慌てて敷地から逃げ出していた。

「カミラさん!」

 自分も慌てて領主館内に戻って彼女を探した。やがて床にうずくまって泣いている彼女を発見したが、かける言葉が見つからずにただ彼女が落ち着くまで抱きしめた。やがて彼女も落ち着いたが、このまま帰すのも問題だ。幸いに自分の仕事部屋の近くだったので、少し散らかっているのが恥ずかしいが彼女を招き入れた。

 カミラさんは落ち着かない様子で室内を見渡している。だけどあんまり室内を見られるのも恥ずかしい。その恥ずかしさをごまかす様に、ここが自分の仕事部屋だということを説明しながら暖炉に火を付け、その傍の椅子に座らせた彼女に仮眠用に備えている毛布を着せかけた。

「さっきの2人が話していたことは嘘だということは私が良く知っています。だから気にすることはないですよ」

 カミラさんの前にひざまずいてひどく傷ついている様子の彼女を元気づける。あんな奴らの言うことを気にしてばかりでは前には進めない。以前、ルーク卿にさとされた折にかけられた言葉を思い出し、彼女に伝える。

「強いんですね……」

 尊敬のまなざしを向けられると面映ゆい。全てルーク卿の受け売りなんだけどな。だから本当に強いのは彼なのだろう。それでも自分が大切に思う女性の為に言葉を尽くして励ました。感極まった彼女はまた涙を流す。どうしよう泣かせてしまったと狼狽うろたえていると、不意に彼女は抱き着いてきた。

「えっと、カミラさん?」

「ありがとう……大好き」

 突然の告白に思考が固まる。こういった時にどうすればいいんだろう? 迷った末にぎこちなくカミラさんを抱きしめ、自分の気持ちを伝えた。

「自分も、です」

「本当に?」

 彼女が顔を上げ、涙が溜まった目で自分を見上げている。精一杯の告白をしたわけだが、何だか恥ずかしくて顔が赤くなるのが自分でもわかった。うなずき返すと、彼女は嬉しそうにまた抱き着いてきた。自分も嬉しい。嬉しいけど、彼女が腕の中にいると思うと、男のさがが顔をのぞかせてくる。

「自分も男ですから、我慢できなくなってしまいます」

 欲を理性で押しとどめ、無防備に見上げてくるカミラさんの額に口づけた。そして体を離そうとしたのだが、彼女は逆に抱き着いてきた。

「え、あ、カミラさん」

「ウォルフさんなら……」

「えっと、後悔……しませんか?」

 震える声で念を押してみると、彼女は迷うことなくうなずいた。その上目遣いは狡い。既に風前の灯となっていた理性は完全に崩壊し、少し荒々しく彼女の唇を奪っていた。

 もう夢のようだった。手が届かない存在だと諦めていた彼女が腕の中にいる。ただ、初めての場所が仮眠に使うソファになってしまったのは申し訳なかった。それでも彼女は「帰りたくない」とかわいい我儘を言ってくれた。自分も同じ気持ちだったが、さすがにそれではダメだ。共に居ようと思うならばちゃんと筋を通さなければ。

 既に夜が更けていて、予定よりだいぶ遅い帰宅となってしまった。案の定心配したオイゲンさんは家の前で待ち構えていて、カミラさんに手を上げた。だが、悪いのは自分だ。その平手を彼女の代わりに受け、深く謝罪した。

「……君の事は信用している」

 何か思うことがあったのか、少しの間の後オイゲンさんはそう言うとカミラさんを連れて家の中へ入ってしまった。もっと何か言われるかと思っていたが、口数が少ない人だからそれで察しろという事だろうか? ともかく、もう夜も遅いので、また改めてビレア家には挨拶と謝罪にうかがった方が良いかもしれない。

 もう夜と言うか朝に近い時間だ。宿舎に帰って仮眠を取ろうとしたけれど、カミラさんと過ごした夢のような時間を思い出すと寝付けなくなってしまい、結局明るくなるまで眠ることは出来なかった。




 翌日もいつも通り仕事部屋に向かった。だが、ソファを見る度にカミラさんと過ごした時間を思い出して1人で悶絶してしまい、仕事ははかどらなかった。そんな中、ザムエル兵団長が報告に訪れた。春分節の翌日の業務は休みか午後からというのが慣例だ。だから朝からこうしてやってくるのはよほど重要な案件なのだろう。

「昨夜、領主館の敷地内への不法侵入で2人の男女を拘束した。雑貨屋の娘のロミルダと酒屋の息子ヨルンだ」

「ほう……」

 昨夜の2人組だ。あの時、物音に驚いて逃げ出したが、何だかの理由でまた戻ってきたところを巡回中の兵団員に見つかったらしい。現在は兵団本部で身柄を預かっているが、騒ぐばかりで取り調べもままならない状態らしい。

「ロミルダがウォルフ補佐官に会わせろと騒いでいまして……」

「は?」

 余程うるさく騒いだのだろう。ザムエル兵団長は困り果てた様子だった。

「何故、自分が?」

「彼女の主張だと、ウォルフ補佐官になら分かって頂けるらしい」

「さっぱりわからないんですが……」

 まったくもって意味不明だった。付き合う義理は無いのだが、困り果てている兵団長を見捨てるわけにもいかず、仕方なく兵団本部まで行ってみることにした。

「ああ、ウォルフさん、助けて。この人達が私を無理やりここへ押し込んだのよ」

 泣きわめいたせいか化粧が剥げて、ご自慢らしい容貌は見る影もない。そんな彼女は自分の姿を見るなりそう言って助けを求めて来た。全く理解が出来ない。

「自分達が何をしたか分からないんですか?」

「ウォルフさんがお仕事で忙しいから私、寂しかったんですの。そうしたらヨルンがどうしてもって誘うから付き合ってあげただけなのに……」

「は?」

 いや、誰もそんな事は聞いていない。ザムエル兵団長も立ち合いの兵団員もみんな絶句している。

「それだけなのに、こんなところへ閉じ込めるなんてひどいわ」

 本当に何をしたのか分かっていないのだろうか? 嘘泣きまでして悲劇の主人公ぶるとは大した役者だと思う。

「君達は領主館の敷地内にいた。これは不法侵入にあたる。罰金刑か反省が足りないようだったら禁固刑も加わるが」

「そんな……だってまだ工事中じゃない。それに居たのは私達だけじゃなかったわ!」

 具体的な刑罰を聞いたロミルダは青ざめていた。それでも自分が助かる方策を見出そうと躍起になっている様子だった。

「そうよ、カミラよ。あの子が男を連れ込んでいたわ。本性を知られて逃げ出していたみたいだけど、それこそ敷地ではなく館内に入り込んでいたわ。あの子の方が悪いのよ」

 本当に頭が悪い。思わず深いため息をついた。傍らのザムエル兵団長を見ると、彼も同様にげんなりとした様子で肩を竦めていた。

「一緒にいたのは自分です。正式な手順にのっとり、自分がカミラさんを招待したのです。ですから、彼女は法に触れることは何もしておりません。そもそもそんなことで貴女の罪がうやむやにはなりませんよ」

 気を取り直し、ロミルダにそう言うと、彼女は驚いた様子で目を見開いていた。

「何で……何であの子ばっかり……」

 これで観念したかと思ったのだが、どうやら逆に彼女は開き直ってしまったらしい。そして狂ったように笑うと、まくしたてる様にカミラさんへの恨み辛みを並べ立てた。聞いていて思わず手が出そうになったが、それはザムエル兵団長に止められた。

「この町で私は一番きれいなの! 私が一番目立たなくちゃいけないの! それなのに、それなのにあの子は……」

 彼女の家は町の中で一番大きな雑貨屋を営んでいる。その為、町の誰よりも早く流行の品を手に入れることができ、同世代の誰からも羨ましがられて優越感に浸っていた。しかし、竜騎士となったルーク卿が帰郷するたびにロベリアや皇都で手に入れた品々をお土産として持ち帰る様になった。それらはアジュガにまだ入ってきていない最先端のものばかりで、次第に話題はカミラさんに集まる様になり、ロミルダは悔しい思いをするようになったらしい。

「陰できっと私の事を笑っていたのよ。だから私も負けていられないから、みんなに言ったのよ。あの子は言い寄る男を手玉に取って遊んでいるってね」

 なるほど。噂の根源はこの女か。怒りで思わず拳を握りしめていた。ザムエル兵団長が声をかけてくれなかったら、今度こそ殴り飛ばしていたかもしれない。

「知っているか? 陛下が御即位前に皇都では皇妃様をおとしめるような嘘の噂が流されていた。当然、陛下は激怒された。噂を流していたのは貴族の奥方様だったと判明し、後に流刑に処せられた。こんなこともあったからか、故意に真実とは異なる悪意ある情報を流した者には厳罰を与える法令が出来ている。あんたがやったことは正にこれだ。労役刑は確定だな」

 気が付けば皇都で悪さをしていた頃の口調に戻っていた。もっともロミルダはそんな事よりも突きつけられた現実に真青になっていた。

「ルーク卿に全てを報告し裁可を仰ぐ。それまでここで大人しくしているんだな」

 そう言い残すとその場を後にする。もうこの女の顔は見たくなかった。その後、彼女の父親が保釈金を用意して迎えに来た。しかし、罪状が新たに加わったことにより彼女の身柄はすぐには解放できなくなっていた。そこで彼女の父親は方々に頭を下げ、ルーク卿へ嘆願し、ロミルダは婚約を破棄されて神殿へ送られることになった。女性ばかりでかなり規律の厳しい所らしい。おそらく、出て来られたとしても以前のような華やかな生活は望めなくなる。

 一方、彼女と一緒に捕まったヨルンは……。

「今は離婚はしないでいてあげます。あくまでこの子の為です」

 比較的大人しく聴収に応えた彼は、丸1日拘束された後、父親に保釈金を払ってもらって解放された。そんな彼を迎えに来たのは身重の妻で、そして気丈な彼女が彼の顔を見て開口一番にそう言い放った。

 人気のない領主館の敷地内で妻以外の女性と密会。更には相手に高価な贈り物までしていた。彼等がその場へ戻ってきたのも、落としてしまったその高価な贈り物を探しに来たためだった。離婚してもおかしくない状況だが、彼女はお腹にいる子供の為、あえてそれを選ばなかった。

「ありがとう……。やっぱり君だけだ」

「寝言は寝てから言ってください」

 彼の妻は容赦がなかった。彼女の父親は商店街の顔役で、食料品を扱う店を営んでいる。彼女自身も自分の店を持つのが夢で、結婚願望は特になかった。いつまでもフラフラしている息子にはしっかり者の奥さんが必要と判断した酒屋の店主に懇願され、仕方なく結婚に同意していた。それなのにこんな事が起ってしまった。

「貴方にはこの子が成人するまでキリキリ働いてもらいます」

 ヨルンは既に勘当されていた。そして彼の知らないうちに奥さんの実家で下働きとして働くことが決まっていた。給金の大半を慰謝料として奥さんへ支払い、生まれてくる子供が成人するまでそれを続けることになっていた。そして支払い終わった時に改めてどうするか協議することにしたらしい。改心してればよし、そうでなければ……。

 不法侵入の罰は罰金だけで済んだが、浮気の代償は非常に高くついたのだった。



ウォルフ編もう1話続きます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ