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群青の軌跡  作者: 花 影
第4章 夫婦の物語
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閑話 カミラ2

 秋になってルーク兄さんがアジュガと隣のミステル領の領主になる事が発表された。それにともない、私への縁談が以前にもまして増えた。元々受けるつもりがなかったので、両親にもルーク兄さんにも頼んで全て断らせてもらった。それなのに諦め悪くアジュガまで来て結婚を迫ってくる人もいた。

「雷光の騎士の妹とはお前の事か?」

 収穫祭が終わった翌日、一人の男が踊る牡鹿亭にやって来た。昨日までのお祭り騒ぎでこの日は夜からの営業となっていて、私は店の掃除をしていた。店のご主人と仕事に復帰したばかりのおかみさんは祭の後片付けに出かけていて、店の中にいたのは私だけだった。突然の事にどう反応していいか分からないでいると、男はつかつかと近寄ると私の腕を掴んだ。

「離してよ」

「それが夫に対する態度か? 少ししつけが必要なようだな」

「はぁ? あんた何言ってんの?」

 訳の分からない事を言う男から腕を振り払うが、それが気に入らなかったのかいきなり頬を思い切り叩かれた。その反動で床に倒れると、男は私にのしかかってきて更に暴力を振るおうと手を振り上げた。その痛みに備えて目を閉じたが、その手は振り下ろされることは無く、激しい音と共にのしかかっていた重みも無くなった。

「貴様、何をする!」

「それはこちらの台詞です」

 目を開けてみると、男は椅子やテーブルが散乱する床に尻餅をついていた。そして私を庇うようにウォルフさんが立っていた。

「ウォルフ……さん」

「大丈夫ですか?」

 彼の問いかけに小さくうなずいた。彼は少しだけ顔をほころばせると、立ち上がるのに手を貸してくれた。

「お前、俺様が留守の間にこの男と浮気をしたのか!」

「は?」

 私達の様子を見ていた男はウォルフさんを指さすと、私をにらみつける。しかし、私には見ず知らずの人に何でこんなことを言われるのか全く分からなかった。

「何か勘違いしているにしても、貴方の行動は犯罪です」

「平民が偉そうなことを言うな! お前らは俺様の言うことを黙って従え!」

 本当に訳が分からない。貴族だというには、この男が着ているものは粗末なものだった。ルーク兄さんやオリガお姉さんのおかげで、ここ何年かは高級品を目にする機会が増えたから物の良し悪しが大分わかる様になってきたが、恐らく男が着ているのは古着だろう。そんな風に冷静に観察できるようになったのも、ウォルフさんが私を庇ってくれて少しだけ心に余裕が出来たからかもしれない。

「貴族だろうと、平民だろうと、貴方がしたことは犯罪です」

「うるさい!」

 ウォルフさんの指摘に男は怒って椅子で殴り掛かって来た。背後に私をかばっている彼は、腕でその攻撃を受け止める。かなり鈍い音がしていたけれど、それでも顔を少しだけ歪めただけだった。男は更に椅子を振り上げて殴り掛かって来たが、騒ぎを聞きつけたザムエルさんや店のご主人が駆け付け、男はあっという間に拘束された。

 叩かれた頬の治療を受け、軽く事情聴収を受けただけで私は迎えに来てくれた母さんに付き添われて帰宅した。その日は痛み止めも兼ねた眠り薬を飲んで休んだけれど、翌日から私は外へ出ることが出来なくなっていた。

 出かけたい気持ちはあるのだけど、玄関の扉に手をかけると硬直して動けなくなってしまう。更にはあの事件の場面を夢で見てしまい、眠るときは薬が手放せなくなっていた。

 後日あの事件の顛末も報告してもらうことになっていたのだけど、とても同席できる状態ではなく、代わりに父さんと母さんが話を聞いてもらった。その後もその報告は聞く気になれず、結局聞いていない。そんな私を気遣い、家族も踊る牡鹿亭のご主人もゆっくり休んでいいと言ってくれて仕事は辞め、家事を手伝いながら家にこもる生活を送る様になっていた。

「えっと、その、これはお見舞いです」

 事件から数日後、ウォルフさんがお菓子を持ってお見舞いに来てくれた。と言っても彼の左腕は厳重な包帯で固定されていて、お見舞いに来てくれた人の方がよほど重症だった。

「ウォルフさん、腕……」

「ああ、これ? 折れちゃってました。ザムエル兵団長に言わせると鍛え方が足りないそうです」

 何でもない事の様にそう言って笑っていた彼の姿がとても眩しく感じた。その後もウォルフさんは忙しい仕事の合間に何度かお見舞いに来てくれた。申し訳ないと思いながらも、彼と過ごす穏やかな時間はとても心地よく、いつしか彼の訪れを楽しみに待つようになっていた。

 その一方で心無い噂も聞こえてくる。同情を誘おうとして演技をしているとか、実際は私からあの男を誘っていたといったことが面白おかしく吹聴されているらしい。そんな事を聞いてしまうと、やはりどうしても外へ出る勇気が出てこない。

「裏庭ならどうですか?」

 ウォルフさんの腕の包帯が取れた頃、彼からそんな提案を受けた。季節は既に冬の真っただ中。この日は吹雪いてはいないのでこの時期にしては比較的天気が良かった。

「が……頑張ってみる」

 厚手のコートに帽子と防寒具。久しぶりに外出する私に母さんはこれでもかというくらいに防寒対策をしてくれた。そんな私の手を引いてウォルフさんは裏口の扉を開ける。

「っ……」

 冷たい風に言葉が出ない。何よりも外の景色に足がすくむ。

「大丈夫。ここは君の家の敷地内だからよその人はいないよ」

 ウォルフさんはそう優しく声をかけてくれる。そのまましばらくの間硬直していたけど、その間ずっとウォルフさんは優しい言葉をかけ続けてくれた。そして、ようやく震える足で一歩、踏み出した。

「足元、滑るから、つかまって」

 ぎこちなく一歩を踏み出した私の体を転ばないように支えてくれる。そんな彼に縋りながら、たった数歩だけど私は何か月かぶりに家の外を歩いたのだった。

 その後もウォルフさんは来てくれる度に家の外に出る練習に付き合ってくれた。そしてそのおかげで冬が終わる頃には何とか近所を出歩けるまで回復していた。




「何か、お礼がしたいのですが……」

 春分節のお祭りが近づいてきたこの日、いつもの様に家に来てくれた彼に思い切ってそう聞いてみた。危ない場面を助けてくれただけではなく、その後も何かと気にかけてくれたおかげで以前の様にとはいかないまでも外出も出来るようになった。本当に彼には感謝するしかない。

「お礼と言われましても、もう十分していただいてますよ」

 ウォルフさんは困惑した様子で茶器をテーブルに置いた。ウォルフさんが家に来てくれるのは、仕事が一区切りした午後の時間。お昼を食べていないことが多いので、私が作ってご馳走していた。でも、これくらいではお礼にもならないような気がする。

「でも……」

「当然の事をしたのですから、気にしないでください」

 さわやかな笑顔で返されると、もうこれ以上言うことは出来なかった。結局、お礼の話はうやむやになったまま話題は間近に迫った春分節に変わった。代官を拝命しているウォルフさんは当然その準備に追われていて、当日も祭どころではないらしい。

「カミラさんはお祭りには行けそうですか?」

「人が多い所はまだ無理かな」

 近所なら出歩けるようになったけど、まだ人が多い所は無理だった。お祭りの雰囲気を味わいたい気もするけど、今年は家で大人しくしていた方が良いかもしれない。そう、思っていたのだけれど、やはり何か寂しい。

「ウォルフさんと一緒なら……」

 気が付いたらそんな事を口走っていた。すると彼は何か真剣な表情で考え込む。慌てて聞かなかったことにして欲しいとお願いしたけれど、彼の頭の中ではその算段を既に付けてしまっていた。

「大丈夫。何とかするから一緒に出掛けよう」

「でも、でも、お仕事が忙しいって……」

「無理にその日にしなければならない事ではないからね。何とかなるよ」

 結局、春分節の当日に2人で出かけることが決まってしまった。しかし、ウォルフさんも1日中休めるわけではなく、出かけるのは午後からとなった。そして当日、私は朝から念入りに身だしなみを整えて彼が迎えに来るのを待った。けれど、約束の時間になっても彼は来ない。

 やっぱり忙しくて無理だったとか、そもそもそんな約束をしたつもりはないとか、時間が経つにつれて悪い方へ考えてしまう。「少し落ち着きなさい」と母さんに窘められるほど、部屋の中をうろうろしてしまっていた。

「遅くなって、すみません。お迎えに来ました」

 余程急いできたのか、迎えに来たウォルフさんは息を切らしていた。仕事がなかなか終わらなかったのと、道中人が多くて遠回りして遅くなってしまったらしい。何度も頭を下げて恐縮していたけど、元々お仕事の予定だったのに私に付き合ってくれるのだから怒るのは筋違いだと思う。もっとも、さっきまで不安に駆られていたけれど。

「大丈夫? 辛かったら無理せずに言ってください」

 お母さんに見送られて私達は家を出た。大分外に出るのに慣れてきたとはいえ、家を出るのにものすごく勇気がいる。だけどウォルフさんが一緒だと、不思議なくらい大丈夫と思える。彼に手を引かれ、人通りが少ない場所を選んで進んでいく。この町に生まれ育ったおかげで、彼は一番人が集まっている広場を大きく迂回して移動してくれているのが分かった。

「このまま進んじゃっていいの?」

「うん。使用許可はとったから」

 やがて着いたのはまだ改装中の領主館の裏口。今日は春分節で工事もお休みなので、誰もいなくてひっそりしている。ウォルフさんは鍵を開けて私を招き入れてくれた。

「ルーク兄さんより先に入って、何だか申し訳ないかも」

「まだ出来上がっていないから大丈夫じゃないかな?」

「でも、こだわらない気もする」

「ああ、そうだね」

 領主館の中は怖いくらいに静まり返っている。ウォルフさんは私の手を引いてずんずん進み、2階へ上がるとそのまま通り抜け、再び外へ出る。見慣れたその場所は着場だった。ここなら広場の様子が良く見渡せ、仮設の舞台で演奏される音楽も聞こえてくる。周囲には人がいないし、特等席でお祭りを楽しめる場所だった。

「去年も忙しくて出向くことは出来なかったけど、窓からよく広場の様子を眺めて息抜きをしていた。この場所はザムエルさんから教えてもらったんだ」

 既に椅子が用意されていて、ウォルフさんに進められて席に着く。すると寒くないようにと暖かなショールを肩にかけてくれた。そしてどこからか持ち出してきた籠の中身を見せてくれた。

「踊る牡鹿亭のご主人が用意してくれたんだ」

 中にはミートパイや焼き菓子、それにホットワインまで入れてあった。踊る牡鹿亭のご主人は私がまた外に出歩けるようになってすごく喜んでくれていた。今日、出かけると聞いて張り切って用意してくれたらしい。その心遣いに感謝しながら、2人で祭の雰囲気を楽しんだ。




代官の立場を利用して改装中の領主館を通路代わりに利用するウォルフ。

彼もカミラにいい所を見せようと必死だったかも。

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