第8話
昼食を済ませた私達は、一息つくとすぐにミステルの町の視察へ出かけた。アヒムさんからは明日にしてはどうかと言われたが、今日は他に予定を立てていない。ミステルの滞在日数も限られているし、無為に過ごすのももったいと言ってアヒムさんを説得し、視察に出かけることになった。
先ずは町の外れにある小神殿へ向かう。町の目抜き通りを走る馬車の窓から見る限りは、砦の近くは店も多く、賑わっている様子だった。しかし、少し中心部から離れると急激に建物はみすぼらしくなり、人通りが少なくなる。
「まだ、ゴミが散らかっていないだけましになったよ」
「そうなの?」
ルークの話だと、昨秋に来た時はごみごみしていて異臭がひどかったらしい。ただ、人を雇って片付けようと思うと時間も費用もかかってしまう。そこで住民に定期的にごみを集めさせ、その集めたごみを食料や日用品と引き換える事にした。実はこの手法、フォルビアでヒース卿がとっておられた手段を真似させていただいたらしい。
実行するにはいろいろと問題があったけれど、この辺り一帯を牛耳っている頭目を味方につけたおかげでその問題を一つずつ解決していった。不正をしようとする者がいたりしてまだ問題は残っているものの、町が綺麗になったのは大きな成果と言えるかもしれない。
そんな会話をしている間に小神殿に到着した。隣にある孤児院の子供達が敷地の外から馬車を物珍しそうに眺めているのが見えた。先に降りたルークの手を借りて馬車から降りると、神官長らしい年配の男性が私達を出迎えてくれた。
「ようこそおいでくださいました、御領主様、奥様」
「御領主様はむず痒いので止めて下さい」
「そうは仰られますが、けじめは必要ですぞ」
神官長に窘められたルークは苦笑しながら私に神官長を紹介して下さった。フォルビア大神殿のトビアス神官長のご推薦で来て下さったらしい。改めてご挨拶を済ませ、先ずはお参りを済ませることとなった。
祭壇にささやかな供物と花を供えて祈りを捧げる。神官長のありがたいお話に耳を傾け、いよいよ今日の一番の目的である孤児院へ向かった。
「騎士様だ」
「いらっしゃい、騎士様」
「騎士様、騎士様、あのね……」
「騎士様、きれいなお姉ちゃんはだあれ?」
ルークの姿を見て子供達が一斉に話しかけてくる。昨秋に訪問した折にすっかり人気者になっていたらしい。彼は集まって来る子供達挨拶をして彼等の頭を撫でている。
「彼女は俺の奥さん。みんなに会いに来てくれたんだよ」
「会えるのを楽しみにしていたわ。よろしくね」
ルークが私の事を紹介すると、彼等は私にも寄って来る。かがんで彼等と目を合わせ、ルークがしたように私も挨拶をして頭をなでる。集まって来たのは、どちらかと言うと女の子の方が多い。比較的装飾を抑えた外出着を着ているのだけど、興味津々であしらわれているレースやリボンを触っていた。おしゃれが気になるお年頃なのかもしれない。
挨拶が済み、子供達に促されて屋内へ移動していく。ルークだけでなく同行してくれているアヒムさんや護衛のザムエルさんにも子供達が群がり、中へ行こうと手を引かれていた。そんな中、1人の少年をルークは捕まえた。
「カイ、もうやっちゃだめだと言っただろう?」
「ちぇっ、やっぱ兄ちゃんには敵わないや」
ルークに注意された男の子が手にしていたのは財布だった。それを見てギョッとしたのはアヒムさんで、ルークはその男の子カイ君に謝らせて財布を返却させた。
「い、いつの間に……」
「油断するなと言っただろう」
内乱前、ここにいる子供達はゴミだらけの町の中で生活していた。砦にいる兵士相手の酒場が多く、そこで働いている女性はお金を稼ぐために体を売ることもあると言う。避妊もほとんどしない為、望まぬ子供が出来る結果となっていた。
経済的に余裕がないため、子供が生まれても孤児院に預けるか放置するしかない。中には頑張って養おうとする人もいたが、がんばりすぎて親が倒れてしまい、結局子供は孤児院へ預けるしかなくなってしまう事も多い。だが、その孤児院も常に満杯の状態で、ある程度の年齢になったら追い出されてしまう。そしてそんな子供達は、寄り集まってスリや窃盗で生きながらえて来た。
内乱後、前領主が更迭されてミステルは国の管理下に置かれた。そしてこういった孤児達の問題を解決するためにこの孤児院は建てられた。しかし、子供達から信用を得られず、なかなか保護が進まない状態だった。
それが昨秋、ルークが視察で来た折に精力的に働きかけた結果、多くの子供達の保護に成功した。一帯を牛耳っている頭目に気に入られ、協力してもらえたことが大きかったらしい。何よりも彼の人柄が信用を得られた一番の決め手だったかもしれない。
先ほどルークに怒られていたカイ君は最後に保護された集団の頭で、彼等にとってはスリや窃盗は生きるために必要な手段だった。そんな生活をしていた彼等に孤児院にいればもうそんな危険を冒さなくていい事と、もう他人の物を取ってはいけないと言うことを分からせるのに随分苦労していると聞いている。
「こっちにね、お部屋があるの」
孤児院の責任者をしている年配の女神官と子供達のお世話の手伝いをしている女性達に迎えられてお屋内に入ると、私は女の子達に手を引かれて女の子達のお部屋を見せてもらった。ルーク達は反対側へ引っ張って行かれたので、そちらには男の子達の部屋があるのだろう。
1部屋に6人が寝られるように作られた部屋が6部屋あり、更にもっと小さい子達のための部屋もあった。整理整頓は自分達でするようになっていて、自分の寝台の周囲だけは好きなものを飾れるようになっていた。
どこかで拾ってきた綺麗な小石や、自分で作ったらしい小物を飾っている子もいた。上手に作れていると褒めると嬉しそうにしていたので、こうやって物を作るのが本当に好きなのだろう。
「男の子の部屋はいつも散らかっていて、神官様によく怒られているの」
内緒話をするように女の子達が教えてくれる。その他にも、ご飯がちゃんと食べられることや、お勉強ができるのが嬉しいと言う子もいる。中にはお勉強は嫌いと言う子もいるけれど、ここでの生活は楽しいようで、どの子の表情も明るい。
ただ、まだこの子達の先行きは明るいものではない。だからこそルークは、文官や学者になるための高度な学問ではなく、なりたい職業に適した技能を学べるような学問所を作りたいと決意したのだ。先ずはミステルやアジュガに住む子供達を対象にし、問題が無ければ他領からも受け入れるようにしたい。昨秋、視察から帰って来た彼は、私やサイラス達にそう熱く語ったのだ。
一通り女の子達の部屋を見て回り、最後は食事室へ向かった。この建物で一番大きな部屋で、この部屋でお勉強も教えてもらっているらしい。ちょうど男の子達の部屋の見学を終えたルークも一緒になる。私達は子供達に促されて食事室の中へ足を踏み入れた。
「これね、みんなで描いたの」
食事室の壁には「ようこそ」の文字と花や鳥などいろんな絵が描かれた大きな板が飾られていた。中には何の絵か分からないものもあるけれど、私達のために一生懸命描いてくれたのだろう。
「上手ね」
「一生懸命描いてくれたんだね。ありがとう」
2人で褒めると、子供達は恥ずかしそうにしながらも喜んでいる。カイ君を筆頭としたやんちゃな男の子達も照れているのか、「に、兄ちゃんの為に描いたんじゃないからな」などと憎まれ口を言っている子もいたけれど。
その後、私達は用意されていた椅子に案内され、その正面に子供達がずらりと並ぶ。そして子供達を代表して一番年上らしい女の子が一歩前に進み出素。
「御領主様、奥様、今日はご訪問下さりありがとうございます。これからみんなでダナシア賛歌を歌うので、聞いて下さい」
孤児院を任されている年配の女神官の合図で覚えたてと思しきダナシア賛歌を歌う。歌詞が怪しくてごまかしている部分もあるけれど、皆一生懸命に歌っていた。私とルークは歌い終わった子供達に惜しみない拍手を贈ったのだった。
子供達の歌を聞いた後は女神官や手伝いの女性達と話をすることになっていた。子供達は一緒に遊びたそうにしていたけれど、これも大事な事なので我慢してもらうしかない。代わりにザムエルさんが相手をすることになり、彼は困った様子で子供達に追いかけられていた。
「私共の力が及ばず、申し訳ありません」
先ずはアヒムさんの財布の件で女神官がそう言って頭を下げる。当のアヒムさんは驚いていたが、財布は無事に戻って来たので気にはしていない様子だった。
「その意識を改めるのには時間がかかります。貴女が謝られることではありません。他に困っている事はありませんか?」
ルークはそう言って女神官を宥め、少し話題を変えて孤児院全体の問題について尋ねた。
「まだ幾分か余裕はございますが、つい先日も食べさせてやることが出来ないからと言って親に連れてこられた子もいます。遠からず、ここも受け入れられない日が来るでしょう」
孤児院ならご飯も食べられるし勉強も出来る。そんな評判を聞きつけて最近では子供を預けに来る親が後を絶たないらしい。このような状況になるのも、収入が無くて困窮する家庭が多いからだ。根本的に解決するには、領民の収入をいかに増やすかが問題になって来る。当面は国から受けられる補助金でどうにかしていくしかない。
幸いにして私達はそれぞれが仕事を持っていて、当面は税収が少なくても生活に困る事は無い。時間はかかるかもしれないが、補助金を領民の為に生かしていけばきっとミステルも豊かになるだろう。
他にも細かい要望などを聞き取り、最後に今後の運営資金を手渡した。女神官は感謝して受け取って下さった。これで今日の用向きは終わり、外に出ると子供達に振り回されたとみられるザムエルさんがげっそりとした様子で迎えてくれた。
「鍛錬よりもきついぜ……」
「そうか。待たせて済まなかった」
汗だくのザムエルさんにルークは労いの言葉をかけているが、笑いをこらえきれていない。一方の子供達はまだまだ遊び足りないらしく、帰ろうとする私達を引き留めようとする。
「もっと遊びたい」
「ねぇ、ねぇ、お話聞かせて」
そんな子供達に女神官は「ご無理を言ってはだめよ」と窘めている。それでも不服そうな子供達に私達は屈んで向き直る。
「今日はもう時間が無いから帰るけど、また近いうちに来るから、その時にまた遊ぼう」
「今度来た時には材料を持ってくるから一緒に何か作りましょう」
そう答えると「本当に? 約束だよ」と言って子供達は笑顔になった。ルークと私も笑顔でうなずき、改めてまた来ることを約束して馬車に乗り込んだ。そして精一杯手を振る子供達に見送られて孤児院を後にした。




