第8話
貴重な昼飯は台無しになってしまったが、それでもまだキイチゴの包みは死守していた。気を取り直して腰を掛けると、恐らく今年最後となるだろうキイチゴを1粒口に放り込んだ。
「もしかして私が驚かしてしまったからか? すまない。代わりにこれを」
一連の行動を見ていた竜騎士が問いかけてくる。どう答えていいか困っていると、彼は自分が持っていた袋の中身を差し出してきた。それは薄焼きのパンにはみ出すほどあぶり肉と野菜を挟んだものだった。
「えっと……」
こんなご馳走もうしばらく食べていない。口の中にたまった唾液を思わずゴクリと飲み込んだ。どう答えるか迷っている間に彼は次の提案をしてくる。
「それならこうしよう、そのキイチゴを半分分けてくれないか? それと交換にしよう」
「は、はい……」
俺が頷くと、彼は袋ごと手渡してくる。俺が受け取ると、彼はキイチゴを律義に半分だけ取っていった。どうしようか迷ったが、今日はこんなご馳走にありつけるので、残りのキイチゴは寛いでいる相棒の口に放り込んだ。彼にしてみれば一口分にも満たない量だが、嬉しそうにゴクンと丸呑みしていた。
改めて袋の中身を確認すると、中には肉を挟んだパンが3つ入っていた。相手の顔を恐る恐るうかがうと、彼は頷き返したので、俺は宝物を扱うようにそうっとパンを取り出してそれにかぶりついた。あふれ出る肉汁と野菜のシャキシャキとした歯ごたえに感動を覚える。気づけば3つともあっという間に食べきっていた。
「気持ちいいくらいの食べっぷりだな」
キイチゴを上品に摘まんでいた竜騎士が苦笑する。そのしぐさの一つ一つが洗練されていて、高貴な身分の出身だと推測できる。加えてその身に纏う竜気から間違いなく上級騎士だと分かる。
「あの、俺は第2騎士団で見習いをしているルーク・ビレアと言います。ありがとうございました」
「……クラウスだ」
彼は短く名乗ると礼は不要だと言い添えた。昨年俺を助けてくれたリーガス卿と同じ第3騎士団に所属し、今日は少し足を延ばしてこちらまで見回りに来たらしい。第2騎士団では下端に押し付けられがちな仕事だが、精鋭ぞろいと噂のある第3騎士団では上級騎士も動くんだなと感心した。
予想外の訪問者がいたからか、いつもよりのんびりしすぎてしまった。そろそろゼンケル砦に戻らないと、ゴットフリートから何を無茶振りされるかわからない。俺はクラウス卿に改めて礼を言うと立ち上がる。すると彼も帰還すると言って脱いでいた騎竜帽を手に取り立ち上がった。
目上の相手を優先させるいつもの癖が出て、クラウス卿の相棒をなだめて彼の装具を確かめる。歴戦の猛者なのだろう。体もエアリアルよりはるかに大きく、纏う雰囲気に圧倒されそうになる。それでも気位の高い大地の力を持つ飛竜は俺が頭をなでると気持ちよさそうに喉を鳴らしてくれた。
「驚いたな。初見の相手に私の相棒がここまで気を許すのは珍しい。本当に興味深い」
その様子を見ていたクラウス卿は驚いた様子で目を見張る。飛竜はそんな騎士に頭を擦り付けて甘え、彼はひとしきりその頭を撫でてからその背に跨った。まるで絵のような光景に俺は思わず息をのむ。
「叙勲された暁に、君にその気があれば第3騎士団に来ないか? 歓迎しよう」
ホルスト団長が俺を本当に昇格させるつもりがあるかどうかはまだわからないが、正式な竜騎士となれば所属する騎士団を選ぶことができる。思わぬ勧誘に俺は思考が停止する。突っ立っていると、飛竜の背に跨ったままのクラウス卿に肩をポンと叩かれた。
「まあ、考えていてくれ。休憩中に邪魔して悪かった。それでは、またな」
彼はそれだけ言うと、飛竜の向きを変えて飛び立たせた。俺はその姿が見えなくなるまで騎士の礼で見送った。
気づけば日没まであとわずか。俺は急いでエアリアルの装具を確かめると、全力でゼンケル砦を目指した。着いた時には既に日が沈んでいたが、幸いにしてゴットフリートは留守にしていた。俺が南砦に出かけている間仕事を肩代わりしてくれている使用人によると、南砦の友人が来て一緒に出掛けたらしい。
俺はホッとしてエアリアルの世話を済ませると、押し付けられている通常業務を始める。お昼に食べたご馳走のおかげで今日は力がみなぎっているので仕事は非常にはかどった。そしてその日はゴットフリートもいなかったおかげで、珍しく平和に1日を終えることができた。
その年の討伐期が始まるまでの間に俺はあの泉で2度ほどクラウス卿と会った。他愛もない会話をしながら、俺の事を気に入ってくれた彼の相棒にブラッシングをすると喜ばれ、そのたびにお礼と称して昼食をご馳走してもらった。今にして思うと、餌付けされていたようなものだ。
一方、討伐期を前に、南砦からゴットフリートの友人の竜騎士ヨーナスが俺の指導役兼監視役に任命されてゼンケル砦へ移動となった。討伐期に入れば、南砦へ通うだけでも危険を伴う上に、俺への指導どころではなくなるからだ。あの、暴力を受けるだけの訓練をせずに済むと思って安堵していたが、ヨーナスは容赦がなかった。ゴットフリートと2人がかりで俺を打ちのめし、反撃すら許さなかった。時には南砦から伝文を運んできた別の竜騎士も加わって俺を甚振るのを楽しんでいたのだ。
俺への指導という名の暴力を楽しんだ後は、揃って出かけるのがお決まりとなっていた。飲みに出かけているのだろうとこの時は思っていたが、ゴットフリートは春頃から賭博にはまっていたらしい。もちろん、それで儲かるはずもなく、ゼンケル家は借金を抱える様になっていたらしい。そして気づけば見知った使用人のうち何人かはいつの間に解雇されていなくなっていた。
その事実を俺が知ったのは討伐期に入って間もない頃だった。彼等の留守中に金貸しが取り立てに来たのだ。ゴットフリートは留守だと告げると、彼等は俺に手紙を渡すよう言って去っていった。この時に中身を確認しておけば結末はもう少し変わったものになっていたかもしれないが、勝手に開けることができずに手紙はそのまま外出先から帰って来た彼に手渡した。
それから数日、南砦からくる竜騎士も交えてゴットフリートとヨーナスはいろいろ話し込んでいた。おそらく借金返済について話し合っていたのだろう。その間、俺は伝文を押し付けられて使いに出ていたので、話の内容までは知る由もない。討伐期は免除されるはずの南砦の竜騎士が運ぶ伝文まで押し付けられ、俺は最も妖魔が出没する厳冬期に1日外を飛び回る羽目になった。
更に間の悪いことに、皇都郊外での討伐で騎士団の総団長を勤めていたハルベルト殿下が負傷し、相棒の飛竜を失う事件が起きたのだ。それに伴い、情報が錯綜して厳冬期にも関わらず多くの伝文が飛び交っていた。おかげで俺は毎日のように飛び回ることになってしまったのだ。
「おい、仕事だ」
妖魔討伐の最盛期を過ぎたその日、使いを終えてようやくゼンケル砦に戻ってきた俺にヨーナスからまたもや伝文を押し付けられた。今日はゴットフリートの友人2人が南砦から来ており、用事があるから代わりに行って来いというのだ。伝文は南砦発のものばかり3つもあり、しかも行先はばらばらでゼンケルとは明らかに逆方向のものもある。時候がいい時でも往復に半日以上かかる距離がある。
「少し、休ませてください」
「お前に口答えする権利はない」
実のところ、ここ3日程まともに眠っていない。しかも夜中飛んでいたので、俺もエアリアルも体が冷え切っていた。とても無理だと訴えたが、俺が反抗したのが気に入らなかったらしい。ヨーナスに制裁と称して殴られ、それを見ていたゴットフリートも加わった。
ガァァァ!
エアリアルが俺を救おうと暴れるが、俺が殴られている様を笑いながら見ていた2人の竜騎士が抑える。いつかの様に助けられることなく、俺はひとしきり殴る蹴るの暴力を受けた。
「さぼるなよ」
ヨーナスは起き上がれずにうずくまったままの俺に伝文が入った書簡筒を投げつけると、他の3人と共に飛竜で出かけて行った。
クウクウクウ……
解放されたエアリアルが心配そうに俺に頭を擦り付けてくる。俺はその頭を抱え込んで、体の痛みが引くのを待った。その間、相棒はずっとクウクウと鳴き続けた。
本当はこのまま寝床へ倒れこみたい。けれども、伝文をこのまま放置していたら、後で間違いなく今以上の暴力を振るわれることになる。俺は這いつくばるようにして散らばった書簡筒を拾い集めると、エアリアルの背によじ登った。
「とにかく行ってこよう」
慣れているはずの相棒の背に座っているのも辛い。普段は使わない騎乗帯を体に巻き付け、飛竜の首にしがみつくようにして相棒を飛び立たせた。
昨夜から続く吹雪はまだ完全に収まっていなかった。擦り切れた外套では完全に寒さをしのげず、更に古びた毛布を体に巻き付けた。寒い。けれども、発熱しているのか体は妙に暑かった。そのうち寒いのか暑いのかもわからなくなっていた。
クオーン……
相棒の悲し気な声を耳に、そのまま俺の意識は闇に飲み込まれていった。
1人でお忍び中だったのでセカンドネームを名乗ったクラウス卿。
色々と情報が足りていないルークは全く気付かず、彼に餌付けされています。
ルークの過去編、いよいよ大詰め。




