軽薄な動機、深奥の陰謀
よんどころない事情により一部キャラ改名です。よろしくお願いします。
石と鉄格子に囲まれた一室。
その男は鎖に繋がれて地べたに座り込んでいた。
「――起きろ偽勇者」
低く小さく、しかし無視できない異物の声。看守のような匹夫ではない、真に畏怖すべき存在が男の目の前に現れている。
どんな願いをも叶え得るチカラを一瞬で彼から奪い去った、魔王を名乗る男だ。
「……あんた、俺を笑いに来たのか、魔王サマとやら?」
「む。私がそんなにも暇に見えるか? それは心外だが」
幽玄であり強面の表情からは決して予想ができないだろう随分と間の抜けた言葉が罪人の耳を掠めた。そのこそばゆさに彼は、顕在化している恐怖とは全く無関係に、無意識的に鼻を鳴らしてしまう。
「――知らねぇ。俺はあんたとは初対面だ。ただ、俺はもっと恐ろしいモンを見ているってだけ。十年前がどうだったか興味もねぇが、魔王サマってのはそんな市井にホイホイ転がってんじゃなくて、もっと人智を超越した深淵に潜んでいるモノのはずだろう?」
「……その深淵に潜むという輩が、お前に【星の鍵】の欠片を渡したのか」
イベルスは一つ確信する。
この偽勇者は魔なる存在と接触し、何らかの取引をした。【星の鍵】のチカラが私の手許から消えて戻らないのは、恐らくその黒幕の存在が関係しているのだろうと。
「【星の鍵】だか何だか知らねぇが、確かに俺は奴からチカラを受け取った。十年前の勇者の遺品を目当てに魔界で盗掘をしていた俺の目の前に、奴は突然現れたんだ。恐ろしい空気だった。全身黒い巌のようなものを纏っていて、息をするだけでも全身がヒリヒリと痛むような、そんな雰囲気だった」
「……魔族か」
この世界には魔物が存在する。そして、一部の魔物が知恵を手に入れて驚異的な成長を遂げた者は魔族と呼ばれている。イベルスが魔王だった十年前よりももっと古の時代から、魔物と魔族、魔界という現象は存在している。
勇者ウィアムとの最後の戦い以降、魔界は縮小の一途を辿るものの、未だにチカラを維持し続ける魔族も少なくはない。
「死ぬ覚悟はいつでもできていたが、コイツに殺されるのだけは嫌だと思った。頭がおかしくなって、俺はみっともなく叫んださ。俺が何をした、薄汚く生きる以外に俺に何の選択肢があったって。……そうしたら俺は白い炎に包まれていた。奴が言うんだ、望みを叶えてやる、理不尽な運命を強いた人間に、勇者の築いた世の中に一矢報いるだけのチカラをくれてやるって」
「……その結果、お前は勇者ウィアムの姿となっていた、そういうことだな」
「いやぁ、楽しかったぜ? 今までの境遇も何も気にすることなく、十年前のあの勇者になって大暴れできるってんだ! まぁ、そう思った矢先にこのザマだけどな。ま、因果応報、しょうがねぇ。どうせあっても無くてもどうでもいい人生だもんな」
鎖を鳴らし、枷を嵌められた腕を持ち上げる。諦めることを強いられ続ける人生なら、夢が破れたところでマイナスになることは無い。ゼロに戻るだけだ。
「……私の勝手な都合でお前の夢を終わらせてしまったのだな。悪く思ってくれて構わない」
「え、いやいや、別に悪いだなんてそんなことは思ってねぇよ」
「そうか? なら、お前さえ良ければもう一つ訊ねることがある」
やけに低姿勢な魔王に、罪人は呆気にとられる。散々悪態を付いたと言うのに、奴の調子は全く変わらない。なるほど人間に興味を持たないその超然さは、魔王という言に信憑性を持たせる振る舞いではあった。
「名前は何だ?」
「……へ? ああ、俺の名前はトルマリだけど――」
「そうじゃない。お前に【星の鍵】を渡した魔族の名前だ。私の予想が正しければ、奴は必ず名を名乗るはずだ」
ああ、そういう。超然としていると思ったが、単に天然というか、会話に慣れていないだけの可能性が出てきた。
トルマリはまた鼻で笑いそうになるのを堪えて、暫しの後に息をついて答える。
「――奴の名前はカノプス・アガスティア。真の魔王、だそうだ」