魔王と偽勇者、星の鍵
元々は異世界転生ものでしたが大幅に構想を変更しました。実質タイトルだけ同じの別作品です。
ま、そんなことはどうでもいいのです。よろしければ適当に眺めてくれると嬉しいです。
ふらりと立ち寄った街は、厳かな色に包まれていた。
すれ違う老若男女は、布質こそ異なれど、皆黒を基調とした衣服に身を包んでいたのだ。
「十回忌ね―――」
この街、だけではない。
ヒトの集落であるなら、およそどこへ行っても喪服を見ることになるに違いない。それほど、今日という日は彼らにとっても重い意味を持っていた。
「―――いや、勇者様は不滅さ」
「あなた、また言ってるのね」
「ゆうしゃさま?」
「―――そう、今日は勇者様が魔王と勇敢に戦った日なんだよ。パパ達を助けてくれた勇者様がいつでも帰ってこられるように、年に一度お祭りをするのさ」
赤褐色の岩でできた道路、市場に盛られる青々とした野菜、飾られた鮮やかな花々。どれもこれも晴天に負けず劣らずの朗らかな輝きを放っている。
「―――おっと」
「きゃ、ごめんなさい! ふふっ」
ヒトの表情に浮かぶのは希望の色だった。死者を悼むにしては少々賑やかすぎるくらいの、平生よりも活力に満ちた営みがそこにあった。
「―――待ちなさい」
「え?」
「もう少し前方に注意して歩くんだ。折角のケーキが潰れてしまっては、勇者様に申し訳が立たないだろう?」
「……はい!」
今、頭からぶつかってきた少女も例外ではなく、浮かれ切った微笑には反省が入り込む余地など無いだろう。きっと三秒後にはぶつかったことも忘れる。
だが、それでいい。今日のような大らかな日々を守るために奴が命をかけたのなら、私にはこれを咎める資格は無い。
「た、大変だ! 勇者様が帰ってきた!」
その一声が響き渡ると、街は一度静まり返る。
「おい、本当か? 証拠はあるのか?」
「あぁ、確かだ。あの日と同じ剣と鎧を身に纏っている!」
「本当に……本当に勇者様、ウィアム様が戻られたのか?」
戸惑いの波は次第にざわめきから喧噪へと変調する。
「その通り! ウィアム・オラトリアはここに凱旋した! 勇者は英雄となって帰ってきた!」
空から声が降り注いだ。陽光はその黒点を膨れ上がらせ、瞬く間には翼のある影が街の広場に映し出されていた。
竜とそれに騎乗する男が、地面に舞い降りたのだ。
「勇者様!! 勇者様ァッ!!」
「生きていらっしゃったのですね!!」
「ハッハッハ! いいぞいいぞ、俺に祝杯を挙げるんだ!」
期待と疑念の声は歓喜となって突沸する。黒い人々の流れは勇者の姿とその竜を取り囲む渦となって怒涛する。
信じて祈り続けた淡い希望の星が現実になったのだ、喜ばない方が困難、というものだろう。
「あ、あの、勇者様」
街全体が狂乱する最中、勇者に声をかける者がいた。
菓子の入ったボックスを両手で抱えた、先程の少女が黒い波に押されつつ、懸命に声をかけていた。
「……ん? 君は―――」
幸運だったか、その幾らか整った容姿のお陰か、少女の存在は勇者の目に留まった。
「私のこと、覚えていますか?」
少女はいっそう晴れやかな笑顔を見せて言葉を続ける。
彼女もまた勇者によって運命が変わったのだろう。己を個人として承認してほしいというのは些か贅沢な要求かもしれないが、十年間この日を耐え忍んでいた者にとっては確かに報われるべき思いだろう。
「―――美しい君、勿論覚えているとも。今夜、俺の冒険譚を聞かせてやるよ」
かの者が少女を覚えていることは無かった。だが、それ以上に世界を救った英雄に見初められることはこの上ない幸運と言えるだろう。彼女の望んだ形では無いが、それは承認に他ならないのだから―――。
「違う、ウィアム様じゃない」
少女は後退りをしていた。幸福な微笑みは失せて、青ざめた視線が勇者の姿に向けられていた。
「……ハッハッハ、十年は長いから君の印象と違う部分はあるかもしれないな」
「こ、こら、失礼よ。折角勇者様が良くしてくれるっておっしゃっているのに」
「緊張しているだけだろうよ。当たり前だ、勇者の俺だって緊張しているんだから。それで、君の名前を聞いてもいいかい?」
竜に跨ったまま、勇者は少女へと距離を縮めていく。勇者に気に入られた少女の身柄は無辜の市民達に抑えつけられ、その場から逃れることはない。
「ガキには分からんと思うがこれは間違いなく勇者様の剣と鎧だ。ほら、ちゃんとご挨拶をするんだ!」
「そんな……ウィアム様が私を忘れるはずない、だって私は―――」
少女は訴える。目の前の男が偽者だということを訴える。罪があるなら悔い改めよう、喜んで罰を受けてこの身を汚そう。では己の罪は何だ。十年も昔に亡くなった者の生還を愚直に信じ続けたことか? ではどうして己だけが罰されるのか?
どうして、どうして誰も勇者が偽者だということに気付かないのか?
「奴は勇者じゃない」
たった一瞬の出来事が、狂乱を静寂へと変貌させた。
「っ―――」
ズシャリと生々しい音と共に、血みどろになった勇者は地面に打ち付けられていた。
跨っていた竜の体躯が両断されて、返り血を大量に浴びたのだ。
「いや、今更になってウィアム・オラトリアの名声を得ようとした、勇敢さ、いや無謀さは確かに勇者に負けず劣らず、というところだな」
血溜まりに刺さった槍を私は抜き取る。投げつけた槍がヒトに当たった痕跡は無く、竜、いや魔なるモノを絶命させたに留まっていた。
「……君、いや、お前。勇者の凱旋を血で汚すなんて、一体どういうつもりだ?」
勇者を名乗った血塗れの男は私に問う。微笑は崩さないでいるが、既にその目には激しい嫌悪が見え隠れしていた。
「どうも何も。お前は勇者じゃないだろう? 姿形は確かにウィアムのものだが、明らかに偽者だ」
「……言いがかりだな。俺が勇者だということはこの街の全員が証明しているじゃないか」
この期に及んでシラを切る男に、憐れみとも蔑みとも付かない嘆息をせざるを得なかった。
「この街の全員に、私とその娘は入らないらしいな」
「ハッ、それはご愁傷だ。だったら力づくで納得してもらうしかないな」
勇者は剣を抜き放った。白く染まった刀身が私に向けられ、間もなくそれは振りかぶられた。
「挨拶も無く不意打ちとはな。奴にしては少々器用が過ぎるなぁ」
黒槍は勇者の渾身の一撃を受け止め、火花を一輪咲かせる。ぎりぎりと鋼は擦られて、槍の柄ごと私を叩き切ろうとする。
「降参するなら今のうちだぞ、槍野郎」
「確かに、いつまでも続けては疲れてしまうな。……では、その前に一つ質問に答えてもらおうか」
バックステップで後退し、私は距離を取る。男は逃すまいと突進し、再び剣を構えた。
「私に覚えはあるか、勇者?」
「ハッ、知るかよ! 覚えてほしけりゃ有名になって出直すんだな!」
「そうか、有名にか」
重い一撃により、ガキンと鋼が鳴らされる。黒槍の穂先を歪ませんとする渾身がのしかかるが、紳士たるもの、笑顔を崩す訳にはいかないだろう。私は涼やかに受け止める。
「……ここだけの話だがな、私は【魔王】なんだ」
目の前の仇に私は囁く。
「十年前、我が城でウィアムと何日にもわたる一騎打ちをして、勇者を亡き者にした張本人、それが私だ。だから、私もウィアムについては一家言あるのさ」
「ハッ、嘘をつくならもっとマシな嘘をつけよ。魔王は勇者と相打ちになったはずだ、そうだろう?」
「おや、今日は凱旋なのだろう? 相打ちという表現は不適切じゃないか?」
「……口だけは回りやがる!」
男は更に踏み込み、剣を横薙ぎにしようとする。しぶとく受ける黒槍をねじるように払い除け、力任せにこじ開けようとするつもりだったのだろう。
だが、戦局は偽りの勇者の目論見とは異なる方へと動いた。
「な……何だこれは」
黒槍に競り合った聖剣が、その火花を受けた鎧が、それを身に纏う彼の姿が仄かに白く輝いたかと思えば、瞬きの後にその光は彼と周囲のヒトの目を眩ませた。
「【星の鍵】の欠片。どうやって手に入れたかは知らんが、相手が悪かったな、私にはその幻は効かない」
燦然と輝いた男の身体からは白い炎が上がり、瞬く間に全身を包み込む。
「なッ、ぐぁああああッ」
「案ずるな、身まで焼くことは無い」
炎は男の纏う幻影を灰に還す。幻影を構成していた【星の鍵】の欠片という、熱気にも似たそのチカラは元あるべき黒き穂先へと吸い込まれていく。
白き炎が残らず回収されると、そこに勇者の姿は無く、全く顔貌、装備の異なる男が崩れ落ちていた。
「勇者様じゃ……ない?」
「やっぱり今年も戻ってこなかったのか」
「じゃあコイツは俺達を騙そうと? けしからん奴め!」
当然だ。勇者ウィアムが私に遅れを取る輩では無いことくらい、私が一番分かっている。
【魔王イベルス】はあの日勇者の全力に応えて持てる力を全て解き放った。出し惜しみなどできる状況では無かった。あの刹那に垣間見た精神の極限、光と闇、剣と魔、鍵と錠がぶつかり軋む興奮は幾星霜経てど薄れることは無い。
互いの立場をも忘れて純粋に力をぶつけあう愉悦がそこにあった。奴とせめぎ合うことで、生まれて初めて、魔王としての己では無く本当の自分にすら向き合う事ができた。そう、奴は私の運命だった。あの一瞬は永劫に続くものだと、壁を突き破って城外に弾き飛ばされるまで私は確かに信じて疑わなかった。
故に、あのように軽率に勇者を騙りその誇りを汚そうとするものがいるならば私は容赦なく暴き立てよう。今や【星の鍵】は失われ、魔王からも零落した私ではあるが、今もかつてもこれだけは一つも譲るつもりは無い。
―――そして、万が一に奴が本当に生きているのだとすれば、真っ先に私が出迎えて、あの十年前の続きを。それがただ一つの望みである。