File.7 暗闇への出撃
ブリーフィングを終えたクリスタ達は各々の機体へと駆けていく。深紅のクレイバード、そのコクピットに乗り込み、整備員とともに最終チェックを済ませた。
全て滞りなく完了し、待機位置まで移動する。カミラが先頭、バルテス、エドガーと続いてクリスタが最後だ。
ヘルメットや酸素マスクを確認した後、クリスタはうなじの接続ポートにコードを挿し込む。僅かに視界がチラついたが、数度の瞬きで違和感は無くなった。
何となく辺りを見回すと、格納庫上方、司令部の窓にアレニチェフの姿が見えた。表情は窺えず、クリスタは正面に視線を戻す。
管制からの指示が入り、基地のゲートがゆっくりと開き始めた。
『オールグリーン、カミラ・ルアノ、出るよ!』
カミラ機が遠慮のない全速発進でゲートの外に消えた。びりびりと空気が震えるのをキャノピー越しに感じる。
バルテスとエドガーの二機も問題なく飛び立ち、クリスタも発進位置に着いた。本格的な実戦が想定される最初の任務だ。
山中の基地であるため扉の外には極小の誘導灯以外には何もない、ほぼ完全な暗闇が広がっている。目を凝らしたところで何も見えなかった。
クリスタは大きく息を吸い、眼前を覆う闇に、そして自分自身に言い放つ。
「クリスタ・ドーフライン、出撃します!」
出発からニ十分後、既にパシフィックの勢力圏内に入っていた。とっくに対空レーダーにも捕捉されているはずだ。
目標はピレネー山脈からおよそ一〇〇キロ離れたトゥールーズ近郊の通信拠点。射程内に到達するまでは残り十分程度だが、それまでに敵の迎撃部隊と交戦になるのは必至だ。
クリスタがバイザーのナイトビジョン越しに周囲を警戒していると、カミラからの無線が入った。
『作戦のおさらいをするよ。私とクリスタが露払い、エドガーとバルテスが地上にボカンだ』
今回の任務ではバルテスとエドガーの機体に対地攻撃用ミサイルを搭載し、クリスタとカミラはその護衛に当たる。
『シンプルで何よりです。大尉と大佐に命を預けますよ』
クリスタの緊張を和らげる意図もあるのだろう、余裕めいた調子で答えるエドガー。その声に若干のノイズが混じった。
ジャミングのせいで基地との通信はかなり前に途絶えていたが、近距離での無線にも影響が出始めている。
『共振周波通信に切り替える。パターンは023』
カミラの指示で通信方法を無線から変更する。機体が波打つような、大気を切り裂いているのとは明らかに異なる振動が伝わってくる。
共振周波通信。これもクレイバードが「鳥」と称される理由の一つであった。
パイロットの声を特定のパターンで変化させ、外部に大音量で放出、それを味方機がキャッチし逆算で元の音声に戻す、という通信とは名ばかりの方法だ。基本的に高音域へと変化させるため、傍からは巨大な鳥がおぞましい鳴き声を響かせているように見える。
かつては一部の精鋭達がわざと同じ周波パターンに固定することで、自分達の接近を敵味方にアピールしていたらしい。味方の士気を向上させ敵には恐怖を与える、アイコンとして最適だった。
『通信の調子はどう?』
目の前で話しているような位置感とクリアさに再構成されたカミラの声が聞こえてきた。
「音声問題ありません。通信良好です」
クリスタはこれが苦手だった。
亡霊と会話している気がする。同期の訓練生にそう打ち明けたら「子どもみたいだ」と笑われた。精神面での適性を疑われるから、それ以上口にすることはなかったが今でも漠然とした不安を掻き立てられる。
そんなことはいざ知らず、カミラが粛々と指示を出し始めた。
『じゃあみんな、最終確認をするよ。万が一スワンが出てきたら逃げるんだ。十二分に戦える実力は付いてきてるけど、今回は二人の機体が重くなってる分、不利になる。生き延びて再戦に備えるんだ』
これまでの遭遇状況から、クレイバードによる急襲にへの即時対応にスワンは出撃してこない、という傾向が確認されていた。機体に何らかの制約があるのか、どこか前線から離れた場所に配備されているのか、もしくは、わざわざ出すまでもないと考えているのか、理由は定かではないが、本任務の迎撃にスワンが現れる可能性は低いと考えられている。
もし出会った場合はカミラの指示通りに撤退することになっているが、相手が追撃を止めなかったら戦うしかない。基地に敵を引き連れて行くわけにはいかないからだ。
クリスタは覚悟を決め、より一層感覚を研ぎ澄ました。
それがすぐ役に立つことになる。
『敵影探知! 一時の方向!』
カミラが鋭く叫ぶと同時に、全機が散開。
『数は六機だ、スワンじゃないみたいです』
バルテスが安堵の声を漏らし、続いてカミラは声を張り上げる。
『私とクリスタで突っ込む! 二人はそのまま横をすり抜けな!』
『余計なお世話かもしれませんが、ご武運を祈ってますよ。大佐もどうかご無事で』
エドガーが別れの言葉を残し、バルテス機と共に進行ルートを逸らしていった。
それを見届けると同時にクリスタとカミラはアフターバーナーを使用し、機体を加速させる。方向は敵の真正面。
『行くよクリスタ、もし死んだらぶん殴るからね!』
彼女らしい無茶苦茶な言い方に、酸素マスクの裏でクリスタは微笑んだ。
「こんな所で……死ぬつもりはありません!」
言い放った瞬間、クリスタは機体を回転させながら高度を下げる。機銃の弾がすぐ上をすり抜けていくのを感じた。
数で劣っている以上、乱戦に持ち込むしかない。まずはどうにか近付かなければ。
クリスタは背面飛行でAAMを発射し、間髪入れず両翼に付いた機銃で牽制射撃。
正面からのAAMは躱され案の定躱されてしまい、目標を見失ったミサイルは夜空に消える。これで一機でも墜ちてくれれば、と思っていたが、そう上手くはいかない。
だが敵が回避行動をとっている間に懐へ潜り込めた。格闘戦の時間だ。
先頭の敵機が真上をすれ違った刹那、クリスタは背面飛行の状態から翼をコントロールし機体を後転――つまり最初の進行方向から真逆へ機首を向け、今しがたすれ違った敵の背中に弾丸を浴びせた。
初めての実戦だが、体も精神も問題なく技術に付いて来ている。
「まずは一機撃墜!」
クリスタの言葉はクレイバードによって共振拡大され、勝利の咆哮の如く響き渡った。
空ではパシフィック側も共振周波通信を使っている。敵機同士の交信も物理的には聞こえてくる。元の声とはかけ離れた変換で、まさしく鳥の声。
怪鳥同士の喰らい合いだ。
最初の加速の勢いで後方へ進み続ける機体を、ジェットを噴かして前進に移行させる。すさまじいGがのしかかりクリスタは歯を食いしばった。
周囲に素早く視線を走らせると、カミラが既に一機を撃墜し、別の敵にターゲットを定めているのが確認できる。
しかし、この場にクリスタ達を含めて四機しか飛んでいないことに気付き、慌てて叫んだ。
「カミラさん! 敵が足りない!」
『ああ分かってる、二機がエドガーの方へ向かったみたいだ。援護に行って! こっちは私が引き受ける!』
「でも!」
カミラから緊迫した返答があったが、指示に従えば彼女が一対二の状況に陥ってしまう。
『さっさと行きな! こちとらあんたに心配されるほど弱かないよ!』
わずかに逡巡したクリスタの背中をカミラは容赦なく押し出した。
「……了解!」