File.5 いつものセット、変人を添えて
西日はとっくに海の向こうへ沈み、海上プラントには安全用の照明が頼りなく灯っている。
任務を終えたアレンらはプラントに戻ると遅めの夕食をとることにした。別に食事の時間が定められているわけではないが、夜の九時を過ぎれば食堂の人影はまばらだ。
食堂はプラント内部にあり、それなりに広いのだが天井が低いせいでどうにも圧迫感を感じる。入り口の左側から様々な料理の並んだ台が続いていて、一応のバイキング形式が採用されていた。
アキとカンナは少ないメニューを吟味し、ヘクターはアルコール飲料コーナーでラベルとにらめっこしている。
そんな部隊の仲間を横目にアレンはいつものセット――パッキングされたサラダとスパイスで味付けされたチキン、油っこいマッシュポテトに一切れのパン、それと飲料水の入ったペットボトル――をトレーに載せてプラントの甲板に出た。
適当な照明の下に腰を下ろし、トレーも直接地面に置く。
アレンは、できる限りこうやって外に出て、海や空を眺めながら食事をとるようにしていた。別にロマンチストでもなければ海が好きなわけでもない。だが、こうしないと正気を保っていられない気がするのだ。
どうして、と尋ねられれば返答に困ってしまうが、そんな気がするのだから仕方がない。
サラダを半分食べ終えチキンに手を付けようとした時、こちらに歩いて来る二つの人影を暗闇の中に認めた。
片方の背の高いシルエットは軍務記録官のマイクで、隣で肩を並べているのはたぶんアキだ。二人共夕食のトレーを持参している。
「いつもこの辺りで夕食をとっている、とアキさんに聞いたものですから」
マイクはにこやかな表情を浮かべながら声を掛けてきた。そのまま小綺麗な軍服が汚れるのにも構わずアレンの隣にあぐらをかく。
アキもすぐ近くに座った。マイクに対していつものアキらしからぬ積極性を発揮したようだが、マイクの目当てが自分ではなかったことへの不満が顔から読み取れる。
「軍務記録官殿が俺に何か用ですか?」
アレンはなるべく素っ気なく、それでいて嫌味も忘れず添付して聞いてみた。
表面上は本国と離れた基地との中継調整が任務である軍務記録官だが、実体は監視役としての側面が大きい。積極的に関わるつもりはなかった。
マイクはこちらの意図など意に介さず、ひたすら自分のペースを貫くように話し始める。
「あなたほど若いクレイバード乗りはほとんど見たことないもので。少々話がしたかったんです」
「へぇ……でも大して面白い話なんて無いですよ」
「内容はこの場においてあまり重要ではありません。言葉の節々や抑揚の付け方、日常的にありふれている物への捉え方、その他にも色々とありますが、中身のない会話からでも分かることは山ほどありますよ」
「そういうもんですか」
半信半疑な話だが、この男が言うのなら本当にできるのだろう。そう感じさせるぐらいには言葉に長けた印象を持たせる。
「あ、そういえば、お二人の所属する部隊は今日の午後に出撃なさったそうですね。たしか、ヘクター少佐とあなたがそれぞれ一機ずつ撃墜したそうで」
「まあ、はい」
前任の記録官が四日おきにデータを収集していたのに比べると、マイクは圧倒的に勤勉で手際が良いようだ。出撃記録ならどこに居ても耳に入るが、各パイロットの戦闘記録となると司令プラントまで赴く必要がある。
同僚が真面目過ぎると鬱陶しいが、記録官の場合はそれどころではない。アレンはうんざりとした内心を覆い隠し無表情を保つ。
アレンのリアクションの無さに話す気力を削がれたのか、いや、この男に限ってそれはないだろう。ただ話さないことを選択したようで、マイクは黙って俯いた。
そして、様子を窺っていたアキがここぞとばかりに介入、立ち上がってマイクの手を取った。
「コイツ人見知りですから、ほっといて食堂に戻りましょ。少佐もいますよ」
マイクも相槌を打ち、ゆっくりと腰を上げる。そのまま歩き始めるのかと思ったら、ふっと笑ってアレンに向き直った。
「それにしてもここは良い所ですね、本国と違って盗聴器や隠しカメラも無い。監視要員の私が口を噤めば完璧、言ってしまえばギルグッド准将が作った『城』というわけですね」
アレンは口に含んだ水を噴き出しそうになり、どうにか耐えたが反動で大きくむせる。アキの方も思わず彼の手を離していた。
マイクの言った通り、本国ではありとあらゆる所に仕込まれている盗聴器の類を、この基地ではギルグッドの独断で排除してあった。戦後、将校から末端の兵士にまで例外なく、都合の悪い作戦に関わった全員に及ぶ粛清を避けるためである。
無論、どの基地でもできることではない。本国との通信が限定的で、人員の選出が現場に一任されていて、何よりも士官以上の全員が一枚岩でなくてはいけない。
そんなことよりも、マイクがなぜこのことを知っているのか。
鋭くにらみつけるアレンの視線に怯むことなく、マイクは悠々と続けた。
「そんなに警戒する必要はありませんよ。私も同類ですから」
「同類?」
「ええ、ビクビクしながら暮らすのにはうんざりしていたんですよ。それで、ある時この基地について思い当たりましてね」
アレンは腑に落ちなかったが、とりあえず話を聞いてから判断することに決めた。アキも同じ様子でおずおずと口を開く。
「思い当たられちゃ困るんだけど……」
「問題ないと思いますよ。私は簡単な推測でここに辿り着きましたし、おそらく同じ結論に到達する者も多いでしょう。しかし、現状は何も起きていない……我々の力が及ばないところに何らかの理由があると考えられます」
いちいち回りくどい男だ。アレンはいら立ちを抑えて続きを促す。
「まず、なぜ私がここを思い当たったか? それはブラウン少佐の存在です」
「ヘクターが?」
随分と意外な名前が出てきたものだ。
「はい、彼が現役軍人において唯一のアフリカ戦争経験者というのはご存知で?」
時折、年長の兵士が噂しているのを耳に挟んだことはあったが、詳しくは知らない。一度本人に尋ねた時は適当にはぐらかされた。
アレンは首を横に振り、アキに視線を送ったが、彼女も概ね同じ答えだ。
「アフリカ戦争については知ってましたけど、経験者がここにいたとは……」
「まあ、それも当然でしょう。負けた戦争のことなど教えてくれる大人はこの国にいませんから。この際、詳しい経緯は省略し結果だけを述べるとしましょう。アフリカ戦線最後の一年に関わった者は半数が戦死、生き残りは全員が粛清されています。もちろん、大統領とその側近はのうのうと生き延びています。ですが、唯一の例外がブラウン少佐です」
「どうして少佐が? そんなことに縁のあるタイプとは思えないけど」
言っては悪いが、骨の髄まで戦いに染まった男だ。謀略などという言葉はヘクターの辞書に載っていないだろう。
「そこまでは分かりませんが」
マイクはそこで一旦言葉を切ってアレンの前で大仰に手を広げてみせた。
「私のことが信用できないのであれば、ギルグッド准将に言いつけるもよし、今ここで海に叩き落としてもらっても構いませんよ」
「遠慮しとくよ」
アレンの返事に、マイクは満足げな笑みを浮かべている。夜間用の小さな明かりに照らされたそれは不気味にも映ったが、もはやどうでもよかった。
マイクは身を翻し、アキと向かい合うと芝居じみた動きで右手を差し出す。
「それでは、戻りましょうか」
「……え、ええ」
戸惑いを隠せずにいるアキもその手を取り、二人で闇の中に消えていくのをアレンは見送った。なんだか手持ち無沙汰になって、パンを口に詰め込んで水で胃に流し込んだ。
アレンにとってみれば、ギルグッド准将が本国を騙して身を守っていることも、ヘクターが重大な秘密を持っていることも、それを知っているマイクが何か企んでいることも、全てがどうでもいい。
何かを変えようと思ったことはないが、今までの経験から何となく分かっていた。自分は何も変えられない側の人間である、そして、変えられる側の人間は生まれつき決まってる、と。
だったら何も変わらない方がいい。
アレンは座った状態から糸がほどけるように力を抜いて、仰向けに寝転んだ。
昨日と同じ星が見えた。
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