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File.35 リベンジマッチ

 基地に接近しつつあったアレン達に管制塔から通信が入った。原型がスノースピアなのだから造作もないことだろう。


『所属不明機に告ぐ。現在位置から速度を三割下げろ。従えば敵意は無いと見做す』


 出撃の度に聞いていた管制官の声だ。アレンが振り返ってクリスタに確認を取ると、彼女は何も言わず頷いた。


「了解した。こちらからもいくつか要求がある、伝えても構わないか?」


 アレンの返答に通信機の向こうにはざわざわと動揺が広がる。少し間があって、先ほどの管制官とは別の男が応答した。こちらも聞き覚えのある低い声、ギルグッドだ。


『ああ、構わんよ。こちらにもいくつか提案があるからな。擦り合わせといこう』


 想定よりも事が上手く運んでいることに驚きながらも、アレンはクリスタと相談して決めた要望を述べ始めた。


「まず、ヘクターと会いたい。それさえ叶えば敵対行動は取らない。それと燃料と弾薬の補給、追撃をしないことの確約が欲しい」


『なるほど、おおかたこちらの望みと合致しているな。お前が望むであろうヘクターとの対話の場は既に用意してある。その結果次第で補給についても了承しよう』


「……ありがとうございます」


 ヘクターと同じかそれ以上に立場の危ういはずのギルグッドがここまでの譲歩を見せてくれたことに意表を突かれた。いや、もはや多少本国に尻尾を振ったところで手遅れな状況であるかもしれない。どちらにせよ、十二分過ぎる条件だ。


『それでは、健闘を祈る』


「え?」


 通信が途絶える。刹那、クリスタが悲鳴にも近いほど甲高く叫んだ。


「何か来ます! 回避を!」


 操縦桿を思い切り倒すと同時にジェットを噴かして機体を跳ね飛ばす。コンマ一秒以内の差で白いクレイバードが横をすり抜けた。

 首を絞められるような殺意、ヘクターだ。アレンがギルグッドと会話している間に遥か上空から忍び寄っていたのだろう。クリスタが索敵のために神経を尖らせていなければ今頃海の藻屑だった。


『いい避け方だアレン』


 無線ではない。共振周波通信で機内にヘクターの声が響く。いつもと何ら変わらない調子で軽くアレンを褒めていた。こちらも通信を切り替え応じる。


「不意打ちとは油断も隙も無いな、ったく」


『手を抜かないと言ってるんだ。喜べよ』


「そりゃ、どうも」


 機体を反転させヘクター機を追う。スノースピアより小回りが利かない分、上手く立ち回らなければ勝ちようがない。


「クリスタ、左の機銃をあんたに任せる。回避と防御に専念してくれ」


「了解」


 一人で勝てないのなら二人で戦うまで。ルール無用なのは互いに承知の上だ。


 射程に収めたヘクターを後方から機銃を狙う。しかしヘクターは捻るような飛翔で避けると、一瞬で視界外に消えた。

 見えなくともどこから仕掛けてくるかは見当がつく。


「後ろだ!」


 高度を上げながら牽制弾をばら撒く。背後に迫っていたスノースピアは鋭角的な軌道で射線から外れた。


『後ろに目でもくっ付けたか!? 良い勘だ』


 アレンは両翼のエンジンを交互に使って機体を回転させる。ヘクターのクレイバードと対峙した。


「まあ、似たようなものさ」


 口の端を僅かに上げて、トリガーに指を掛ける。


「クリスタ、頼む!」


 叫んで間髪入れずにミサイルを二発放った。無誘導だ。直撃させるつもりは無い。


「任されました!」


 迫ってきていたスノースピアが進路を逸らし回避行動を取ると同時に、クリスタは機銃をAAMへ向けて乱射。起爆させた。

 爆風に煽られ金属片を腹に食らったヘクターの機体は大きく吹き飛ばされる。あれぐらいではかすり傷だ。

 それでも、この機は逃せない。


「これで終わりだ!」


『それはまだ早いな』


 完璧なタイミングで放った銃弾も空を切る。予測よりも姿勢復帰が早かった。意図的に長く吹き飛ばされたフリをしていたらしい。


 決定的なチャンスを切り抜けられてしまい、二機は熾烈なドッグファイトに突入した。

 人類の作り出した最高のクレイバードがこの戦いに悲鳴を上げつつあった。エンジンは燃えかけて、各種インジケーターは不穏なノイズ値を吐き出す。


 だがそれ以上に、パイロット達の身体は限界に達していた。

 全身に鈍い痛みを感じたアレン。完全に塞がっていなかった傷が血を噴き出し、ジャケットにどす黒い染みを作っている。酷使した腕は痺れて思い通りに動かせず、操縦桿を握った指が開かない。

 接続深度を高めに設定しているため、アレンの状態は同一機体に接続しているクリスタにも感覚的に伝わっていた。


「操縦権を私に、時間を稼ぎます!」


 しかしアレンは歯をぎりりと噛み締め、申し出を拒否した。


「今は駄目だ、あんたの慣れてないフィールドになった」


 格闘戦を繰り広げている間にかなり移動していたようだ。眼下には巨大なプラントが現れている。


「ここが……」


「ああ、俺の居た基地だ」


 急激に高度を下げたスノースピアを追って加速する。ほとんどただの落下だ。


 プラント甲板の人影も見分けられる高さになった。全員一様に空を、いや二機のクレイバードを見上げていた。

 クリスタの頭にアレンと初めて会った時のことが思い出される。パイロットやメカニック、将校もいる。全部、人間だ。

 直後、何の予兆も無く繋がった通信で二人共不意を突かれて狼狽えた。


『えーと、これ聞こえていますか?』


 今の状況とは著しく対照的な落ち着いた温和な声だ。心当たりのあったアレンはキレ気味に返答した。


「あんたか、オズワルド少佐。今死ぬほど忙しいんです! 後にしてくださいよ!」


 マイクは悪びれる素振りを一切見せないで通信機の向こうで笑い始めた。


『忙しいのは見れば分かりますよ。勝手に喋りますからご自由に聞いてください』


 アレンはわざと相手に聞こえるくらい大きな舌打ちをするが、通信は切断しない。クリスタのサポートがあるとはいえ戦闘中に話を聞く余裕を持っているのは凄まじいとしか言えないだろう。


『基地の周りで戦うのは結構ですが、司令プラントには注意してくださいよ。私がいるというのは言わずもがなですけど、それ以上に、大切な人が眠っていますから』


「分かった」


 クリスタには二人の会話の意味が理解できなかった。今訊くことでもないだろうが、それでも一瞬見えたアレンの嬉しそうな横顔が気にかかり、思わず尋ねた。


「さっきの話ってどういう意味ですか?」


 アレンは僅かに考え込むと、いつも通りの何てことないような口調で返してきた。


「いいことがあったのと、ちょっとした誤解が解けた」


「よく分かりませんが、良かったですね」


 プラント上空でヘクターのクレイバードと消極的な撃ち合いがしばらく続いた。互いに決定打に欠ける。ヘクターはアレン達の反応速度や精密射撃を警戒して様子を見ているし、こちらも容易には近付こうとしなかった。


『おい、アレン! そんなもので俺を殺せる気でいるのか!?』


 ヘクターが怒声にも近い挑発を飛ばしてきた。アレンはただ静かに応える。


「殺しに来たんじゃない。聞かせて貰いに来たんだ」


『聞くだと? 何を!?』


「空っぽな俺を生かした意味をだ!」


 数少ないミサイルを発射すると同時に接近を図る。内臓が捩じられるような加速に吐き気を堪えた。

 側方へ躱すリスクを考えたヘクターはスノースピアをこちらに向け突っ込んでくる。進行方向の軸をほんの少しずらすことで、滑るように二機はすれ違った。


 アレンはジェットを駆使し機体をその場でひっくり返し、反撃に備えたが、スノースピアはそのまま真っ直ぐ急降下している。プラント甲板よりも下、海面すれすれだ。


 アレンはヘクターの意図を理解した。


「いいよ、乗ってやる! クリスタ、あんたは歯を食いしばっててくれ!」


 機首を下げ視界の半分は海に覆われる。びりびりと震える機体を制御しながら海面すぐ上で操縦桿を引き上げた。舞い上がった白い水しぶきが装甲を叩く。

 アレンは暗くなる視界で目を凝らしながらヘクターの跡を追った。向かう先はプラントの真下。あの時とは立場が逆だ。

 赤い錆の浮いたプラント脚部の隙間を縫って飛んでいく。反射的な操作だけでこなせることではない。体に染みついた熟練の技を目にし、クリスタは息を吞んだ。


 ナイフの刃の上で歩くような狂気の応酬が続けられる中、クリスタに許されたのは次の瞬間にミンチになっていないよう祈ることだけだった。


『強くなったな、アレン』


「いいや、あんたにはまだ追い付けてないよ」


 今も昔も尻に引っ付いていくのが精一杯だ。歩調を緩めてもらわなければ肩を並べることもできていなかった。


『どうかな。丁度いい、さっきの質問に答えるとしよう。お前を生かしたのはこの瞬間のためだ』


「戦うためにか? 面倒なことをするんだな」


『戦いの決着はもうついてる。お前の勝ちだ』


 ヘクターは厳かにそう言うと意味深に笑った。


「だったら、こんな茶番さっさと終わりにしたいな」


 アレンが毒づいた瞬間、近くの鉄柱が火花を散らして抉られた。スノースピアの大口径機銃が正確にこちらへ向けられている。コンマ秒以下のタイミングを要求されながら相手を狙っているのだ。


『いいことを教えてやる。勝利と生存は必ずしもイコールじゃない』


「ありがたいお言葉、どうもありが――」


 何度目とも知れぬ急旋回で、鉄骨の間に滑り込もうとしたその時、アレンの腕がだらりと下がる。ブラックアウトを通り越した意識喪失(GーLOC)だ。


 異変に気付いたクリスタはコントロールを強制的に奪い取り、プラントから抜け出した。その挙動の変化をヘクターは目ざとく察知する。


『お前、アレンじゃないな?』


 人間離れした知覚はスノースピアの標準装備なのだろうか、とクリスタは苦笑した。


「ええ、臨時で代行を務めさせていただきます。クリスタ・ドーフラインです。以後お見知りおきを」


『ドーフライン……なるほど赤いやつのパイロットか。残念ながら「以後」は無いぞ、ここで始末するからな』


 スノースピアが後方から急速接近。クリスタは機体を回転させ正面から機銃で応戦する。互いの銃弾が翼を掠めた。


 ヘクターはアレンとの激闘のせいで、こちらの挙動変化に勘付いてはいても対応は切り替えられていない。そこに一縷の望みを託した。


 残りのAAMを全て使って一旦距離を取った。大事に取っておいても死後に使い道は無い。


 三挺の機銃からふんだんに制圧射撃を行い、捨て身で距離を詰める。ヘクターはたまらずミサイルを放って離脱を試みたが、クリスタは構わず弾幕の中に飛び込んだ。


『――いい判断だ!』


 絞り出すような称賛の言葉だ。


 その時、身体と接続している機体越しに温かいものが触れた気がした。アレンが目を覚ましている。


「すまん、待たせた」


 アレンはすぐに操縦桿を握ると、眼前のスノースピアに照準を合わせる。


「まったく、お寝坊さんですね」


 クリスタは吐息を漏らすように笑った。アレンも明るく爽快に応じる。


「だけど、今回は間に合った」


 大切な時に届かなかった手が、今は届く。


 二人でトリガーに指を掛けて、引いた。


 短い閃光。


 後悔の一撃で、未来への銃声だ。


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