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File.30 再起

 

 クリスタは瞼を持ち上げる。


「ぐっ――」


 体を起こそうとしたらあちこちが軋むように痛み、思わず小さな悲鳴を漏らした。だが、痛いということは死んでいないらしい。


 深呼吸をして今度は歯を食いしばりながら慎重に腕や足を動かす。鈍く痛むがどこにも大きな傷は無いようだ。それどころかコクピットにも目立った損傷は無く、ただキャノピーが吹き飛んでしまったようで、肌寒い風が顔を撫でる。


 明らかに撃たれた感覚はした。現に何らかの衝撃で気絶してしまい、非常用オートパイロットでこの平原、いや、放棄された農地に不時着している。

 あまり希望は持てないが、カミラのことを一刻も早く探しに行きたかった。しかしどこに墜落したのか見当も付かない。


 クリスタはうなだれて長いため息を吐く。


 その時、雑草だらけな風景の端に真新しい人工物を捉えた。距離は一〇〇メートルも離れていない。クレイバードだと判別できたが、カミラのものではないと一目で分かった。


 クリスタはコクピットから這い出ると、ホルスターから拳銃を抜き、一歩一歩にじり寄る。

 その途中でクリスタは息を飲んで、警戒も忘れて墜落した機体へと駆け寄った。半ば地面に突っ込んでいる白いクレイバード。キャノピーは砕け散り、その中に血塗れの少年が倒れていたのだ。


 この少年には見覚えがある。休戦会談の際に出会ったアレン・スミスだ。


「大丈夫ですか!? 起きてください!」


 息はあり、傷も数こそ多いもののそう深くはない。呼び掛けるとぴくりと微かに反応した。そのまま何度か声を掛けながら肩を叩くと、彼は目を開けた。焦点の定まっていない瞳がクリスタの顔に向けられる。


「……無事だったのか」


 口を開くと同時に咳き込んだアレンの背中を支えながら、クリスタは尋ねた。


「なぜあなたがここに?」


 呼吸を落ち着かせたアレンはうなだれながらぽつりと答える。


「あんたと一緒さ。全員まとめて俺の隊長にやられたんだ」


 彼からそう聞いてクリスタはどこか安心した。自分とカミラを襲ったのがアレンだとしたら許す自信は到底なかったから。

 また、今となってはさほど重要ではない事実も自動的に分かった。


「あなたが〈ファーザー〉だったのですね……」


「何それ?」


「いえ、こっちの話です」


 仲間を支える守護の翼がアレンだったとは意外に感じる。アルジェリアで邂逅してから頭の片隅で彼こそ〈ダブルタップ〉だと考えていたし、そうであってほしくないと願っていた。


 その時、アレンの呻き声を耳にし、感傷に浸っていたクリスタは努めて現状に意識を戻す。


「とりあえず傷の手当てをしましょう! 見たところ深くはありませんが放置するわけにはいきません」


「いいよ、自分ででき――痛っ!」


 強がってもぞもぞと動いたアレンが顔をしかめる。機体の細かい破片が体に刺さっているのだから無理はない。


「本当にできますか?」


 場違いだと分かっているが、アレンの態度が子どもっぽかったのが可笑しくて、ちょっとイジワルな口調で問い詰めてみた。

 アレンがバツの悪そうに頷くのもまた子どもらしく見える。


「……頼む」

 


 治療にはアレンのクレイバード――彼曰くスノースピアという機体らしい――に備えられていたファーストエイドキットを使用した。ピンセットで肩や腕に刺さっていた様々な破片を取り除き、消毒した後に包帯を巻く。肩口の傷は若干深かったので止血剤の染み込んだ止血ガーゼを当てた。

 一連の手当が終わりかけたあたりで、アレンが疲れた様子で言った。


「あんたはこんなことをしてていいのか? 死亡確認の掃討部隊がいつ来るか分からないのに」


「撃墜されてから既に二時間、本気で殺すつもりならとっくに来てますし、そもそも空の時点で蜂の巣にされてます」


 アレンもクリスタも、ヘクターという男に生かされた。通常の弾薬ではなく貫通力を著しく落とした特殊弾頭を使用することで機体を揺らし気絶させるに留めたのだろう。


 おそらく今も彼が誤った撃墜地点を報告したか、もしくは報告そのものを遅らせているおかげで自分達は無事で済んでいる。過度な安心はできないが、まだ数時間の猶予があるはず。

 そんなクリスタの回答にアレンは納得がいっていないようだった。


「本気ならわざわざクレイバードに乗せる必要もないはずだろ。夜道で撃つなり食事に毒でも混ぜればいい」


「見せしめかもしれませんよ。今後主力になる第三世代機パイロットへの」


 クリスタはまだしもアレン達は力を示し過ぎた。少数で戦場を左右できる人間など、その他大勢からすればただの脅威だ。それをもっと強い力で殺して見せることに意味があったのではないか。

 アレンの包帯を巻き終え、クリスタは首を回して体を伸ばす。


「それと、根本的な問題として行く当てがありませんから」


 パシフィックとユーラシア、両陣営の同意によって抹殺されたのだとしたら亡命は不可能だ。

 クリスタがそう言うと、アレンは応急処置の済んだ腕を眺めながら返す。


「アフリカに行けばいい。あんたの機体はまだ飛べるんだろ?」


「無計画に行ったところで野垂れ死にするだけでしょう。それに――」


 クリスタはアレンに向き直りながらきっぱりと言い放った。


「あなたを置いては行けません」


 彼はしばしの間呆気に取られた後、鼻を鳴らして笑う。自分でも恥ずかしいことを言ったと分かっているからクリスタは頬を赤く染めた。


「あんたも変なやつだな。じゃあ、最後まで付き合ってくれないか?」


 アレンはそう言って左腕に着けた腕時計型の端末を掲げてきた。


「内容にもよりますが、一心同体だと思ってもらって結構です。それで、その端末は?」


「仲間に貰ったんだ。いじってたら中に座標データがあるのを見つけた」


「座標……ちょっと見せてください」


 彼の言う通り、端末にはアフリカ大陸北西部の一点を示したデータが入っている。座標以外の情報は皆無だが。


「ここに何があるのですか?」


「さあ」


「さあ、って……」


 がくりと肩を落とす。燃料にあまり余裕はないのだ。これで何も無かったら洒落にならない。しかしアレンは特に不安を露わにせず応えた。


「何考えてるか分からない男だったけど、無駄なことをするやつじゃない。行く価値はある」


「……あなたを信じますよ。そこへ行く以外に道は残されていませんし」


 そうは言ったものの乗り気にはなれなかった。一度死んだような身だが、確証の無い中で動き回るのは気が重い。どっと疲れが押し寄せてきて地面に座り込んだ。


「でもどうやってそこまで行くんですか? 私のクレイバードは一人乗りですし無理矢理二人で乗ったとしても、そもそもキャノピーが無いですよ」


 空中に投げ出されるか、全身酷い凍傷になって命を落としかねない。これらの課題をクリアしたとしても強風に煽られ続ければ地中海を超えるまでに体力を消耗して墜落する。


 だがアレンは特に頭を悩ます様子もなく、平然と言ってのけた。


「大丈夫だ、似たようなシチュエーションがマニュアルに載ってた。あんたの機体を近くまで運んできてくれ」


 アレンが随分と頼もしく感じる。以前会った時の朧げな弱さらしいものは見当たらなかった。彼は兵士として完璧なのだ、と痛感する。


「分かりました。あなたに任せますよ」


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