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File.29 ダブルタップ

 クリスタ機が撃墜される四時間前、アレンとヘクターも出撃準備の際中だった。透き通った青空の下にスノースピアを晒し、コクピットで制御システムの最終チェックを進める。


 アレンはまだアキが自ら死を選んだことの意味を考えていた。


 クレイバードに乗るタイミングはいくらでも作れたにも関わらず、なぜアレンの前で命を絶ったのか。哨戒任務に志願した時、順当にいけば交替するのはヘクターではなくアレンだ。それを強引に捻じ曲げてまで、アレンの隣に立った意味を想像できなかった。

 意識の三分の一くらいを割いて機体の調整をしていると、ブレントが走り寄ってくるのが見えた。ブレントはリフトに昇り、周囲を窺いながらこっそりアレンに耳打ちする。


「ちょっとやばい噂を聞いたんだが、いいか?」


「くだらないことじゃないなら」


 ブレントは無言で頷くと、改めて一旦周りを見回した後、顔を近付けてくる。


「アキさんの機体に細工をした整備員がいるらしい」


 アレンは目を見開き、思わずその目をブレントに向ける。


「それは誰だ?」


 彼は一瞬怯んだが続ける。


「話を最後まで聞け。その整備員は三日前に帰っちまったが、それを指示したやつがいる。あの軍務記録官だ」


「まさか――」


 マイクのことを深く知っているわけではないが、いまいち信じられなかった。たしかに得体の知れない男だが、敵だとは思っていなかった。ましてやアキを殺すような人間だとは。


「どこまで信憑性のある話かは分からない。けど、お前も一応気を付けろよ」


「なんで俺が」


「戦争が終われば人が消えるっていうのは世界のルールだ。お前も俺も日常的に軍事機密に触りまくってるわけだし」


 ブレントはスノースピアをさり気なく指で示す。アレンは鼻で笑って答えた。


「いつ死ぬか分からないのは今までと同じさ。じゃあ、そろそろ出発するから、お前はどっか行け」


「……お前は殺しても死なないような気がするよ」


 ブレントも肩をすくめて笑って見せる。リフトを操作し、スノースピアから離れる。


 周囲の安全を確認し終えたアレンがキャノピーを閉じて離陸の準備を整えたところでヘクターから通信が入った。使われているのは二人以外に届かない秘匿回線だ。


『おいアレン、空に上がったら話がある。俺が先に出たら付いてきてくれ』


「了解だ」



 空は雲一つなく、眼下では白い太陽が海に反射し煌めいている。それらに比べたら二機のクレイバードはひどく小さい。矮小な羽虫のようだ。


「で、話っていうのは?」


『少し昔話に付き合ってくれないか? この戦争が始まる前のことだ』


「ご自由に」


 敵のいない任務だ。眠っていたって問題ない。


 ヘクターはほんの少しの間、考え込むとゆったりと語り始めた。


『俗に言うアフリカ戦争ってのは知ってるか? お前が生まれる前に始まって、パシフィックの敗北で終わった戦争だ』


「聞いたことはある」


『あれが始まる前の世界はいくらかまともだった。少なくとも金のある正規軍が子どもを兵士に使わない程度には、な』


 その話には聞き覚えがあった。アキやカンナが「最初の世代」でアレンが二番目だと。


『アフリカ戦争の発端は単純だ。十七年前、小型の核兵器でニューヨークが更地になった。それの犯人がアフリカに潜伏する反米武装組織だと分かり殲滅作戦が始まった。核をどこの誰が流したのか突き止めるために、正規軍だけじゃなく現地の武装勢力も援助しての大捕り物だ。そしてその頃、二発目の核がモスクワで炸裂した』


 アレンは施設で教育を受けていたが、ヘクターの話は全く知らないことばかりだった。調べれば分かることなのだろうが、興味を向かせないよ細心の注意が払われていたのかもしれない。


『その核の出所を辿ると、俺達が支援していた勢力の支配地域に行き当たった。間もなくロシアの軍事介入が始まるが、まだ直接的な衝突にはならずに済んだ。しかしそれから各国の主要都市で次々と核爆弾が使われ、全ての糸はアフリカに続いていた』


 いずれかの核攻撃が自作自演で、どこかの国が裏で壮大な絵を描いている。各国はそう考えアフリカを戦場にぶつかり合った。というのがアフリカ戦争だと、ヘクターは噛み砕いて説明した。

 約十年間戦っている間に世界も戦場も大きく変わったというのはアレンも知るところだ。


「で、結局どこの国が真犯人だった?」


 なかなか真相を話してもらえず耐えかねてアレンから切り出した。


『そんなものは存在しなかったよ。ただ単にアフリカで造られた核が色んなやつらに渡っただけだ。だが、その結末を受け入れるには人が死に過ぎていた。だから真相を知った人間は皆殺しにされたんだ……俺以外は』


 マイクの話していたことはこれか。そして彼ですら知り得ていない情報がすぐ目の前に迫っていた。


「どうしてあんただけは生き残った」


『航空支援部隊の一員としてその場に居合わせた。で、映像、音声その他諸々の記録を手に入れたんだ。そして始末される前にそれを隠し、政府と交渉したから今の俺がある』


 聞いてしまえばあっけない、偶然と閃きの産物だった。だとしてもヘクターがこの世界にとって重要な真実を握っていることに変わりはない。


「なぜ、それを俺に話したんだ?」


『俺もあまり先が長くない。誰かに託したかったのさ。本当はアキに話すつもりだったが、それは叶わなかった』


 アレンと違って彼女は思慮深く、この真実を受け取る資格を持っていただろう。そのことはアレンも容易に読み取れた。


『お前はこれからどうする? 望むのならばデータを隠した場所を教えてやってもいい』


「俺は……」


 そんなものを得たとしても、この世界をどうこうする気力も知力もない。黙って墓場まで持っていくだろう。もしくは要らぬ相手に喋ってしまい、殺されるかだ。


「分からない」


『だろうな』


 ヘクターがつまらなそうに笑ったのが聞こえた。この答えに満足はしていないはずだ。アレンも自分にアキの代わりが務まるとは露ほども考えていない。


 気が付くとクレイバードは境界線付近にまで到達していた。これに沿って進めば任務完了だ。


 二人がほとんど無言でクレイバードを飛ばしていると、レーダーが機影を感知した。今までの癖で身構えたが戦争は終わっているし、ユーラシア機は境界線を越えていない。黙ってやり過ごせばよいだけのはず、だった。


 突如ヘクター機が急加速し、相手の機体へどんどん接近し始めた。軍事境界線などお構いなしだ。


「何してんだ! そっちに行ったら――!」


 アレンの制止は完全に無視される。仕方なく自身も境界線を越えてヘクターに追いつくがどうすることもできない。撃ち落すわけにもいかないだろう。

 ある程度まで距離が詰まったところで、ユーラシアの一機がクリスタの赤いクレイバードだということに気付いた。が、現時点では何の意味も無い。

 何の解決策も見出せぬうちに、向かってきたクレイバードをヘクターが機銃で撃ち抜いた。


「せっかく休戦したんだろ!?」


 ヘクターは何も答えず、突撃してくる赤いクレイバードに相対した。


「やめろ!」


 クリスタは強いが、ヘクターと戦えば確実に殺される。


 僅かに言葉を交わした程度だが、彼女に死んで欲しくなかった。自分よりもずっと価値のある人間だと肌で感じていたから。


 それでも叫びは狭いコクピットに反響するだけで、何一つ止めることはできなかった。


 動力を失いゆらゆらと落ちていく赤い機体を見つめながら、ヘクターに追い縋る。


「何のために殺した! 殺す必要があったのか!?」


 ヘクターは今になってアレンに応じた。いつもと変わらぬ、昼寝からアレンを起こしたり、コーラ瓶を持って来たりする時と同じ調子で。


『すまんな、アレン。極秘ファイルの一つや二つ持っていたところで、生き残れるほどこの世界は甘くないんだ』


「命令だったのか? あんたには失望した。少なくとも私欲のために殺すような人間ではないと思ってた!」


 どんなに殺人に長けた一流の兵士であっても、人間ではあると信じていた。だからこそ、アレンやアキやカンナも付いてきたのだ。


 ヘクターはアレンの訴えに何の感慨も見せず、冷徹に機首をこちらに向けてくる。おそらくアレンも「命令」のターゲットに定められているに違いない。


『失望? それはお互い様だろ? 俺もお前にはがっかりしてる。お前は空っぽなんだ。自分の未来にすら無関心な人形にしか見えないんだよ!』


 アレンは舌打ちして逃げた。どんな言われようでもヘクターには立ち向かえない。


 そして、どこにも逃げ場なんてないことに気付くと同時に、二発の銃声が鳴り響く。何かの破片が皮膚を切り裂き、激痛が全身を駆け巡る。


 彼と初めて出撃した時から思っていた。趣味の悪い殺し方だ、と。


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