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File.28 最後のフライト

 十月四日の朝、クリスタはこの基地における最後の任務に臨もうとしていた。眼前では開け放たれた格納庫のゲートから差し込んだ光が、クレイバードの赤い装甲に反射している。


 何の変哲もないカミラとの哨戒任務だが、クリスタにとっては一つの大きな区切りだ。

 自分が最高議長の娘としてアリオールのパイロットに選ばれ、戦争を終わらせたことで与えられた役割の半分は終わった。残りの半分は次の戦争を始めるためであろう。


「よ! クリスタ。待たせたね」


 カミラが小さく手を振りながら姿を現した。出発には少し早いが、話をしたくてここで待ち合わせをしていた。彼女は急な招集のせいで五分ほど遅れたことを詫びたが、クリスタは首を横に振る。


「いえいえ、全然問題ありませんよ。それにしても司令官は何と?」


「あんたに怪我させないようしっかり見守っとけ、てさ」


「はぁ……戦場に出しておいて終わったら子ども扱いですか」


 もう何度死にそうな目にあったことか。呆れて怒りも湧いてこない。


「あんたに限らず軍人なんてそんなもんだよ。結局は都合よく使われる道具だ」


 カミラは達観したように呟くと胸ポケットからタバコを取り出して咥えた。しかし、少しの間考え込み、それをまた箱に戻す。

 その光景を興味深く見つめていたクリスタに、カミラは突然いつも使っているライターを投げ渡してきた。


「これ、あんたにあげるよ」


「えっと、どうして急に?」


 手に持つとずしりと重く、金属の冷たい感触が染みてくる。彫刻は若干擦れてしまっているが、傷はほとんど見当たらない。丁寧に扱っていたことが伝わってきた。


「禁煙したくなったのさ。せっかく戦争が終わって長生きできそうだから」


「そんなこと言うと逆に早死にしそうですよ……というか、これ大事な物では?」


 クリスタがそう聞くとカミラは照れ臭そうに髪をかき上げた。


「なーに、昔の男に貰っただけだよ。安物だけど頑丈なせいで替えられなくて困ってたんだ」


「では、ありがたく貰っておきます」


 タバコは吸わないが、使い道は色々とあるだろう。オイルライターは風に強いし外で使うにはもってこいだ。


「あんたのそういう素直なとこ、好きだよ」


「何ですか藪から棒に」


「何でもないよ、さ、天気も良いんだ。今日のフライトを楽しもう」


 外に出て上を仰ぎ見る。吸い込まれそうな青空が広がっていた。



 最後の飛行任務。一秒も漏らさずしっかり噛み締めようと意気込んでいたが、それでも体感は非常に短い。もうすぐ、基地を発ってから境界線を南に下りそこから戻るという予定ルートの半分だ。


 何も起こらないと分かっているから気が抜けているのかもしれない。もしくはカミラとの雑談に熱中していたからなのか。

 クリスタは名残惜しさを感じながら口を開く。


「地上も空も特に異常なし。そろそろ折り返し地点ですね」


 折り返してしまえば「帰国」に物理的に近付いていくような気がして、あまり気分は良くない。


 それだけにカミラからの応答には嫌な意味で驚いた。


『いや、折り返しはしない。このまま南に飛ぶ』


「え? さすがにそれは」


 もっと長く飛行を楽しんでいたい気持ちはあるが、勝手な航路の逸脱は命令違反だ。もし処分が下されるとすればカミラの方がずっと重くなるに違いない。自分のために彼女が罰を受けるなど、それだけはごめんだ。


「なぜです? カミラさん。あなたらしくない」


 反骨精神旺盛でも馬鹿なことはしないのが彼女だ。しかしカミラは同じ言葉を繰り返した。


『南に飛ぶんだ。付いてきな』


「なぜです? 理由を教えてください」


 自身への短絡的な気遣いだとしたらやめさせなければならない。

 そんな理由で済んだならどれほど楽だっただろう。彼女の答えはどの予想にも反していた。


『詳しくは話せない。だけど、あんたはここから逃げないと殺される! 北アフリカまでなら十分に届くはず――!』


 カミラの言葉は途中で切れ、クリスタは目を見開いた。


 レーダーに敵影を捕捉。真っ直ぐこちらに向かってきている。この速さは嫌になるほど記憶に深く刻まれていた。


 パシフィックの精鋭、スワンだ。


「境界線を大きく超えています! 協定違反ですよ、あれ!」


『そんなことはどうでもいいから、さっさと逃げるよ!』


 カミラの鋭い命令に背中を押され、カミラは南に進路をとった。

 追ってきているのは二機だ。そのうちの一機は冗談みたいに速い。データ上にある最高値を優に超えていた。

 アリオールとの性能差があるカミラ機はだいぶ後ろに離れてしまっている。各個撃破されないようクリスタが速度を緩めようとした時、カミラから通信が入った。


『クリスタ、あんたに謝らなきゃならないことがある』


「遺言なんて聞きたくありませんよ! 帰ってからいくらでも聞きます!」


『違うんだ。私は命令を受けてた……あんたを殺すように』


 クリスタの思考は流れを失い、白く塗りつぶされた。微かに残された一筋の理性は、いつ、誰から、と喚いていたが、最初に口をついて出た疑問は、


「なぜ……?」


 なぜ殺されなければならない、任務は失敗していないのに。それよりも、なぜカミラが選ばれたのか。


『命令の理由は聞いてない。多分、力と名声を得たあんたは政府にとって脅威と見做されたんだ。そして、それが私に下ったのは、私が一番あんたの近くにいるからってわけさ』


 人間の尊厳を踏みにじるような論理に、クリスタは吐き気を催す。


「逃げましょう……一緒に!」


『いや、私のバードじゃスワンからは逃げ切れない。たぶんあいつらが本命の執行人だよ。私は最初からアテにされてなかったってのは嬉しいことだけどね』


 自嘲するカミラにクリスタは叫んだ。


「諦めないでください! 二人なら!」


 勝てるのか、脳裏に疑問がよぎる。数倍の戦力をぶつけても墜とせなかった敵だ。だが戦わなければ待ち受けるのは死だ。クリスタに選択肢は無かった。

 しかし、カミラの意思は揺るがず、静かな答えが返ってきた。


『いいんだ。この命令を受けてから、あんたを生かして逃がすチャンスは何度もあった。それができなかった時点で私は死んだんだよ』


「あなたはまだ生きているでしょう! この分からず屋!」


 精一杯放った言葉をカミラは無視して続けた。


『これは最後の頼みだ。私はあいつらを足止めする。あんたはその隙に逃げな、生きてりゃ何とかなるんだからさ。じゃ、通信終了!』


「カミラさん!」


 返事は無い。スワンはかなり迫ってきており、もうカミラ機は射程距離内だろう。クリスタは彼女を見捨てて逃げる決心がつかず、速度は保ったまま進み続けていた。


 カミラのクレイバードは進路を逸らしスワンとの戦闘状態に入る。二機いる敵のうち一機には戦闘の意思は見えないため一対一であったが、数分と待たず彼女の機体は火を噴きながらゆっくりと高度を下げ始め、信号が検知できなくなった。


「――!」

 あまりにも無機質で理不尽な散り様に、すぐには涙も浮かんでは来なかった。クリスタはただ黙って機体を反転、スワンへと向かっていく。


 カミラはクリスタが知る限り最高のパイロットである。それでも、スワンとの差は残酷なほどに広い。クリスタにしても似たようなものだ。

 もはや敵機の接近を告げるアラームも耳に入らない。感情も理性も波風一つ無い水面に収束している。


「終わりにしましょう」


 無感情に呟いた。勝ち負けはどうでもいい。ここで戦いを選択したかった、それだけだ。


 純白のクレイバードが頭上を通り過ぎる。コクピットに二発の弾丸が撃ち込まれたアリオールは導きを喪い沈黙した。


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