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File.27 雨の日の憂鬱

 九月も終わりに差し掛かった頃、海上プラントでは毎日のように大量の物資や人員が出入りしていたが、中継基地として組織体系が再編、効率化されたためパイロットが雑用を担う必要はなくなった。


 時期を同じくして通常航空部隊の一部やスノースピアのチャーリー隊が本国へと帰還。そのことで基地の光景はがらんと変わり、いささか寂しく感じる。


 アレンは自室のベッドから窓を打つ水滴を眺めていた。外で昼寝をするには肌寒くなってきたが、それでも雨の日は息苦しい気がして好きじゃない。


 アレンはふと体を起こして左手首に目をやった。


 マイクに貰った情報端末はずっと身に着けていたが、腕時計としてしか使っていなかった。あの男のことだ、何か隠されていることは容易に想像できるがあまり興味は湧かない。

 時間を確認したアレンは、知らない顔の増えた基地をクレイバード格納庫へ向けて歩き始める。雨は弱くなかったがどうせ搭乗前に着替えるので気にしない。


 どこかの基地で集団食中毒が発生したとかで回ってきた哨戒任務が予定されていた。久し振りのフライトがこの天気とは面白くないが、そんなことはどうでもいい。


 一緒に飛ぶパートナーがアキなのだ。


 この数週間で彼女とは何度か話す機会が得られた。最近ではかなり立ち直っていたように思える。今回の任務も本来はアレンとヘクターで代わりをこなすはずだったのをアキが参加を志願したのだ。「気分転換がしたい」と言って。

 何度か食事を運ぶ程度のことしかできなかったが、アキの助けになれたのなら何よりだ。


 思いの外、雨の勢いが増してきたので歩調を早めようとした時、ふいに呼び止められる。耳に馴染む落ち着いた声だった。


「アレン、ちょっと待って」


 軍用の分厚いポンチョを被ったアキが駆け寄ってきた。


「なんだアキ姉さんか」


「なんだ、じゃないわよ。こんな雨なのに雨具も使わないで」


「乗る前に着替えるし」


「またそんなこと言って……ほら、入りな」


 アキはポンチョのボタンを外すと、自らとアレンを覆うように広げる。本来は一人用の大きさだ。アレンは抱き寄せられる形となって彼女と肌が触れ合った。

 何気なくアキの顔を覗き込む。近くで見ると以前に比べ明らかに痩せているし、血色も良くない。それでも声にはいつもの調子が戻っていたので安心した。


「どうしたの?」


 アレンの視線に気付いたアキが尋ねてくる。アレンは目を逸らしながら返した。


「いや、何でもない」


 ふーん、と頷いたアキは何度か目を瞬かせて顔を上げる。


「アレン、ちょっと見ないうちに変わったね」


「そんなつもりは無いけど」


 いつもと変わらず、任務をこなすか昼寝をしているか、そんな記憶しかなかった。思い当たる節が無く首を傾げるアレンを見てアキは小さく笑った。


「それにしても、みんなには迷惑をかけちゃったし謝らないとね」


「迷惑だと思ったことはない。俺も、みんなも」


「……ありがとう。アレンには本当に助けられた」


「大したことはできてないよ」


 アレンはそう言いながら、外套を支えるアキの手に自分の手をそっと重ねる。そして代わりに腕を広げた。自分の方が多少背が高い。こっちの方が楽だろう。

 アキは一瞬戸惑っていたが、ゆっくりと手を引いた。


「あなたのおかげで先が見えた。カンナが死んで、戦争も終わった世界で私が何をすべきなのか」


 彼女の言葉を聞いて、やっとアレンの戦争も終わったように感じる。自分一人ではカンナの死に決着をつけられないから、アキの心を借りていたのだった。

 仲間の死という結果を受け入れることができた時、初めて戦争は終わるのだ。

 話している間に格納庫に到着した。屋根の下に入ったところで一旦別れる。


「じゃあ、また後で」


「ああ」


 手を振って走っていくアキを見送ると、アレンもロッカールームに向かった。タオルで頭を拭いてパイロットスーツに袖を通す。


 これから何度着るだろうか。死ぬ時にはこれを着ているだろうか。


 アレンは自機のもとへ向かおうとしたところで、格納庫の隅にマイクの姿を認めた。居心地悪そうにしているのが気になり、走り寄って声を掛ける。


「来てたんですか」


「ええ、まあ。パイロットについての記録が私の仕事ですから」


「アキ姉さんと話さなくても?」


 アレンがそう問うとマイクの表情は僅かに強張った。


「彼女とは少々色々ありまして……」


 八月の一件を気にしているようだ。

 人間関係についてアレンにあれこれアドバイスしていた張本人がこの有り様とはいかがなものか。口には出さなかったが咎めるような目を向けると、彼はバツが悪そうに頭を掻いた。


「哨戒任務から戻った後に話しますよ」


 背後でエンジンの駆動音が響き始めた。アキの出発準備が整ったのだろう。


「じゃあ、俺もそろそろ」


 自分のスノースピアに向かって足を踏み出したその時、雷鳴のような轟音が耳をつんざく。


 音の発生源はすぐ前方だったが、アレンの機体に異常は見受けられない。格納庫の設備にも損傷は無さそうだ。


 アレンはアキのクレイバード目がけて駆け出した。マイクや整備員達も後ろから走ってくる。

既に機体には整備員が集まっていた。ぱっと見損傷らしきものは見つけられない。アレンは移動中の整備用リフトに飛び乗ってコクピットを覗き込んだ。


「アキ姉さん!」


 アキはコクピット内で頭も手足もだらりと力なく垂らし、呼び掛けにも反応しなかった。

 アレンは同じリフトに乗っているメカニックに詰め寄る。


「おい、何があった!?」


「分かりませんよ! 点検はレイカワ少尉本人と一緒にやって完璧だったし」


 点検の不備を疑ったつもりはないが状況が状況だ、仕方がない。原因どうこうよりもアキの救出が優先だ。


「とりあえずアキ姉さんを早く助けないと」


「分かってます。下がっていてください」


 メカニックが緊急開放用のレバーを引くと、勢いよくキャノピーが開いた。

 すぐにコクピットへ飛び移ってアキの肩を揺さぶったが反応はない。嫌な予感がして彼女の口元に手をやった。背筋が凍って、すぐに首の辺りにも手を当てた。


「呼吸も脈も無い! 誰かドクターを!」


 アレンがそう叫ぶと、機外にいたマイクが応じる。


「こちらから出向くのが一番早い。私が医務室まで運びます!」


 彼はそう言いながら付近に停めてある車を指差した。アレンは頷き、整備員とともにアキの体を慎重に持ち上げると、車まで運んで後部座席に横たえた。


「俺も一緒に行かせてください」


 運転席に乗り込んだマイクに頼んだが、


「君が居ても役には立ちません。それよりも准将や少佐にこのことを報告してください。原因の究明には居合わせたパイロットである君が必要です」


「……はい」


 きっぱりと断られ、返す言葉も見つからなかった。

 アレンが数歩引き下がると車はすぐさま発進し、雨の中に赤いテールランプを小さく残し去っていった。



 夕方に彼女の死亡が通告された。

 詳しい原因は調査中だが、機体制御パルスの逆流によって脳が破壊されており手の施しようがなかったという。

 アキの亡骸は本土に帰還する輸送機に空きがあったため、カンナの遺灰とともにその日中に基地を発った。別れの言葉をかける暇も無かったし、それを実感する時間も無かった。このまま彼女達は故郷の戦没者霊苑に埋葬されるらしい。


 その翌日、彼女の死因について一つの可能性が浮かび上がった。


 整備・点検に問題はなく、試験用デバイスを接続してクレイバードを起動させても問題は起こらなかったため、事故ではなく意図的な操作、つまりは自殺だったのではないか。という可能性だ。

 アレンを含め、アキの身近にいた者はその推測に疑問を呈したが、「そんなことはあり得ない」と断言することはできなかった。

 システム内のログからもアキが安全装置を解除していたことが発覚し、この推測を裏付ける。報告書にも「自殺」と正式に記録された。


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