File.26 紅のドレス
休戦会談から二週間後。クリスタは旧フランス地区ブルゴーニュの空軍基地にいた。開設からほぼ二百年となるこの空軍基地は、前世紀の二度の世界大戦を経験している。欧州戦線においても最も活躍した基地の一つだ。
柔和な陽光に照らされた広大な滑走路やそれを取り囲む芝生。クレイバードには必要ないが、歩いていると秋らしい風が頬を撫でて心地が良い。
アルプス山中にあった基地は「境界線に近い」とのことで先週閉鎖された。秘匿しておけば次戦争の際に都合が良いという理由もあっただろう。
どちらにせよ、居場所のなくなったクリスタ達は三つの基地に分散異動させられ、今ここにいるというわけだ。
半ば予想通り、この基地でもクリスタとアリオールは好奇の目に晒されたのだが、アレニチェフの計らいでカミラやエドガーらも同じ基地に配属されたため何とかなった。
しかし当のアレニチェフ本人はというとベルリンの司令部経由でそのままサンクトペテルブルグへ行くことになってしまい、しっかりとお礼を言う機会は訪れなかった。落ち着いたらメールでも送ろうと思う。
クリスタは大きく胸を反らせて息を吸った。微かな燃料の臭いが鼻をついたが、概ね良い空気だ。以前の基地に愛着はあるものの、圧倒的にここの方が過ごしやすい。
カミラとエドガーは持ち前の親しみやすさであっと言う間に基地に馴染み、それに付随してクリスタの扱いも悪くはなかった。近いうちに本国へ呼び戻されて取材対応の練習やらが始まることを考えるとぞっとする。今が最後の安らぎの時間だ。
憂鬱な気分でクリスタが空を見上げて歩いていたら、背後からエンジン音と共に大声で呼び掛けられた。
「おーい、大佐!」
振り返ると装備運搬用の小型車に乗ったエドガーが手を振っている。彼はクリスタの横に車を停めるといくつかのファイルを手渡してきた。
「境界線パトロールのシフト表、二週間分です。大佐にはそれ以降無いそうですよ。あと、よく分かりませんが諸々の資料を」
「ありがとうございます」
受け取って中身を確かめる。二週間先までしかないということは帰国が間近に迫っているということで、「諸々の資料」にはそこからのスケジュールが事細かく記されていた。
顔をしかめたクリスタにエドガーは隣の席を顎で示す。
「乗っていきますか? 送りますよ」
「いえ、散歩しているだけなので」
残された穏やかな時間をできる限りのんびりと過ごしたかったので断った。
「分かりました。お気をつけて」
エドガーは軽く敬礼し、走り去っていった。
それからたっぷり三十分かけて兵舎に戻る。途中でファイルを何度か開き、うんざりして閉じるという繰り返しだ。それでも、迫りくるタイムリミットにささやかな抵抗ができたことに満足していたが、何だか虚しくなった。
居住区画はクリーム色の壁に赤い屋根の建物が並んでいて、ちょっとした街のように見えなくもない。そのうちの一つに入ろうとしたら、カミラと鉢合わせた。
「お、クリスタかい。渋い顔してんね、しわ寄ってるよ」
いきなり眉間を指で小突かれた。クリスタは額をさすりながらさっき貰ったファイルを掲げて見せる。
「帰国の日時が決まったんですよ。それに見てくださいよ、この写真!」
クリスタの開いたページには、どこかの晩餐会で着る予定の真っ赤なドレスが。
「似合いそうじゃないか」
飄々と速攻で返してきたカミラに、うなだれながら抗議する。
「勘弁してくださいよ。こんなもの着たことないですし、晩餐会なんてのも出たことないです。それに、取材とか講演とか……もううんざりです」
言葉遣いやマナー、その他色々と「お嬢様」訓練は受けてきたが実際に経験したことは無かった。あくまで知識だけ。その知識もしばらく前線で軍人に囲まれて寝起きしているうちに抜け落ちてしまった。寝癖も直さず歩き回ったこともそれなりにある。
軍隊以上に縛られた生活が始まってしまうのか、と落とした肩にぽんと手が置かれた。
「まあまあ、どうせ二、三ヶ月もすればみんな飽きるさ。ほとぼりが冷めたら二人で飲みに行こう。いい店を知ってるんだ」
「……私まだお酒飲めませんけど」
「いいんだよ、細かいことは」
たしかに未成年飲酒が発覚したところで父の顔に泥が塗られるだけで、それは願ってやまないことだ。
「ま、考えておきます」
これからのことに少し希望が持てて、思わず顔を綻ばせた。
「うん、それがいい。じゃあ私はあんたのドレス姿を楽しみにしとくよ、お姫様」
「もう!」
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