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File.23 対面

 最高議長の護衛としてアルジェに同行したクリスタ達は、クレイバードをだだっ広い格納庫に収容し、その一角に設置されたラウンジで涼んでいた。ラウンジとは言ってもただのプレハブだが、ゆったりくつろげるソファやドリンク等が備わっていたのでなかなか快適である。


 三人掛けの椅子を一人で占領して眠っていたエドガーは、格納庫のゲートが開く音に薄っすらと瞼を上げ、そのまま勢いよく立ち上がった。


「大尉、ちょっと外を見てくださいよ!」


 そう言うなり勢いよく窓にかじりついたエドガーの様子に、カミラとクリスタは読んでいた雑誌や新聞から目を離す。


 思わず目を見開いた。

 パシフィックのクレイバード、しかも半分以上がスワンだ。

 クリスタは格納庫へと出る扉に駆け寄り開けようとしたが、外に立つ見張りの兵士に阻まれる。


「今は部屋から出ないようお願いします」


「なぜここにスワンが、パシフィックのクレイバードがいるのです!?」


「警備上の理由だと聞いております。部屋にお戻りください」


「そんな言い訳が――!」


 クリスタは扉にかけた手に力を込めたが、びくともしない。


 その時、息を荒げ肩を上下させるクリスタの背中にぽんと手が置かれた。


「落ち着きな、クリスタ。意味がない」


「カミラさん……」


 クリスタは扉から離れ、促されるまま近くの椅子に腰を下ろした。


「すいません、取り乱しました」


 バルテスや仲間のパイロット達の件があるにせよ、軽率な行動だった。最悪休戦会談に影響を及ぼしかねない。


「気持ちは分かるよ、ここのやつらも陰湿なことをしてくれたもんだね。でも今日からは敵じゃないんだ。逆に粋な計らいだと思って、ありがたく受け取ろうじゃないか」


「……はい」


 カミラは優しく微笑むと、他のパイロット達を見渡し厳然と言い放った。


「あんたらも全員、くれぐれもつまらん面倒事は起こすんじゃないよ」


 返事はほとんど耳に届かなかったが、各々心を落ち着けて元の位置に戻る。クリスタよりも多くの同僚を失っている彼らにとっては重い命令だろう。


 それから三十分経過し、兵士から外出の許可が事務的に告げられたものの、誰一人として動かなかった。

 一見、最初の状態に回帰したように思えるが、貧乏揺すりが目につき、グラスの飲料の減りも明らかに早くなっている。


「ちょっと風に当たってきます」


 クリスタは耐え切れなくなって外に出た。

 勝利や平和を得ても失ったものは取り戻せないという事実を突き付けられているようで、暗い無力感に襲われていた。


 見張りの兵士に外出の目的を伝え、真っ直ぐ自分のクレイバード、アリオールへと歩を進める。

 今さらこれに縋るのか、と自分に問いかけたが足は止まらない。

 機体の前に辿り着いた彼女は、赤い装甲にそっと額を押し付けた。ひんやりと固いが撥ねつけられるような感じはない。兵器というより生き物、生き物というより死体に似た感触。


「私は正しかったのですよね……?」


 クリスタは独り、小さく言葉を投げかけた。戦争は終わったが行き場のない感情は消えずに残っている。


「本当に私の――」


 ――選択だったのか、そう言いかけた瞬間、首筋に冷たい指が触れた。


 反射的に身を翻して背後に伸びていた腕を掴み、教練通りの流れるような動作でその主を地面にねじ伏せる。服装から軍人だと推測できた。


「あなたは誰? 所属を言いなさい」


 そう言って相手に体重をかけながらも、クリスタは驚きを隠せなかった。


 それほど格闘術に長けていないクリスタが一連の動作に成功したのは、背後に立っていたのが細身の少年だったからだ。それも老人のような白髪の。


「……パシフィックのパイロットだ。離してくれ」


 少年はクリスタの下でそう言った。苦しいはずなのに声色に出さないのは軍人としてのプライドだろうか。


「そうはいきません。黙って背後から他人に触れるなんて無礼でしょう。目的を教えなさい」


「あんたの首のところが気になったから。不快だったのなら謝る」


 若いのに変わった性癖だ、と一瞬思った。だが少年のうなじに埋め込まれた接続ポートを見つけ、彼の言葉の意味を理解する。無意識に自分の首筋へ触れた。


「あなた第三世代機、スワンのパイロットね……」


 クリスタは少年の拘束を解いて立ち上がる。彼については他にも思い当たることがあった。


「スワン? まあいいや。失礼なことをしてごめん」


 首や肩を回しながら起き上がる少年の声にはやはり聞き覚えがある。


「以前、あなたと話したことがありますよね?」


 少年はクリスタではなく、その後ろのアリオールに目をやって答えた。


「そうだな。やっぱり、あんたも俺も子どもだ」


「お名前を伺っても?」


 踏み入り過ぎているかもしれない。それでもクリスタはこの少年に何かを見出したいと感じていた。敵ではなく人間として接することで。

 少年は意外なことに躊躇なく教えてくれた。


「アレンだ、アレン・スミス」


「私はクリスタ・ドーフラインです」


 クリスタもアレンに倣って名乗り、右手を差し出す。アレンはその手とクリスタの顔を交互に視線を滑らせた。


「投げたりしないよな?」


「お望みならば」


「遠慮しとく」


 アレンは静かにクリスタの手を握る。細く血色も良いとは言えない腕だがパイロットらしい力強さがあった。

 お互い血塗られた人殺しの手だ。クリスタは握った手を解こうと力を緩めたが、アレンにはその様子が見えない。

 背中を嫌な汗が伝う。


「何のつもりですか?」


 その時、初めてアレンの顔を正面から見据えた。


 彼の瞳は決して虚ろではない。だが意志を感じられない。何を捉えているのか分からない目だ。

 どことなくあの男、ハイナーに似ている。

 アレンが口を開いた。たったそれだけのことで、クリスタの体は身構える余裕もなく硬直した。


「俺はあんたの仲間を殺した。恨んでるか?」


 問いの意図が読めない。だから素直な思いを口にした。


「ええ、恨んでいます。でも、戦争ですから」


 自分もパシフィックのクレイバードを墜としている。望んだわけではないが、自分の意思で。


「もし、俺を殺せる機会が与えられたら、殺すか?」


 ひゅ、と息が詰まった。


 顔を見たことのある人間を殺したことなどなかった。向き合って言葉を交わした相手となると言うまでもない。

 それでも、復讐によって何かしらの感情は和らぐのだろう、と想像はできた。


「殺したいとは思っているかもしれません。しかし、たぶん……できません」


 アレンは何の反応も見せなかった。ただ黙ってクリスタの顔を見つめているだけだ。

 そこでクリスタも意を決して尋ねてみた。


「私もあなたの仲間を撃墜しています。あなたは私を殺したいと思っているのですか?」


 アレンは微かに目を泳がせる。だが次に放った返答に迷いらしきものは拾えなかった。


「俺はあんたを殺せるよ。でも、殺したいとは思ってない」


 どんな答えを求めていたのかは分からない、でもこれは違う。むしろ聞きたくなかった答えだ。

 呆然と沈黙しているクリスタにアレンはさらに追い打ちをかける。握っていた手を離したと思ったら、そのまま両手で肩を掴み、揺さ振ってきた。


「殺したいと思うのが普通なのか? 俺には分からないんだ。部隊のやつらも口では仕返ししたいとか言ってるけど、いつもと変わらず酒飲んでげらげら笑ってる。なあ、教えてくれ」


「知りませんよ、離してください!」


「カンナ姉さんが死んだとしても、俺はあんたを恨めるか分からないんだ」


 純粋な疑問に違いないのに、怨嗟の呻きにも聞こえてくる。

 不気味で、気持ちが悪くて、アレンの腕を振り払って後ずさった。


「あなたは歪んでいます! いえ、歪むものを持ってすらいない」


 そう叩きつけるように叫んだクリスタに、アレンは柔らかく笑いかける。初めて見せた人間らしい表情だった。


「やっぱりか……」


「え?」


「俺はおかしいんだ。それが確かめられてよかった」


 彼はそう言うと、クリスタに背を向けて歩き出した。


「待ってください!」


 なぜかは分からないが、繋ぎ止めなければならない気がしたのだ。

 不思議そうな顔で振り返った彼にかけた言葉は、即興で絞り出した陳腐なものだった。


「別段、楽しくはありませんでしたが、もっと早く出会えていれば何か変わったのでしょうね」


 クリスタとアレンは、既にお互いを傷付け合い過ぎてしまった。何も起きていないフラットな状況であったなら、別の言葉も見つけられたはずだ。


「俺もあんたと話せて良かった。これからは戦わずに済む、っていうのもたぶん良いことなんだと思う」


「ええ、それでは」


 アレンを見送りながらクリスタは人生で初めて、軍人になったことを、この手で人を殺めたことを後悔した。


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