File.1 アレン・スミス
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西暦二一〇五年八月九日。
真夏の深い青空の下、白く輝く太陽が照り付ける海上プラントの甲板には、無数の巨大な鳥が止まっていた。
クレイバード。人工筋肉などの生体部品をふんだんに用いた設計から鳥の異名が生じた。
さすがに羽ばたいて空に上がることはできないが、柔軟に衝撃を和らげる高い耐久性によって、両翼の真下に作られたジェット噴射口を利用し、それ以前の戦闘機をはるかに上回る機動性を実現している。
第二世代からは流体金属を採用したことで生体部品との親和性は大きく向上し、昨今の戦場の主役となっていた。動力源も前時代のジェット燃料から脱却し、メタンハイドレートを採用したことで補給も容易になっている。
クレイバードの機体は基本的に伝統に則ってスカイグレーの塗装となっているが、甲板のとある一角は混じりけのない純白の機体が並んでいた。
未だこの基地のほかには実戦配備されていない第三世代のクレイバード〈XSS-02〉、機体名〈スノースピア〉だ。部隊の名前も機体と同じ〈スノースピア〉で面白みに欠けている。
そのうちの一機の下で、暑苦しい日の光を避けるように一人の少年が寝転がっていた。機体と同じ色の白髪が目を引くその少年の名はアレン・スミス。
そして、彼が所属しているのは〈環太平洋国家連合〉俗にパシフィックと呼ばれる軍事同盟の一国だった。「一国」と言っても現在パシフィック内においては国という単位は実質的に消滅しており、名前だけを残して全て地域や地区などという扱いになっている。
アレンは自分が生まれ育ったのは、かつてアメリカ合衆国と呼ばれた地域であることを知っていたが、養護施設から一歩も外に出たことがないのでこれといった感慨も実感も無い。
頭を空っぽにして薄っすらと聞こえる波の音に耳を傾けていると、静かなブーツの足音が近付いているのに気付き、少しだけ顔を持ち上げる。
「よう、アレン。またつまんねえ考えごとか?」
白い短髪に皺の目立つ顔、老人と言っても差し支えないような男が機体の下を覗き込んできていた。しかしこれでも現役のパイロットで、アレンの直属の上官だ。
「何の用だ、ヘクター」
「何の用って……これから任務だろうが」
「任務?」
アレンは聞き返しながらスノースピアの下から這い出る。立ち上がる時に呆れ顔のヘクターが手を差し出してきたので遠慮なく掴んで体重を掛けたが、日焼けした太い腕はビクともしない。
「今日の昼頃に本国から新しい軍務記録官が派遣されてくるからその迎えに行け、って昨日説明されただろ」
「ああ、聞いてなかった」
軍務記録官は作戦記録等を報告書にまとめ本国へ届けるのが役目で、基本的に一つの基地に一人配属されている。だが実験部隊であるスノースピアには別途専属の記録官が存在しているのだ。
前任者をいびって追い出してしまったため、この度新たに送られてくることになった。
「まあいい、三十分後には出発できるようにしておけ。点検は?」
「終わってる」
「分かった」
ヘクターはアレンの言葉を特に疑ったりはせず、数秒機体を眺めると踵を返して自分のクレイバードの方へと向かっていった。
アレンはその背中を見送ると、改めて自分の機体に目をやる。待機中の形状は以前の戦闘機と何ら変わらない、むしろいくらかずんぐりしているだろう。しかし、その表面には装甲板を張り合わせた跡は無く、代わりに人工筋肉が有機的なラインを形作っている。
まるで生物だが脳は無い。
戦闘が想定されるような任務ならパイロットスーツを身に着けるところだが、今回はご機嫌取りの雑務だ。アレンは黒いタンクトップ姿のままコクピットに体を滑り込ませた。
形状変化の妨げになってしまうため計器類は極僅かだ。ほとんどがキャノピーに映し出されるようになっている。操縦のための設備も操縦桿やスロットルレバーぐらいで、その代替となっているのは操縦席後部に接続された太いケーブルだ。
そして、これが第三世代機最大の特徴でもある。
片手でケーブルを握ったアレンはそれを手探りで首の後ろにある接続ポートへと差し込んだ。特段痛みは無いが、少し手足が痺れるというか、感覚がぼやけたように思う。
脳味噌を得た鳥が、体躯を震わせて目覚めた。
東西南北いたる所に戦線を設けたパシフィックにおいても、第三世代機はここ欧州戦線の大西洋第四プラント基地、スノースピア隊に十数機配備されているに留まっている。
『スノースピア・ブラボーワン、ツー、そのまま指示を待て』
無線機に管制塔からの通信が流れてきた。
適当に返事をすると、アレンは準備体操でもするように機体を小さく動かしてみた。腕が何本か増えたような感覚で翼の角度を自由自在に変化させていく。
それが丁度終わったあたりでまたもや通信。
『出撃許可が下りた。二機とも発進した後、所定の合流ポイントに向かえ』
「了解、ブラボーツー・アレン、出撃する」
翼下のジェットを使い爆発的な衝撃でスノースピアを真上に飛ばすと、間髪入れずに羽ばたくような動作で推力の方向を調節し上空に上がった。クレイバードでなければ粉々になるような挙動だ。
姿勢を安定させほっと一息つく。視界いっぱいを無限の青空が占めていた。
アレンは束の間だけ何事からも解放された心持ちになったが、五秒もすればそれが錯覚だと思い出す。
キャノピーに表示された座標へと機首を向けて加速し始めると、基地はあっという間に砂粒程度の大きさになった。
『相変わらず荒い操縦だな、アレン』
右を見るとヘクターの機体が隣に並んでいた。アレンと同じくスノースピア所属の真っ白な機体だ。
「この程度じゃバードに何ら影響ないし、機体よりも俺の方が脆弱だよ」
『俺はそれを心配してるんだ。歳をとってから首と腰にくるぞ』
マシンの性能に人間の体が追い付けなくなる、という現象はクレイバードの誕生以前から起きていた。ライト兄弟が初めての有人飛行を実現させてから二百年足らずでクレイバードまで到達した航空機に比べ、人間の進化はあまりにも遅い。
かと言ってAIや遠隔操縦に任せるにはまだいくらかのブレイクスルーが必要である。そのため、今のところ人間は最も脆いパーツとして兵器の中に座ることを強いられるのだ。
「それまで生きちゃいないさ。いつかは殺される」
ヘクターのおせっかいにアレンは投げやりに返す。
アレンが軍に入ったのは四年前、養護施設を出ると同時に入隊。次の年には第三世代機用のパイロット候補に選抜され、脊椎接続ポート構築の手術を受けると同時に訓練が始まった。そして、あの海上プラントに派遣されたのが二年前のことだ。
今日に至るまで十一機の敵機を撃墜し、対地攻撃も考慮すればその倍は殺してきただろう。罪悪感を抱いたことは無かったが、あれが自分の未来の姿であることは本能的に分かっていた。
アレンの自嘲めいた言葉に、僅かな間があった後、ヘクターから答えが返ってくる。
『お前には才能がある。上手く立ち回れば大丈夫だ』
「だといいけどな」
『もういい、この話は終わりだ。さっさとお客さんを迎えに行くとしよう』
二、三言冗談を言い合いながら乗機を飛ばしていると、目視でも輸送機を確認できる距離に入った。
固定主翼の両端にプロップローターを搭載した旧世代の輸送機だ。前線においてもこういった年代物は数多く運用されている。戦闘に参加するのでもない限り十分な性能は備えているし、長年の運用ノウハウも蓄積されているからだ。
それと単純に安上がり、という理由が大きな比率を占めている。
クレイバードの生産に予算を奪われ、しわ寄せが来ているのだとしたら少々同情してしまう。
しかもクレイバードの高コストという問題はこのような限定的な所にのみ表れているわけではない。
現在の巨大軍事同盟同士の戦争という形態を作り出した原因と言われるのが兵器の高性能高コスト化であり、その最たるものがクレイバードだった。
既存のそれより数段レベルアップした兵器に対し、小国の経済力では対抗できなくなったのだ。旧式の武器を抱えてゲリラ戦を展開すれば抵抗できる時代は終焉を迎えた、というわけである。
アレン達は、そんなクレイバードの被害者の一部、可哀そうな輸送機の両側につくと、代表してヘクターが無線で呼び掛けた。
『こちらスノースピア・ブラボーワン、作戦コード307の対象に間違いないか?』
一瞬後にノイズ混じりの音声が返ってくる。
『問題ない、スノースピア、目標地点まで誘導してくれ』
『了解』
ヘクターは輸送機との通信を終えると、アレンにだけ無線を繋げてきた。
『おい、コクピットを見てみな。客人が見えるぞ』
ヘクターの言う通り、場違いな軍服に身を包んだ男がパイロットの後ろの席に確認できる。
「見るからに温室育ちってカンジだな。前の髭面野郎より扱いやすいんじゃないか?」
色白で線の細い男は体格的に軍服がまるで似合っていないし、きょろきょろとクレイバードを興味深げに観察している顔からは緊張感というものが拾えない。
『ああいうのが案外油断できなかったりするんだよ』
「そうは思えないな」
『じゃあ、あいつが「歓迎」にビビるかどうか、次の嗜好品配給券でも賭けてみるか?』
前線でも比較的余裕のある所は定期的に「無駄な物」が補給される。酒に煙草に本・雑誌、その他諸々エトセトラ。それらと引き替えられる配給券は兵士にとっての通貨だ。
普通にドル札だって大なり小なり持っているのだが、これだけ長い戦争で帰れる保証が無いのだから紙くず同然である。
特に欲しい物は無いアレンだが、別に持っていても損はない。
「いいよ、乗った」
『よし! では俺から行かせてもらうぞ』
ヘクターは機体を加速させ輸送機の前に躍り出ると、その前を何度も横切る。一歩間違えれば大惨事だが、ヘクターはもちろん輸送機のパイロットも慣れたものだ。
本国から士官が飛んで来る際の恒例行事、ささやかな抵抗などという高尚なものじゃなかった。ただのストレス解消だ。その証拠に大佐以上のお偉いさん相手には、頼まれたってやりはしない。
実戦経験の無いやつなら大概ここでリタイアだが、今回の記録官は大して動じた様子もなく笑顔を浮かべている。
「おいあんた腕が落ちたんじゃないか?」
『馬鹿言え、真面目にやったぞ。次はお前の番だ』
アレンはふっと鼻で笑うと、クレイバードの速度を急激に上げる。大気の抵抗で機体がびりびりと震えているのを感じた。
ある程度の間隔を開けて輸送機の前に付くと、今度は一気にスピードを落とし距離を詰める。そして文字通り目と鼻の先ほどの距離、ぶつかる寸前で機体を滑らせるように、輸送機の下へ潜り込んだ。
なかなか上出来だろう。アレンは編隊へ戻りながらヘクターに確認した。
「客人の様子はどうだ?」
『俺達の完敗だ。お行儀よく拍手してるぞ。ま、賭けは俺の勝ちだけどな』
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